見出し画像

「それから」論序説

鹿児島市中町の文学サロン「月の舟」で文学講座「夏目漱石シリーズ」が始まった。5月から12月まで月1回講師がリレー形式でおこなう講座で、鹿児島を代表する日本近代文学研究者(錚々たる顔ぶれ)に混じって、私も講師を務めることになった。私の担当は9月の「それから」の回である。

「それから」は高校生のときから折に触れて読んできた。森田芳光監督の映画「それから」では松田優作が主人公の代助を演じたこともあり、若い頃代助はどちらかといえば自分にとって憧れとなる存在だった。しかし、いつのまにか代助の年齢(30歳)を過ぎ、気がつけば漱石が「それから」を執筆していた年齢(42歳)になって読み返してみると、漱石が代助を見下ろすかたちで、距離を置いて書いていることがよく分かる。三千代もずいぶん落ち着いた大人の女性の印象があったが、23歳くらいでとても若い。

小説の面白いところは、哲学のように、ある思想について述べるのではなく、ある思想をもった人間を現実的諸条件のなかに描き出すことにある。さらにいえば、その思想は、そうした現実的諸条件によって形作られたものかもしれないのである。代助にはそのこと(自分の思想が恵まれた経済的基盤の上に成り立っていること)が見えておらず、作者の漱石にはよく見えている。

「それから」は新聞に連載された新聞小説だが、新聞についての言及も多く、新聞が重要なファクターとして使用されている。新聞で報道されるような社会・経済的な問題(例えば「日糖事件」と呼ばれる汚職事件)が個人の恋愛問題にまで影響を及ぼしている様を漱石は描き出している。

その他にも、「それから」の連載に先立つ新聞小説(弟子の森田草平が自らの心中未遂事件について書いた「煤烟」)との関係、三千代は男性の運命を翻弄する「宿命の女」(あるいは天然!?)なのか等々話題は尽きないが、まずは年齢の話から始めたいと思っている。

2012年5月23日(南日本新聞コラム「南点」掲載)