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山本史郎『翻訳の授業 東京大学最終講義』(朝日新書)

複雑なプロセス明快に

ディケンズの『クリスマス・キャロル』の一場面。孤独な老人スクルージのもとに7年前に死んだはずの共同経営者のマーリーの幽霊が現れる。スクルージは相手が本物の幽霊だということを信じようとせず、食べたものが悪かったので見えているのだと言いはるのだが、そのときに放った一言が、「何れにしてもお前さんは墓場(グレーヴ)よりも肉汁(グレーヴィ)の方に縁がありそうだよ」。これはいわゆる直訳で、原作がどのように書かれているか分かる訳だが、これに対して、原作の読者が笑うところで翻訳の読者も笑えるのがよいと考えれば、大胆に意訳して、「何にしても、あんた、恨(うら)めしやより、裏(うら)の飯屋(めしや)に縁があるぞ!」とするのが良いかもしれない。

訳者によっていろいろな訳があり、それこそがまさに翻訳の面白さなのだが、本書は、あなたはどちらがいいと思うかという問いかけから始まっている。そして、なぜそう思うのかと自問し、自分の判断の背後には何があるのかを考えることが翻訳研究の入り口になる、と著者は述べる。

本書は、東京大学で30年以上にわたって英語や翻訳について研究してきた著者が日ごろ教室で教えていた内容に「最終講義」で話した内容を加えてまとめたものである。著者によればコンピュータによる自動翻訳は「実用的な文章」には向いているとしても、「文学的な文章」には不向きだという。「通常の用法から外れているところに『文学的』意味が生じ、その面白さが人をひきつけます。…統計的確率を基本原理とし、例の数の多さが適切性の判断の拠り所となる機械翻訳とは、全く逆向きのベクトルをもったものです」

理想の翻訳とは何か。著者の考えは、直訳・意訳の二分法を超越したところで仕事をしていた偉大な先達、森鴎外の以下の言葉に集約されている。「私は『作者が此場合に此意味の事を日本語で言ふとしたら、どう言ふだらうか』と思つて見て、その時心に浮び口に上つた儘を書くに過ぎない」。本書はこの複雑なプロセスをわかりやすく丁寧に解き明かしてくれる。

2020年9月20日(「南日本新聞」掲載[一部改稿])