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高山宏『アリスに驚け -アリス狩りⅥ-』(青土社)

文化史的「読み」を実演

本書は二部構成になっている。表題にもなっている「アリスに驚け」という書き下ろし評論が第一部で、第二部には2013年以降に書かれた12編のエッセイ・評論が収録されている。これに「ヴンダーシュランクに書店の未来」というエッセイがエピローグとして付いている。高山宏の評論を初めて読む人には、まずこのエッセイを最初に読むことをお勧めしたい。このエッセイには著者の若き日からの書店、そして本との付き合いがコンパクトに書かれていて、こういう本の読み方をする人なら、こういう風に作品を読み解くのだなと納得できる。

著者が評論集『アリス狩り』でデビューしたのが1981年。それから40年近く経って、晩年を意識した著者がもう一度原点に立ち戻って書いたのが第一部の評論である。『不思議の国のアリス』を有名な冒頭部分(「絵も会話もない本なんて何になるの」と、アリスは思いました)から読み解いていくのだが、なんと冒頭の二文だけで14頁を費やし、全123頁で解説し終わるのはウサギの穴のなかを落下する部分までなのだ(!)。これがまず最初の「驚き」なわけだが、著者は文学作品を「文化史」的に読むとはこういうことだよと初学者に向けて実演して見せてくれているのである。「絵あり、会話ある本とは何なのだろう。これ、いきなり文化史の大問題なのだ」。

これが学問の王道であることは、中世にまで遡る大学の起源を見れば明らかだろう。権威あるテキストの注解がレクチャー(講義)で、その解釈をめぐる討論がセミナー(ゼミ)になった。マーティン・ガードナーの『詳注アリス』(高山宏訳、亜紀書房)では本文を圧倒するような量の注釈が付いているが、これが学術的にテキストを読むということなのである。

著者はある時期から、学生からつけられた綽名である「学魔」を名乗っているが、それが本書では「學魔」になっていた。学の悪魔のますますの深化が味わえる一冊だ。

2021年1月24日(「南日本新聞」掲載[一部改稿])