見出し画像

【日曜:雑多な話⑨】自分たちで勝ち取ったわけではない”民主主義”

こんにちは、アスカです。
西日本はまた大雨のようで、
何もなければいいのだが…と思っております。

さて、今日はちょっと政治的? 思想的? な話になります。
昨日で1年になった、あの事件のお話です。

あくまで個人の意見・感想の走り書きであることを、
何よりも先にお断りしておきます。

<あれから一年>

昨日、安倍元首相の事件から1年になった。
正直、あまりに早くて驚いている。

当日のことはいまでも覚えているし、ついに日本もそんな国になったのかと思ったものである。

そしてさらに、この事件直後の選挙結果や、
被害者を神格化するような動きや、
犯人への支持(同情)も出ていることに激しい違和感を抱いて、
結果として「あ、この国ってそういえば「民主主義を勝ち取った国」じゃなかったんだ」という感想に落ち着いた。

<民主主義とは何なのだろう>

私は、あの事件を極限までシンプルにして、
「政治家が政治活動中に一般人に殺された」という、民主主義を揺るがす大事件だったと捉えている。
私怨を募らせていた対象が偶然近くに来たから行動を起こした、だけでは収まらない話になってしまっている。

(間接)民主主義が、主権が国民にあり、その国民が選挙によって選んだ代議士が主権者の代わりに実際の政治を担うシステムとすると、
その代議士が政治活動中に主権者によって殺害されるというのは、システム破綻の危機なのではないか。

感情で情状だのと言う以前に、
自分たちの生活がかかっている話だと思ってしまうのは、頭が硬く心が冷たく、ものがわかっていないんだろうか。


もちろん、私は民主主義が人類の最先端で最良で史上最高の発明品だとは思わない。
ただ、一連の流れと、いつもの投票率の低さとで、特に日本において民主主義ってなんなのだろうと思ってしまう。

そんな時、ふと思い出した言葉があった。

イギリスの女性活動家の言葉だったと記憶しているが、
「権利は戦って勝ち取るもの」
この文脈での「権利」とは、「女性の政治的権利」のことである。

これを権利全般に拡大して考えたのだが、
日本人は「戦って主権(民主主義)を勝ち取ったわけではない」。

むしろ「戦争に負けて与えられた」ということで、
先の言葉とは見事に真逆のように思われる。
それゆえ、当事者意識が低いのは当たり前なのかな、と思った。

政治は「お上」がやるもの、という姿勢だなというのは、本当に昔から感じてきたことである。
こうして政治的な話をすると煙たがられるくらいには。

しかし、価値観が多様化しようが許してはならないものはあるし、
社会の基礎となっているものが揺るがされるのは、
価値観の多様化以前の問題ではないのだろうか、と思う。


…と。
この手の話をし始めたら止まらない。
原稿の段階ではこの倍の分量がありましたが、
ちょっと内容的にもどうかなと思ってカットしました。

改めてになりますが、あくまで個人的な印象の覚書であることをご了承ください。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

3か月連続投稿チャレンジ中です↓

2023年7月9日
アスカ
#asuka_71
#毎週日曜は雑多に語る

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?