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【出版物紹介】共訳書『ウィンドウ・ショッピング』

アン・フリードバーグ『ウィンドウ・ショッピング/映画とポストモダン』井原慶一郎・宗洋・小林朋子訳、松柏社、2008年


書評掲載情報

▼共訳書『ウィンドウ・ショッピング』についての高山宏氏による書評(「かたち三昧・62 矩形なのに、まどか」『UP』2009年2月号)が羽鳥書店より刊行された『かたち三昧』に再録(138-39頁)。

……やっと鶴首待望の邦訳の出た才媛アン・フリードバーグの『ウィンドウ・ショッピング』……この何回か「かたち三昧」周辺の名作批評の邦訳顕彰を続けてもきたが、もう一冊あげておく。副題「映画とポストモダン」が示すように映画前史をポストモダン批評の側から検討し直す。映画に入っていく「移動性の仮想の視線」の現象――パッサージュ、デパート、ショー・ウィンドウ――を片端から位置付けて、「視覚文化論」と称してその辺をつつき出した一九八〇年代の新しい人文科学の動向を教科書的なまでに一遍まとめてみせてくれた。こうした議論の基礎になるはずのリチャード・オールティック『ロンドンの見世物』やレイチェル・ボウルビー『ちょっと見るだけ』等を孜々(しし)として訳しては議論展開の今後を模索して狐疑逡巡中のぼくなど、とんびに油揚げの心境、さすがに批評最前衛の国、秀才はいるものと素直に脱帽、悔しさ半分で愛読した。その名作の邦訳。(高山宏氏=明治大学国際日本学部教授・国際日本学)

東京大学出版会「UP」2009年2月号

▼『毎日新聞』今週の本棚に掲載された共訳書『ウィンドウ・ショッピング』についての山崎正和氏による書評(「移動する視線の社会学」2008年9月28日)が潮出版社より刊行された『「厭書家」の本棚』に再録(44-46頁)。

著者はフーコーを批判して、彼には一望監視における見る側の分析が不十分だったと考え、近代人のものの見方が社会学的にどう変わったかを考察した。すると浮かんできたのが十九世紀初頭の変化であって、このとき一斉に民衆は移動しながら見ることを始めていたのであった。著者を触発したのは、ベンヤミンの『パサージュ論』であった。……ボードレールがパリの遊歩者を歌ったのが象徴するように、ヨーロッパの都市は人が散策する場所に変わった。道路が舗装され、ガス灯が整備され、板ガラスの発達によってショウ・ウィンドウが街に溢れた。パサージュから屋根付きのアーケードへ、百貨店からショッピング・モールへと、小売業が拡大するにつれて都市はまた一段と変貌した。いうまでもなく、女性の登場、消費の主役としての女性遊歩者の都市進出である。著者は商業資本の支配にも十分な目配りをしたうえで、しかしこの新現象を女性の解放、自由拡大の画期的な転機として高く評価する。この時代はまたパック旅行の濫觴(らんしょう)期でもあり、その意味でも人が移動しながらものを見る世紀であった。ちなみにあの映画もまた、観客が仮想のなかで時空を超え、世界を動きながら眺める芸術ではなかったか。長年の映画の研究者が、移動する視線という新しい着想を得て映画を見直そうとしたのである。(山崎正和氏=劇作家)

「毎日新聞」2008年9月28日【移動する視線の社会学】

映画を見る行為とは何か。本書は、遊歩者による「移動性」(モビリティ)をもった視線とショーウィンドウを見る「仮想の視線」を結び、パサージュ、デパート、博覧会、ショッピングモール、テレビ&ビデオなどを例に、モダンからポストモダンへの変容を説いた学際的な文化論である。

「出版ニュース」2008年9月号

……本書の目論見はきわめて明快であり、「移動性をもった仮想の視線」という喚起力のあるキーワードが全体の記述を貫いている。十九世紀後半には、一望監視的な視線とは対極的な「移動性をもった視線」――観察者=主体を移動させる視線――が登場した。これは、ボードレール/ベンヤミン的なパサージュの遊歩者に典型的にみられるだけでなく、トーマス・クックが組織した観光旅行や、ゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』で鮮烈に描かれた女性の買い物客にも共通する視線である(ここで「女性の遊歩者」の存在に注意が促されている)。他方で、十九世紀末には、パノラマとジオラマ、次いで写真術といった前-映画的装置群の提供する「仮想の視線」の系譜がある。そして、映画の誕生は、両者の合流する地点に位置づけられるのだ。本書の前半では、この二つの視線の系譜を軸に、その他にも鉄とガラスの建築物や、万国博覧会や、遊園地といった十九世紀の広範な文化現象が分析されている。……フリードバーグのさらなる独創性は、本書の後半で、「移動性をもった仮想の視線」を、一九八〇年以降のショッピングモールとその中の複合型映画館(シネマコンプレックス)、さらにはビデオや仮想現実によってもたらされる体験にまで拡張して捉えている点にある。(堀潤之氏=関西大学准教授・映画研究・表象文化論)

「週刊読書人」2008年8月22日【映像メディア研究の必読書】

ショッピングモールとシネマコンプレックスに共通するものとは? 移動性について、そして想像上の仮想旅行=映画を見ることについて、時代ごとの変化を見ながら、これまでにない視点で論じている。

「キネマ旬報」2008年7月下旬号

本書は、アーケード商店街とデパート、映画館が組み合わされた街の中心商業地区(=モダニティ)が、郊外のショッピングモールとシネコン(=ポストモダニティ)に移行する状況について論じる。また、ポストモダニティにおける映画とテレビの役割にも言及。表象を通じた仮想の知覚体験が日常生活に入り込む過程と影響を分析している。代表訳者の井原准教授は「モールは、アーケード、デパート、映画館、遊園地などの特性を統合したテーマパーク。一九八〇年代までにアメリカ各地で起こった歴史的道程(ショッピングモールの出現)が、本書で理論的に述べられており、それが鹿児島でも再現された」と話す。

「南日本新聞」2008年6月21日【商店街の郊外移行を考察】