大きな常識から小さな常識の時代へ(小野美由紀)

ファンの皆さま、お待たせしました。
小野美由紀さんから原稿が届きました!
うちのマガジンで独占配信している記事でございます。お楽しみください。


====


5月にベルギーの大学で、絵本の翻訳ワークショップをやらせていただいた。日本語学科の学生に向けて、過去に出した絵本「ひかりのりゅう」の翻訳の講義をする。この絵本は福島の原発事故を題材にしており、メッセージ性が強い。売れたらいいな……と思ったが、日本でも韓国でもあまり売れなかった。福島から程遠いヨーロッパの真ん中にある国で、関心を持つ人なんかいるんだろうか?と思ったが、蓋を開けてみたら学生さんたちはみな熱心に講義を聴いてくださり、嬉しい限り。みなさん日本語がペラペラで、こちらが英語で話す必要がないのに驚いた。(「ケガレ」という概念を説明するために、魔法少女まどかマギカの…と言ったら全員がわかったのには吹き出した)

ベルギーは不思議な国で、一つの小さな国の中に、4つの言語が混在している。フラマン語、オランダ語、ドイツ語、フランス語。ベルギー内のどこの出身地かで母語と発音が異なる。商品の説明書きには必ず幾つかの言語で書かれているし(面積を莫大にとるため、大したことは書かれていない)街の標識や、駅の名前も必ずいくつもの言語で表示するため、看板がたくさんあって目が忙しい。街を歩く人々は、見た目ではほとんど何語を話すのかわからない。
そんなに異なる言語の人々が暮らしていて、一体どうやって会話を始め、成り立たせているのだろう?と疑問に思っていたのだが、すぐに分かった。
この国の人々は皆、知らない人と出会った時に、必ず「あなた何語で話すの?」と最初に聞く。
あなたフランス語と英語とオランダ語だったらどれで話すの?って。空港でも、カフェでも、どこでも。
(大抵の人は3〜4つの言語を余裕で操るため、共通の言葉が見つからずに困ることはまず、ない)
ベルギー人の友人は「面倒臭い!」と言っていたが、私はとても良いと思った。
相手が自分とは異なる言語体系の中に生きているかもしれない、と考えることは、すなわち、「相手は自分とはまったく違う思考体系に基づき暮らしていて、まったく違う視点で世界を見ているかもしれない」という思考が働く、ということだ。つど、誰かと出会うたびに。
自分の常識イコール相手の常識ではない、と確認すること。

ここから先は

1,606字

¥ 100

ありがとうございます!サポートをいただけると、高知の山奥がもっと面白くなります!