NFTアートの所有にまつわる問題と、「デジタル所有権」について整理する。

イケハヤです。

突然ですが、みなさんはビットコインなどの仮想通貨を持ってますか?

ぼくはめっちゃ持ってます。

でもですね、この仮想通貨、日本では「所有権」が認められていないらしいんですよ!


仮想通貨には所有権がない。

ぼくは法律の専門家ではないので引用にとどめますが……マジなんです。

単純に考えても,仮想通貨は有体物ではないので所有権(その他の物権)の客体ではなく,また,特定の者に対して何らかの請求をできるものでもないので債権でもありません。
また,無体財産権として特別法で定められているわけでもないのでこれでもありません。 結局,権利は否定されます。

https://www.mc-law.jp/kigyohomu/27256/#:~:text=%E5%8D%98%E7%B4%94%E3%81%AB%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%82%82,%E6%A8%A9%E5%88%A9%E3%81%AF%E5%90%A6%E5%AE%9A%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

え……所有権がないってどういうこと?

ぼくのウォレットに入ってるビットコイン、ぼくには所有権がないの????

じゃあ誰の???

所有権がないなら、誰のものでもないの???

国が勝手に没収することもできちゃうの????

って感じですよねw でも、ほんとうに「ビットコインに所有権はない」ようです。ぜひ調べてみてください。

日本の法律では「無体物(かたちのないもの)」には、そもそも所有権が認められません。

仮想通貨はデジタルデータであり無体物であるため、「所有権がない」ということになります。えぇぇ……。


NFTアートの所有権問題。

こうした構造は、もちろんNFTアートについても同じことがいえます。

ぼくがアイコンにしている「CryptoPunks」を例に考えましょう。

もっとも代表的なNFTアートであることに、異論はないでしょう。

ぼくが所有(own)していることは、ブロックチェーン上でも証明されています

このNFTアートは、ぼくが管理しているウォレットの中に保管されています。

仮想通貨と同じように、悪意あるハッカーに秘密鍵などが盗まれないかぎり、誰かがこのアートを奪うことはできません。

また、画像データもイーサリアムの上に載っているので、CryptoPunksを開発した「Larva Labs」が倒産しても、決して消えることはありません。

・誰も奪うことができない
・決して改変されることがない
・決して削除されることがない

フルオンチェーンのNFTアートであるCryptoPunksは、ビットコインと同様に、こうした性質を持っています。


ぼくはCryptoPunksを所有していない!?

で。

NFTアートに批判的な人の意見を見ると、

「日本の法律では、NFTアートには所有権は認められない。にもかかわらず、「NFTアートを所有する」と表現するのは、勘違いにつながる。問題だ」

という話が出てきたりします。

こういう批判的な意見を持っている人たちは、たとえばぼくが

「私はCryptoPunksのNFTアートを所有しています」

と発言すると、

「NFTアートに所有権はない!お前が”所有感を感じている”だけで、お前は決してアートを所有していない!そういう物言いをするのは、詐欺だ!」

みたいな感じの批判が飛んできます。割とマジで。


この記事で整理したいのは、「所有している」ことと「日本の法律で所有権が認められる」ことには、違いがあるということです。

ぼくのウォレットにあるビットコインは、ぼくが所有しています。

日本の法律で所有権が認められないとしても、他の誰かが所有しているわけではありません。
ぼくのウォレットに入っている以上、文句なしに、このビットコインはぼくの所有物です。

そのことに、異論を挟む人はいないでしょう。


同様に、ぼくのウォレットにあるNFTアート(CryptoPunks #2280)は、ぼくが所有しています

ぼくが所有していなかったら、いったい誰が所有しているのでしょう?

しかし、なぜかNFTアートとなると、「NFTアートを所有している」と記述することが炎上ネタになります。

ほら、これとか、詐欺師呼ばわりです……。

というか、ぼくは一ミリも「誤認するように書いて売っても問題ない」なんて書いてないんですけどね……。

てか、CryptoPunksは公式で「所有(own)」という表現使ってますねw これが「詐欺」なんでしょうかねぇ……。ぼくにはそうは思えませんが。


なぜNFTアートは「所有しているのかどうか」「所有権の有無」で炎上するのか?

我々はこの謎を解くべく、南米の密林へ潜入した……。


NFTアートの原画問題。

ここからは南米の密林です。

まず、NFTアートに対する批判としてよくあるのは、

「NFTそれ自体はたんなるトークンであって、トークンが参照している画像は別の場所に保管されている。NFTは消えないが、画像は改変されたり、消えることがある」

というフォーマットです。

これはそのとおりで、ぼくも異論はありません。

NFTアートにはさまざまな形式があり、いわゆる「フルオンチェーン」のアート作品の場合、NFT(スマートコントラクト)そのものが原画になっています。

NFTアート「CryptoPunks」のスマートコントラクト

こうしたアート作品の場合、そもそも外部の画像を参照していないため、前述のような「NFTは画像は改変されたり、消えることがある」という批判は成り立ちません。

また、BAYCなどのコレクションは「IPFS」という分散型のファイルシステムを利用して、これらの問題に対処しています。

IPFSの永続性はまだ十分に検証されていませんが、AWSなどのサーバーに比べると、耐検閲性が優れているため「かなりマシ」であるとぼくは考えています。

トークンが参照しているアート画像は別の場所に保管されている」という批判についてまとめると、

・フルオンチェーンNFTの場合は、そもそも批判として成り立たない
・IPFSを使い、同時に改変を不可能にすれば、NFTとアート画像の結びつきは、十分に強固だと考えられる

