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違和感

超お久しぶりです

相変わらずフリーターライフを満喫中です。
そして今週末には合コンに行きます。

30歳を過ぎた女性であれば合コンに行ったことがある方は多いでしょう。
しかしそこで無職&実家暮らしの30歳過ぎの男と出会ったことがある方はきっと少ないはず。

当然交わされる
「お仕事は何をされているんでしょうか?」
という質問にきっと
「いやぁ…今は無職で、しかも実家暮らしなんです…どぅふふ」
だなんて変な笑い声を織り交ぜながら答えるのだろう。

目の前に座る女性達は一体どんな表情を浮かべるんだろう。どんな返答をくれるんだろう。
32歳。無職。実家暮らし。しかもおそらく今週末の合コンでは私が最年長だ。
相手が反応に困るのも無理もない。
いっそのこと「いや働かんかーい!」くらいのどぎつい叱咤をくれた方がまだマシなのだが、この狭い日本ををいくら探してもそこまで豪胆な女性は見つからないだろう。

ましてや趣味の談になった際には
「脚本家を目指しています。それ専門の学校みたいなものに行っています」
なんて発言が飛び出す。
元来夢を見て、その夢に邁進することは人間の美しき姿だと言われているが、そんなものは幻想に過ぎない。
というよりそこには目には見えないリミットラインが設定されている。

30歳を超えると何かにつけて「良い歳して」と枕詞がつく。
人は「夢を持って生きろ」と言われ育ち、いつしか「いつまで夢見てんだ」と叱られる。
叱られるというより冷めたや嘲りの目で見られる。
無理はない。自分だって今仕事をしていて
「遅いと思うけど、俺、もの書いて生計を立てたいんだ…」
なんてやつが現れようもんなら一発ぶん殴ってやるかもしれない。
殴られる側に自分がいるのは重々承知だし、自分の考えが自分の置かれている立場でガラリと変わったのも重々承知だ。自分の可愛さ故に考えはコロコロ変わる。
それでも、一年前の自分や自分のようなやつらに殴られようが笑われようが後ろ指指されようが、今は一本のペンで物を書いて生きていければと夢見ている。

かっこつけて言ってはみたものの実際就活もし始めたし、今は仕事を探して、なるべく多く自分の時間を作り、そこで何か書いていこうと思っている。
やはり現実はなかなかハードだ。どこかで妥協することもきっと前進だ。

前置きが長くなったけれど現状自分が抱える問題は迫りくる合コンでもなければ、なかなか書類が通らない就活でもない。
それは

物書きになりたいと思っているのに全く書いていないことだ。

自分でもびっくりするくらい書いていない。
野球中継が流れるテレビの前で
「うぉー!!俺マジでプロ野球選手になりてー!!」
そう叫んでいる少年の夢はプロ野球選手で、おそらくその少年の夢は未来永劫敵わないだろう。
今の自分も全くその状況だ。バットを持って夜な夜な虚しい風切音を奏で続けないことには何も始まらない。
というわけでnoteでもなんでも良いので書くことを習慣化しなければならないと思い今宵こうして久々にnoteを更新している。

こんなことをnoteに書くのはおそらく5回目くらいな気もするけれど、もうこの際なんだって良い。
何度だって言い続ける、心が折れた時には何度でも言ってやる。
書くことを習慣化書くことを習慣化書くことを習慣化書くことを習慣化書くことを習慣化書くことを習慣化書くことを習慣化書くことを習慣可!!!!

いっぱい言ったように見えて8回しか言っていない。
そんなことはどうでも良いとして、まず続けるために一番良い方法を思いついた。
それは

仲間を作ること

である。
仲間を作るというのは、互いに励まし合い、力を高め合う。というのもあるけど、やっぱりやらなきゃいけない義務感が生まれる。
奴隷の幸福とは良く言ったもので、往々にして義務は自由よりも優秀な潤滑油になる。湧き上がる衝動が無いならば義務を作るしかない。
というわけで自ら「仲間」という義務を作ってみた。

とりあえずスタイルとしては交換日記形式で相手の書いた文章を受けて何か思ったことを書く、の繰り返しになるだろう。
頻度は週一で一本くらいだろうか、慣れていくうちに少し頻度を上げていけたらなと思う。
下記にその仲間のプロフィールをリンクしようと思ったけれど未だnoteに登録すらしていないみたいなので一旦は滝沢カレンのプロフィールをリンクしておきます。→ここをクリック!!(「釈迦」というアカウントを作ったとのことなので皆さん要チェケです!!)

