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ホラー映画はお好き?

先日、訳書の校正打ち合わせのため、共訳者がいる高知大学に出かけたが、休憩中、ふとしたきっかけからホラー映画の話になり、彼から未読ならロビン・ウッドのホラー映画論(フィルムアート社『新映画理論集成①』所収の1979年の論文)を読むように勧められた。その一節――

ホラー映画は一貫してハリウッドのジャンル映画のなかでもっとも人気があると共に、もっともいかがわしいとされる分野である。…人気は熱狂的なファンに限られ、他の人々には完全に拒絶される。ホラー映画を憑かれたように見に行くか、まるで見ないかのどちらかなのだ。

「アメリカのホラー映画――序説」

私は完全に後者の側である。わざわざお金を払って、ホラー映画を見に行く人の気がしれないし、ホラー映画を「いかがわしい」ものだと思っている。なにより教育上よくないではないか。しかし、研究対象として見た場合には話は別である。

ウッドは主にフロイトの精神分析理論を使ってこう述べている。社会のなかで私たちは様々なものを抑圧して生きている。抑圧されたものが「他者」というかたちで外化されたとき、それらは恐怖の対象となる。アメリカのホラー映画における多様なモンスターの表象を見れば、標準的なアメリカ人やアメリカ文化が何を抑圧し、忌避しているかが明らかになる。ウッドは言う。「ホラーのジャンルの真の主題は、我々の文明が抑圧し、あるいは圧迫しているものすべてを認識することだと言うことができるかもしれない。」

ホラー映画の読解をアメリカ文化そのものの読解へと広げた点でウッドの論文は画期的だった。もちろん、こうした論考は議論の出発点にすぎないし、精神分析における抑圧の理論についてもさらに精緻化する必要があるだろう。

私自身がホラー映画を研究することはあり得ないが、人間と社会について考察するうえでどのような文化的生産物もおろそかにはできないということを改めて認識させられた。

2012年4月11日(南日本新聞コラム「南点」掲載) ※見出し画像はアン・フリードバーグ『ウィンドウ・ショッピング/映画とポストモダン』(松柏社)より。