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松任谷由実の思い出2

2019年に松任谷由実を観たときと、2023年と、何が一番変わったかって言ったら姉が亡くなったことだろう。横浜アリーナで『海を見ていた午後』を聴いてから3ヶ月が過ぎた頃だった。
そのあと感染症の脅威で市民生活はすっかり変わり果てたけれど、俺たち家族にとっては何が重大で何がそうでないかはわからないままだった。他人との距離が遠ざかった世界は、喪に服する気持ちに寄り添ってくれたのかもしれないし、忘れることを許さずにその痛みを長引かせたかもしれなかった。
それが今年の5月になって、これまでの3年間はすべて間違いだったかのように街は慌ただしく動き始めている。先月に会ったときは思いのほか元気そうで安心した母親が、まるで3年前に戻ったみたいに落ち込んでいたのは世間のムードと無関係じゃないのだろう。

今回のツアーは50周年だっていうから、『海を見ていた午後』から5年が経ったんだってわかりやすくていい。ツアーの始まりが横浜からだって知ったときにはもうチケットが売り切れていて、だけど観れることなら初日を観たいな、松任谷由実でも緊張したり間違えたりするんだろうな、って諦めきれずにいたところにチケットぴあからメールが届いて、「注釈付きS席」、つまりステージが見えづらいけどそれでも観たいっていうファンの気持ちに応えて追加で座席を作りましたっていう、まさに俺が求めていたものが今ここに用意されています。あいにく初日の初日は予定があって行けなかったけれど、2日目の横浜ぴあアリーナに行くことに決めた。
どうせ行くなら誰かを誘おうかと考えてみるけれど安くないチケットなのでなかなか難しくて、思い浮かんだのが母親だった。2023年5月14日はちょうど母の日で、いつもならそんなの一切無視だけど、自分が観たいものを観るついでに親孝行までしたことになるんなら一石二鳥だと思った。
それに、浅はかではあるけれど、自分よりも先に生まれた人間がステージで動き回っているのを観たら、母親にもまだまだこれからの人生があるんだって感じられるんじゃないかっていう期待もあった。だって2019年に松任谷由実を観た俺でさえそんなふうな気持ちになったんだから。ただ懐かしむだけのものじゃないんだ、想像を超えることがこれからも待っているんだって。

待ち合わせた母親を見てまず思ったのは、「美容院で髪を染め直したらいいのに」ということだった。その時点でどうも様子がおかしいなって感じたかもしれない。だって先月に会ったときは姉の話をしても泣いたりしないで、むしろこれから自分の仕事をどうしようかなんて話までしてたんだから。そのときの印象があったからこそ今回母親を誘えたのだとも思う。母親と姉は連れ立ってコンサートなんかにもよく行っていたから、その埋め合わせを買って出ている自覚はあった。そこに無理や作為が感じられなくなるくらいまで、母親の傷が塞がっていてほしかったから。

松任谷由実のコンサートを観ていてあらためて感じたのは、お別れをテーマにした歌の多さだった。もう二度と会えない人、遠くに行ってしまった友達。それでも元気でいてほしい、いつでも胸に抱いて生きている。男女の恋愛を想定して書かれたものが多いだろうとは思うけれど、そこに姉の存在が重なっていくのを止められなかった。2019年と今とで、自分はもうとりかえしのつかないほど違っているのだとわかった。

コンサートを終えて会場を出るとすぐ、母親は泣きながら姉のことを話し始めた。話の内容は今に始まったことじゃなくて、この3年間くり返しくり返し共有し続けてきたことだ。だけど、「今さらそんなこと言ってもしょうがないじゃん、人生まだまだこれからだよ」なんて思わないし、思ったとしても言う意味がないことは技術として知っている。傘をさすほどでもない霧雨に降られながら母親の話に相槌を打ち、これが俺の仕事なのだ、と思う。
そのあとメキシコ料理屋で食事をした。俺はそのお店を「兄が学生時代にバイトしていた場所」として認識していたから、思い出話に花を咲かせるのにちょうどいいと思って選んだ。そしたら母親が、「あなたとお姉ちゃんと3人でここに来たこともあったよね」と言うのでハテナマークだった。言われてみればそんなことがあった気がする。ここでメキシコの瓶ビールを飲んだ記憶はあるけれど、そのとき誰と一緒だったかは思い出せなかったのだ。母親と姉と3人で外食したことなんて片手で数えるくらいしかないはずだから、もっと覚えていてもいいじゃんね。

駅で見送ってすぐ、「ユーミン最高でした」というLINEが届いた。母親はメキシコ料理屋のお会計だけじゃなく、俺のぶんのチケット代まで払ってくれた。これじゃ母の日も親孝行もなんだかわからない。だけどそれくらいの仕事はしたよなって、ありがたく受け取っておくことにした。

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