ついつい駄文で埋め尽くしてしまったけれど、二人で話し合った結果
「違和感」
をテーマにつらつらと書いていこうという事になった。

僕らが過ごす日常は実は驚くほどの違和感で満ちている。
人類はなぜお金という金属と紙に翻弄されているのか
「人間で言うと100歳なんですよー」という犬に対してなぜ平気で「かわいいねー」と言えるのか
なぜ結婚式のご祝儀はあんなに高いのか
なぜセブンイレブンの外壁は何年も変わらずあの変なレンガ調なのか
なぜ真面目にあくせく働く人々が集合するビルに雑居ビルなんてひどい名前をつけるのか
なぜ特にお世話になってない人に対して、お世話になっていると平気で嘘をつくのか
なぜ頑ななまでに血液型で人の性格を分類したがるのか
なぜ大人は無職だと恥ずかしさを感じるのか

等々、大きな違和感からクソの足しにもならない違和感まで拾い上げて文章に託していきたい。
「ああ!!たしかにそれは違和感!!」くらいのツボを押さえていけたら最高だけれど、多くは個人の勝手な文句や愚痴が締めてしまう可能性も否めない。
とりあえずは長い目でチラりチラりと覗いてくれたら嬉しい。

ではここで最近感じた「違和感」を一つ。

先日出版社の面接を受けた。
提出物の中に「履歴書持参(手書きのものに限る)」とあったが、以前にも別の出版社応募のため手書きで履歴書を書いたところ、自分の字の下手さに驚愕し、結局その時は何枚書いても納得いく(というか見るに耐える)ものが書けなく半日を無駄にした。
またしても手書きで無益な時間を過ごすのは嫌だと思い、開き直ってプリントアウトしたものを持って行った。
面接官はそれを見て全く気づいていないようだったが、最後の質問タイムで「なぜ手書き指定なんですか?」と聞いてみた。
「特にこだわりは無いんですが、短い面接の中で少しでも人となりが見たいと思いまして」
との回答。
予想していた答えではあるけれど、字くらいで長い人生を経て築いてきた自分の人となりを判断されちゃたまらない。

「手書きの字はその人の人となりが出る」らしい

出るわけがない。
むしろ出そうと頑張っても出せない。
どうせ達筆気味で流し書きの字は「いいかげんに書いた」と見なされ、
下手でも止め跳ねがしっかりと出ている字は「しっかり書いた」と見なされるのだろう。
「弊社は出版社という文字や文章を商売道具にしていますので、手書きの文字を見たいのです」
みたいな意味の分からない古風ぶったポリシーみたいなものも透けて見えて腹立たしい。
なんだか最もらしい事を言っておきつつ、よくよく考えてみると全く最もじゃない事ってのはなかなか質が悪い。

とにかく自分にとって
「手書きの文字」=「人となりが出る」は直近で体験した「違和感」だった。
職人の手で、工場の人々が一つ一つ丁寧に、ハンドメイド、それらのワードが「ぬくもり」「温かみ」というワードと無条件に結びつき、良い商品風、良いサービス風として付加価値を帯びていくのにも、似たような違和感を感じる。
美辞麗句や温度感の良い言葉で、本質や本当の価値の解像度がぼやけだす。

とまぁ、お察しの通り結局は面接を通過しなかっただけの単なるやっかみなのだが、こんな感じのことをもっとわかりやすく書けるようになっていきたい。
もちろん、時にはもっと下らなかったり、もっとやっかみや愚痴っぽくなる時もあるかもしれない。急に更新が途絶えることもあるかもしれない。
日々の忙しさ(無事就職できたら)に追われついつい怠けてしまうこともあるかもしれない。
どちらか一方が書いているのにもう一方が全く書かなくて長年の交友がぶっつり途絶えることもあるかもしれない。

それでもとりあえず義務の力学を信じ日常に転がる「違和感」を拾い上げていきたい。

ニュートンは木からリンゴが落ちるのを不思議に感じた。
アインシュタインは分からないことがありすぎて質問を繰り返した。
デュシャンは美術館に置けば何でもアートになるんじゃね?と思った。
利休は絢爛豪華な物より朽ちゆく物に美を見つけた。

歴史上のお偉方もきっと最初はほんの小さな「違和感」から新しい価値や発明を生んできた。
自分たちもそんな違和感を発見し、そこに考えをめぐらし、感じたことを素直に書いていきたい。

っちゅーわけで!!
とりあえず、お楽しみに!!

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