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【出版物紹介】訳書『クリストファー・ノーランの嘘』

トッド・マガウアン『クリストファー・ノーランの嘘/思想で読む映画論』井原慶一郎訳、フィルムアート社、2017年


書評掲載情報

本書は、Todd McGowan, The Fictional Christopher Nolan (Austin: University of Texas Press, 2012)と、同書の出版後に発表された二本の論文 の翻訳である。クリストファー・ノーランの映画に関して、ヘーゲル哲学とのつながりを探りつつ、主体や夢といった概念をめぐって考察し、「真実の発見は、その背景となる嘘が存在しない限り不可能である」(15)という「嘘の存在論的優位性」を、説得力を持って提示している。全9章で、各章一作品を扱い、『フォロウィング』(1998)から『インターステラー』(2014)へと製作の軌跡を辿るかたちで作品分析されているが、個々の作品論、あるいは、ノーランの作家主義的側面の検討に留まることなく、ヘーゲル、ジャック・ラカンの哲学、思想を基盤として、スラヴォイ・ジジェク、アラン・バディウ、ジョルジョ・アガンベンらの理論にまで目を向けた倫理的議論を展開しており、その議論は刺激的で充実しているとともに、これから哲学、思想を学ぼうとする読者にも十分耐えうる親切丁寧な説明が施されている。……翻訳という点では、滑らかな日本語で非常に読みやすい。また、ときに原著者マガウアンの誤解を指摘する箇所があるように、原書の正確さがしっかり検証されており、信頼のおける丁寧な翻訳作業がなされたことが分かる。(川村亜樹氏=愛知大学教授)

「日本映画学会会報」第52号(2017年11月号)

本書においてマガウアンは、主にヘーゲル哲学とラカン派精神分析に依拠しながら、ノーランが映画のなかで一貫して描いてきた「嘘」に注目する。マガウアンによれば、ノーランにとっては嘘が真実に対する存在論的な優位性を持っており、嘘を通過することなしに真実へと到達することはできない。マガウアンは、真実を覆い隠しているフィクションの構造を分析しながら、ノーラン作品に通底する虚偽性の構造を明晰に浮かび上がらせる。そして、本書の副題に示されているように、それをヘーゲルやラカン、カントやハイデガー、ジジェクやバディウらの思想と突き合わせて、仔細に読み解いていく。この読解作業を通してマガウアンが、ノーランのつく嘘のなかに、そしてフィクションの力のなかに見出すのは、観客を世界から解放し自由にする映画の倫理的な可能性だ。(中路武士=鹿児島大学准教授)

表象文化論学会『REPRE』31号

副題にあるように、本書はクリストファー・ノーランの映画を一貫して現代思想の観点から解読する書物である。その中心にはヘーゲルとラカンがいる。ヘーゲルとラカンによる映画読解と言えば、著者であるトッド・マガウアンは、ジジェク派なのだろうということになるが、スラヴォイ・ジジェクが、ときに才気走った飛躍を多くするのに対して、トッド・マガウアンはノーラン映画のすべてを一本一本ていねいに腑分けしてくれる。各章は実に説得力がある。(田辺秋守氏=日本映画大学・現代思想)

「図書新聞」2017年9月9日号【ノーランの映画世界の基礎にあるものとは──一貫して現代思想の観点から読解する】

ノーランというと、フィルム原理主義者であるというような映像的側面で語られやすい作家であるので、本書のようにラカンやヘーゲルといった精神分析学/哲学を援用してノーランにおける“嘘” “虚構”の物語的側面を分析するという点は新鮮。……新作『ダンケルク』の前に是非読んでおきたい一冊だ。(高野直人=タワーレコード香椎浜店)

「intoxicate」vol.129【今ハリウッドで最も注目される監督、日本初の本格分析本】

すべてのノーラン作品は、登場人物の嘘で作られている。しかしその嘘は、観客をだますことが目的の、いわゆる「どんでん返し」のためではない。ノーランが示す嘘は、真実を見出すために不可欠な嘘であり、だからこそ探求に値する。本書はこの才能豊かな映画作家が、一貫して「嘘」を描いていることに着目し、その意図を明らかにするため現代思想の枠組みを援用する。(南波克行氏=映画評論家)

「キネマ旬報」2017年7月下旬号【◎真実に到達するための嘘】

▼「CINRA.net」にて紹介。


▼ページ見本

目次
本文
原註
クリストファー・ノーラン作品解題

▼ブックデザインは小沼宏之氏。