支える力(13)敵対に変わるケース

反対に最初はいい関係のNo1No2だったのに敵対するようになるケースも見られます。

源頼朝と義経 長い間別れ離れにいた二人が再会し源氏再興を誓い合って力を合わせて平家打倒を成功させたにも拘わらず最後は兄が弟を討伐したわけですがNo1に猜疑心を持たせてしまいライバルの関係に変わってしまったという最悪のケースです。義経が次々に成功を収めていくわけですが調子に乗ってNo1の意向や気持ちを無視することの結果がそうなったわけです。朝廷から官位を貰ってしまったのは頼朝の単純な怒りというより嫉妬が怒りをもたらしたのではないでしょうか。

秀吉と千利休
表のNo2は弟の秀長、裏のNo2は利休と言われていたわけですが最終的には秀吉により切腹までさせられたのは日本史の謎の一つと言われています。老いてからの秀吉の猜疑心の強まり、利休の人気に対する嫉妬心があったことは否めないのと、利休についても茶道を極める心から妥協を許さない意固地な面があったのでしょう。分野の違う二人の組み合わせは最高にも見えましたが残念な結果になっています。

以前どこかで読んだ言葉があるので紹介します。

二人が仲良くいるためには

○愚かでいるほうがいい○立派過ぎないほうがいい○立派すぎることは○長持ちしないことだと○気づいているほうがいい○完璧をめざさないほうがいい○完璧なんて不自然なことだと○うそぶいているほうがいい○二人のうち どちらかが○ふざけているほうがいい○ずっこけているほうがいい○互いに非難することがあっても○非難できる資格が自分にあったかどうか○あとで疑わしくなるほうがいい○正しいことを言うときは○少しひかえめにするほうがいい○正しいことを言うときは○相手を傷つけやすいものだと○気づいているほうがいい○立派でありたいとか○正しくありたいとかいう○無理な緊張には色目を使わず○ゆったりゆたかに○光を浴びているほうがいい○健康で風に吹かれながら○生きていることのなつかしさに○ふと胸が熱くなる
○そんな日があってもいい○そしてなぜ 胸が熱くなるのか○○○黙っていてもふたりには○わかるのであってほしい


この2つの例からも学ぶものは沢山あります。それぞれご自分で考えてみてください。
どこかでボタンの掛け違いが生じたのでしょう。
歴史家の方ならこういうケースを沢山ご存知だと思います現在のビジネスの社会でも支える人を目指す時には肝に銘じておくべきことです。人間ついつい物事がうまくいっている時は調子に乗って自慢をしたりトップを無視したような言動が出てくるものです。自慢などせずに謙虚の姿勢を忘れない事です。


自慢などせずに謙虚な姿勢を忘れるなと言いながら一つ自慢したいことがあります。私まだ50歳になる前頃でしたがサンフランシスコに駐在していたお二人の方がいました。二人とも30代のバリバリのビジネスマンでした。自分の目からこの人たちは将来必ず偉くなるだろうと確信していました。一人は社内で出世して役員になり何人かの先輩役員を飛び越して社長になり現在素晴らしいリーダーシップを持って会社をけん引しています。もう一人もいくつだったかは分かりませんが社内でベンチャーを立ち上げてから、自分がすべての責任をもって経営をしたいことから親会社から独立しIPOを成し遂げ今は上場会社の社長として活躍しています。私の方が年長ではありますがNo2になる事は出来なくても何らかの形で支えることは出来るお二人でした。自慢は自分も人の見る目は結構しっかりしていたのかなという事です。支える人を目指す時に大切なことはリーダーの性格、能力を見抜く力です。ここが大きなポイントですので絶対忘れないで下さい。い今でもこのお二人とはお会いしますが特に会社での立場はありませんがお会いすることで気持ちの整理や私に話すことで確認したり安心感を持ったりしてくれているような状態になっていると思います。こんな支え方も悪くないです。


No1であった私にとって身近な人
脇役でなくNo1だけを見据えて行動してきたのはミュンヘンオリンピックで男子バレーを金メダルに導いた松平康隆監督です。
子供のころのリーダーというのは所謂“お山の大将”で腕白坊主と言われる男の子です。次の世代である少年少女時代になるとスポーツあるいは運動能力に長けた男の子がリーダーとなるでしょう。これは多分高校時代の半ばまで続きその次のリーダーは学業成績がいい人が他から一目置かれリーダーになる人が多いでしょう。社会人になったからは営業成績がいいとか仕事の呑み込みが早く結果を出している人、あるいは学校での成績というより(優の数が多い)頭がいい、切れる奴というのが頭角を現してくるでしょう。さらにそれより上に行く取締役になる、社長になるというとすべての面でバランス感覚に優れている人がNo1の座に就くのではないでしょうか。
松平さんを見ているとそれぞれの時代にリーダーとなり続けておりそれは自分なりに意識もされていたのでないでしょうか。(大学での成績は不明ですが)自分が身を置くグループ、組織(学校あるいは会社であってもバレーボール協会でも)で常にそこのトップを目指して行動してきたのが松平さんだったと私には見えます。だからこそ金メダルという世界一の勲章を掴み取ったのだと思います。彼の場合はその場その場、その時その時でNo2を使い分けてきています。メキシコでの銀メダルからミュンヘンでの金メダルまでは池田コーチと斉藤トレーナーをNo2の立場に置き100%自分をサポートさせてきています。このお二人もNo2という立場を意識したかどうかは分かりませんが非常に賢く動いています。


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