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マインドフルネス5

2週間ぶりのカウンセリングを、俺は決して前向きな気持ちで迎えることができなかった。先生が前回の内容をざっとおさらいし始めたが、その話を聞いているだけで涙がこぼれそうになってくる。まだ本題に入ってすらいないのに、それを目的としてここにやってきたのに。「という話でしたよね」と先生が投げかけるが、俺は返事をすることができなかった。
治療の意義を見失ったわけではなかった。だけど、これまで失ってきた可能性の多さを思い知って途方に暮れていたのだ。絶対に勝てないルールのなかで何も知らずに戦ってきた。今までの努力は無駄だった。惨めだと思った。この日は結局本題に入ることもできず、応急処置をするようなカタチで、いま自分が置かれている状況について先生から説明を受けた。なんとか気分を持ち直したところであと10分ほどしか残っていなかったので、ちょうど良い機会にマインドフルネスの復習をしましょう、ということになった。

マインドフルネスは今年の初めにレクチャーを受けてから、ほとんど毎日欠かさずに実践している。実践はしているけど、それが正しく出来ているかどうかの答え合わせをすることはできない。
基本のルールは「3点」で、1、考えが浮かんでいることに気づく。2、考えの内容を観察する。3、脳が感じさせていることから現実の軸に戻す。俺が教わっているマインドフルネスではこの3点を延々とくり返すことになる。ルールだけを文章にすればシンプルだけれど、それをどの程度のスピードで、どの程度の大きさで打つのかを具体的に伝授することはできない。そもそもこれは目を開けたままでもいいんですか?と質問すると先生は、「どちらでもいいですよ。タイマーを見ている僕がずっと視界に入ることになりますけど」と言った。どちらでもいい、ということを確認できただけでも収穫だった。俺はいつもそうしているように、目を閉じることにした。

アラームが鳴って目を開けると、身体が楽になっているのをはっきりと感じた。楽になるためのものではないとわかってはいるけれど、結果として楽になったのだ。先生の誘導に従いながら、自己流のルーティンに修正を入れることができたと思う。特に理解が深まったのは3つ目の点だった。3つ目の点で俺は現実の軸に戻していたのではなく、ただ呼吸に注意を移動させているだけだったのだと思う。それは確かに、ひとつの考えにとらわれ続けることから抜け出せてはいるが、現実の軸に戻すこととはまったく違う。
今回のマインドフルネスで垣間見た「現実」は、もっと無機質で空虚。不安も喜びもないくらい殺伐とした荒野だった。そして、その荒野に立つことから始まるのだと思った。荒野にいるんだ。草木も生えない不毛地帯。ビルも灯りもない世界。宇宙からやってきたとしたらどうする?未来からやってきたとしたらどうする?これまでの失敗や悲劇が何もかも無かったことになったらどうする?もしくは、もうすでに無くなっているとしたら。
今回のカウンセリングは本題に入れず、どぶに捨てたようにも感じる。だけど今の自分にとって必要だった。前回のカウンセリング後には感じられなかった、自分がひとつにまとまっている感覚がある。さて、これからどうしよう。

「好きなところに行っていい」と頭のなかでくり返す。それはカウンセリングで教わったことのひとつだった。俺はそのことをまったく知らなくて、どうやらそうらしいという程度にしか信じることができないでいる。このあとどうしよう。昼は過ぎたけれどそんなにお腹は空いていないし、でもいま食べておかないと夕飯に困る。海に行くのもいいけど、このあいだ行ったばかりだし遠いか。新宿や渋谷には用も無いな。歩きまわって疲れるよりは大人しく家に帰った方が無難か。なんてことを考えながら、駅の改札に着いた。どうする?
いつもなら途方に暮れる場面だけれど、このときは違った。「本当に好きなところに行っていいんだ」と思った。その「本当に」という感覚が、これまでの俺には無かったのだと気づいた。あぁ、この感覚を忘れないでいたい。それにしても、これからどうする。俺は迷ったまま改札をくぐって、迷ったまま電車に乗った。迷ったままハンバーガーを買って、迷ったまま公園に着いた。ブオーというノイズが聞こえるから何だろうと思ったら、人間が乗って運転するタイプの芝刈り機が公園の中を走り回っていた。

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