哲学のミニレポートで書いた文章


 「はたらいたら負けだ」という言葉がネットミームになるほど、労働にはあまりいいイメージが付きまとわない現代である。当たり前だからという理由や賃金を得るという目的のためのみに企業に就職し、その中で主体的でなく強制的に働かされているという認識をもつ人は少なくないだろう。この認識は企業が人間を、価値を生み出す商品としての労働として買い取っている構造、すなわち自分が替えのきく労働力に過ぎないのだという認識と、資本主義社会において商品が自分の手元を離れた先が見えにくく、自分の労働力の結果を認識することが難しくなっているという現状に原因があることは授業で説明されたとおりである。本ミニレポートにおいては、コロナによって大きく変化した今における労働や商品に対する価値観について論じ、その後人間がより労働に関して生きやすくなるためにはどうすればいいのかを考えていこうと思う。
 未曽有の事態であるコロナ禍においては、人間の生活様式とともに労働に対する意識も大きく変わった。毎日会社に通い、集まって同僚とともに働く生活様式から多くの業種においてはリモートワークという形態をとるようになった。これにより人との距離が遠くなり、自分が生みだした労働の価値が見えづらくなり、また働いている実感がうすれ、社会人として認められている実感も薄れた。同時に一人で考える時間が長くなったことで、自分が労働する意味、ひいては生きる意味について考え、替えがきく人間として絶望を覚えた人も多かったように思う。一般的な業種についてもそうであるがまた、エンタメ業界や風俗、水商売などの人と会うことがメインの仕事も大きく打撃を受けた。コロナ以前はアイドルや嬢がひしめき合う中、自分が商品として扱われ消費される感覚、誰かの理想を演じ続け自分に嘘を強制的につきつづけるという感覚による疎外感があったとは思うが、一方で人と直に接することで自分の労働の結果が見えやすい業種でもあった。アイドルならファンの笑顔を数字や文字だけでなく感じ取ることができ、この一点においては労働からの疎外から逃れやすい業種でもあったといえる。しかしながら、緊急事態宣言においては、エンタメ等の仕事が不要不急とみなされてしまった。多くのエンターテイナーが自らの仕事を否定された気持ちになり、自分がいなくてもいいのだと感じたというのは、昨年の5月ごろ我々のよく聞いたところである。また一方ではそれらと対照的に医療現場において労働する人々がやりがい搾取されている、という話が今も多くある。この緊急事態において彼らを動かしているのは賃金ではなく使命感が主だろうことはその待遇を感じてとれる。
 このように労働による疎外感による絶望をどのように解消すべきか考える。一つの案として、ベーシックインカムの導入がある。これは社会主義制度の部分的導入のようなもので、比較的現実的なモデルとしては、障碍者手当などは残したまま相続税を基本的に100%にする一方で国民の基本的な生活に必要であると考えられる月約10万円を支給するというモデルが考えらえる。これをすることによって仕事をすることは当たり前のことではなくなり、人々が主体的に仕事をすることができるようになる。また、人々が主体的に仕事をするようになることで、仕事を選択するようになり、やりがい搾取が起こっている業種において見直しがされるほか、個人委託の仕事が増え、人々がより個人の得意を生かして労働に向き合えると考える。一方で、ベーシックインカムの導入には一定の財源の確保が難しい、格差が広まってしまう懸念がある、などと問題は多くある。そのような状況下において、現代の我々はどのように労働に向き合えばいいのだろうか?一つは、労働の結果を賃金以外に見出して各人が主体的に労働をする意識を持つことである。自分が手段となるのではなく、自分自身の目的のために労働を行うという意識が必要だと思うのである。2020年の12月22日からは風の時代らしく、テレワークが普及しはじめSNSなどを利用して誰もが簡単に物事を発信するなどしやすい環境が整いはじめた現在においては、この意識改革がなされるのではないか、と考えている。また、逆に労働に対して自分という存在から解離させるというのもひとつの考え方であると思う。これは労働力を商品として自ら売り出すという意味であり、あくまでも自分が労働において消費されるわけではない、と考える方法である。これは特に自らが商品として売り出されがちなエンタメ業界において有用な考え方であり、同時にそのエンタメ業界におけるサービスを労働する個人と一つ違うところで見る視点も受け取り手側として必要な思想であると思う。つまり、アイドルに対してプライベート詮索をするな、という話である。労働として彼ら彼女らがステージ上にいることは忘れてはならないのである。自戒の念が強く少し話がそれてしまったが、労働者の立場としては、労働と主体を切り離して考えることで消費される疎外感から逃れようということである。
 以上、現在における労働や疎外に対して考えてきた。コロナ禍で大きく環境も変わり同時にAIや機械が台頭し始めた現在においては、今まで労働において消費されてきたと考える人々や社会が変化するチャンスなのだと思う。個人が主体的に労働を行える社会になればいいなと思う。

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