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新宿の万葉集

アメリカ出身の日本文学作家リービ英雄。リービ氏は、プリンストン大学、スタンフォード大学で日本文学教授を務めた経歴を持つ。1982年に英訳「万葉集」で全米図書賞を受賞した。

リービ氏は17才の時、初めて新宿という街で生きた日本語の世界に飛び込んだ。その時に体験したことを日本語で表現するのに20年の時を要した。語彙の問題もあったが、タブーもあった。80年代にアメリカ人が日本語の小説を書こうとした時、二重の障壁があったという。一つは「なぜマイナーな日本語で書くのか」というアメリカ側の壁、もう一つは「ガイジンに書けるはずがない」という日本側の壁である。自分の作品を英訳してくれればいいという日本人の作家がほとんどだったなかで、初めて「お前も日本語で書け」と言ってくれたのが中上健次だった。リービ氏は87年に小説「星条旗の聞こえない部屋」を「群像」に発表し、日本語の作家としてデビューした。

リービ氏によれば、話し言葉としての日本語は数千ある言語の一つにすぎないが、書き言葉としての日本語は非常にユニークなのだという。その最大の特徴は、漢字、ひらがな、カタカナ、romajiなどが「混じっている」ということだ。そこには大陸由来の漢語と大和言葉と外来語との緊張関係が表れている。日本語を書くことは、こうした日本語の歴史に否応なしに参加することなのである。

前にも後にも、きびきびした足どりでみんな定められた方向へ脈動しているのは、何百人もの『しんじゅく』の人たちだった。かれらはベンの周りで、奇形な石に流れを逸らされた川波のように、二つに分かれて、ベンを後に残してはまた合流し、陸橋の向うに広がる街へこぼれて行った。

「星条旗の聞こえない部屋」

大陸と島国。古代と現代。「新宿」と「万葉集」。こうした二つの文化の間の往還が新しい日本語の歴史を作るのである。

2012年3月14日(南日本新聞コラム「南点」掲載)