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朗読の愉しみ

「朗読」と言ったときに浮かんでくる一群の作家たちがいる。夏目漱石は「吾輩は猫である」を最初朗読で発表した。宮沢賢治は自作の童話を教室で読んで聞かせた。太宰治は「駆込み訴え」を口述筆記で一気に完成した。言い淀みはほとんどなかったという。

海外に目を転じても、ディケンズが舞台で自作の公開朗読をおこない、ドストエフスキーが口述筆記で「賭博者」を完成させ(筆記したのは翌年妻になる25才年下のアンナ・グリゴーリエヴナ)、カフカが「審判」を朗読したとき聴衆は笑いころげたという逸話がある。

こうした例を挙げていけばきりがないが、朗読向きの作品というものは確かに存在する。声に出して読んでいて気持ちがいいとか、聞いていて耳に心地よく、情景がくっきりと目の前に浮かんだり、感情が揺さぶられたりする作品だ。

これらは活字文化以前の口承文化の伝統に根ざした作品と言えるだろう。例えば、シェイクスピアの時代の演劇は、人工的な照明もなく、衣装も舞台装置も小道具も最小限のものだったから、ほとんどすべてを言葉だけで伝えようとした(ジュリエットは少年俳優が演じていた!)。シェイクスピア劇はいわば朗読劇だったのだ。

「声の文化と文字の文化」を著したウォルター・オングによれば、テクストを声に出して読むという習慣は19世紀になっても続いていたし、かつての声の文化に対する憧れも強く残っていたという。オングはその例としてディケンズの公開朗読を挙げている。

シェイクスピア劇を黙読することが、ある意味倒錯的であるように、印刷された文字を音読することもまた倒錯的かもしれない。しかし、私たちは文字の文化の中にも声の文化の名残りを認めることができるし、おそらくそれは私たちの自然な欲求と深く結びついたものである。

朗読は、語り手と聞き手との本来的なつながりを回復させる行為ではないだろうか。

2012年5月9日(南日本新聞コラム「南点」掲載) ※見出し画像は「朗読をするチャールズ・ディケンズ」(C・A・バリー画)。「ハーパーズ・ウィークリー」(1867年12月7日号)より。