【日曜:雑多な話④】今月ちょっと縁のあった「三次」の話
こんにちは。
朝からバタバタとして気が付けばこんな時間のアスカです。
土日の命はなぜこんなに儚いのでしょう。
今日は軽く、今月妙に縁のあった「広島県三次市(みよしし)」について書こうかなと思います。
<今月やたらと三次という名に出会う>
こちらの記事で書いている通り、GWに三次に行ってきました。
で、今月読んだ本の訳者さんの出身地も三次市だったんです。
同じ月の間に、別ジャンルで二回も名前を見ることになるとは何かの縁かなと思い、ちょっと調べてみることにしたのでした。
<名前の由来>
まずもって、初見では読めない「三次」という名前。
一体どんな由来が? と思い調べてみると、こんな説明がありました。
なぜその漢字になったんでしょうね…?
その謎については記載がありませんでした(笑)
上記内容記載の資料(https://www.city.miyoshi.hiroshima.jp/uploaded/attachment/6522.pdf)
<歴史~古くは山陽・山陰を結ぶ要衝だった>
歴史については公式HPにも記載があります。
山陽と山陰の、ちょうど真ん中に位置する盆地である三次市。
水運とたたら製鉄で栄えてきた、交通の要衝の街だったようです。
出雲から直線的に真南、というのは興味深いですね。
市中心部を拡大すると、川に沿って拓けた街だとわかります。
何でも三つの川が合流しており、広島県内に降る雨の約三分の一が集まるそうです。
なるほど、水の村であるわけだ。
その川で行われる鵜飼は、400年の歴史を持つのだとか。
HPによると奈良時代には税として鉄の鍬を納めていたということですから、
製鉄の歴史も古い。
かつ、全国的にも珍しい、古墳の密集する土地なのだそう。
戦国時代にも山城が多く築かれた跡があるらしく、
地理的に重要な位置にあったことがうかがえます。
時代とともに交通手段は変わり、「中心地」というのもそれに合わせて移っていくものですが、三次もそのような経過をたどってきたのだろうかと考えてしまいます。
船や徒歩が中心だったころは中継地点として重視され、川が集まっているということで軍事境界にもなったものの、
現代のように鉄道が有力な長距離移動手段となっている時代では、強い鉄道が通っているわけではないとなると若干不便な印象になってしまうのかもしれないです。
…というのは車を運転しない私の観点でございまして、
運転できればそんな大変な場所ではないのだと思います(笑)
ただ、学生の頃に三次から通ってきていた同級生が「大雨で芸備線(JR線)が止まったので休み」というのをよく聞いていたので、
三次って大変なんだな…? という印象が残っているのでした(笑)
<画家とか学者さんを輩出している…と思ったら>
私が今月三次市の名を見たのは、
GWの奥田元宋・小由女夫妻と、読んでいた本の共同訳者で東洋史学者・島田虔次(しまだ けんじ)氏のお名前を通じてだったのですが、
画家も学者(しかも京大卒)も当時を考えるとなかなかなれるものじゃないよなぁ、と感じまして、
そこから三次ってどんな土地だったんだろうかと気になった次第でした。
その謎は結局解明できませんでしたが(笑)
昔からのおうちが多いお土地柄なのかしら、と思うなどしています。
あと、関係あるかはわかりませんが、三次市出身のプロスポーツ選手多い。
人口約五万人(令和五年4月時点)の市から、HPで確認できるだけで15人も。結構多くないですか?
野球選手が多いのは、やはりカープの影響なのかしら。
…以上、
特にヤマもオチもなく、
ただ私が三次について知りたいと思ってちょっと調べてみましたの巻でした。
こういうことは現地の博物館に行くのが一番ですね(笑)
さて、明日から全国的に台風の影響下に入ってくるのか、雨ですね。
5月も終わりますし、梅雨がやってくる。
今年は大雨被害が出ないことを祈ります。
それでは最後までお読みいただき、ありがとうございました。
2023年5月28日
アスカ
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