という感じになりますね。


「アートを所有する」の曖昧性。

また、議論を難しくしているのは、そもそも「アートを所有する」という行為自体が非常に曖昧な点にもあります。

ぼくは、CryptoPunks、BAYCというNFTアートを所有(own)しています。

しかし、批判者は「NFTはアートそのものではない」と語ります。

彼らは、「NFT」と「アート」は厳格に区分けできる「別物」だと考えているように見えます。

NFTがアートを参照しているだけだ、ということですね。

ここにおいて、彼らとぼくの間では「アートの実体」についての理解が異なっています。

ぼくは、特にCryptoPunksは「こんなのはアートではない」といった批判を巻き起こす性質を含めて、これは現代的なアート作品だと考えています

NFTが参照する画像データがオンチェーンにあろうがなかろうが、そこになんらかのアート性が認められるなら、それは「NFTアート」です。

ただし、これはぼくの主観的な感覚です。

IPFSを利用するBAYCについては、「NFTとアート(画像)そのものは別物である」というのは、記述的な意味では正しいです。

しかし、それをもってしてもなお、「アートの実体がNFTに含まれている」という認識は可能なのです。

(このNFTはアートの実体を含むのか?アートそのものは別に存在するのか?)

ぼくは「NFTとアートが紐付いていない」という前提に違和感を抱きます。

BAYCのNFTはIPFSを参照していますが、ぼくは十分にこのお猿さんは、完成した一個の「NFTアート」だと感じます。

そしてぼくは、この「NFTアートを所有」しています。この表現が詐欺的であると言われても、感覚的に理解できません。

てか、そんなんいうたら「油彩画はアートそのものではなく、あくまで絵の具の集合体だ。アートそのものは作者の頭の中にあるんだ!油彩画はアートそのものではない!」みたいな話になってきちゃうんじゃないかなぁ……。


「所有すること」と「所有権が認められること」は違う。

先ほども書きましたが、もっとも重要なのは「所有すること」と「国が認めた所有権があること」は、実はぜんぜん違う話である、ということかなと思います。

そのことは、冒頭で述べた「ビットコインに所有権が認められない」という話がわかりやすいでしょう。

現在の法律ではビットコインに所有権は認められません。

しかし、自分ひとりが管理するウォレットのなかにあるビットコインを、私が「所有している」ことは明白です。

そうでないとしたら、このビットコインは、私以外の誰が所有しているのでしょう?

「明白に個人(やコミュニティ)が所有しているけれど、国家と法律は所有権を認めていない」という状態は、ごく普通にありえるということです。

NFTやビットコインは、今その状態です。

国家が所有権を認めていないから、ぼくらはNFTやビットコインを所有していることにはならない……としたら、恐ろしいことですね。

資本主義の歴史をたどれば、そんな闘争ばかりだったのかもしれません。

それもあって、最近は「デジタル所有権(Degital Ownership)」という新しい法的概念にまつわる議論も始まっているようです。法律のほうが追いつくといいですね。

From a legal standpoint, our immersion in this entirely digital world is posed to challenge a number of legal concepts that have arisen out of the material world, including the fundamental concept of ‘ownership’. Important questions, such as whether virtual assets qualify for ‘ownership’, or whether new forms of ownership will emerge from the metaverse, are going to demand attention from users of the metaverse, and potentially from law makers, as the world transitions into virtual environments.

https://www.reedsmith.com/en/perspectives/2021/11/digital-ownership-the-birth-of-a-new-concept


まとめ。

本記事の主張をまとめます。

・NFTアートへの批判として「NFTはアート画像を参照しているだけだ」というものがあるが、フルオンチェーンNFTについては該当しない
・BAYCはIPFS上のアート画像を参照したNFTだが、所有者であるぼくは、これが十分に「NFTアート」足り得ると感じている
・「所有している」ことと、「国家が所有権を認めている」ことには、明確な断絶がある
・ビットコインには所有権が認められていないが、私たちはビットコインを所有することができるし、それはNFTも同様である
・デジタルデータに所有権が認められないという法的ルールのほうが、シンプルに古いだけで、現に「デジタル所有権」の議論は始まっている

日本でも早く「デジタル所有権」が規定されるといいですね

ビットコインだってNFTだって、そのウォレットの持ち主が「所有している」ことは明らかですから。

もっとも、こうした整理が終わるまでは20年くらい掛かりそうですが……。

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