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療養日誌①

プールで水を吸い込んだとき、鼻の奥がツンと痛むことがありますよね。最近は夕方になるとあれのひどいやつがずっと続くような感じで、これも感染症の症状なのかもしれません。始まりはもう二週間も前のことです。目が覚めたら喉に違和感があって、痛いというよりは痒い感じで、エアコンをつけっぱなしで寝ていたせいかと思ってフィルターの掃除をしました。もう、いま思えばこの時点から「典型的」なのですが、普段はあまりニュースを見ないようにしていたこともあって、自分に起きていることが何なのか受け止められずにいたのです。その日は仕事に行きましたが、でもなんだか調子悪くて、夕方に恐る恐る抗原検査をやってみたら陰性だったので、安心したようなスッキリしないような気持ちで労働を終えました。ただ、労働を終える頃にはなんだかおかしい感じが確信に近づいていたので、自分がいなくても仕事がうまく回っていくように下準備をしてから帰りました。その、なんだかおかしい感じの一番は、「暑くない」ということだったかもしれません。天気予報では猛暑が続いているはずなのに、全然暑くないし汗が出てこなかったのです。自律神経失調症だ!と確信した俺は自分の汗腺を奮起させるべく、長めにお風呂に入りました。でも、いっこうに汗は出ず、むしろ体内に熱を籠らせる結果になったような気がします。(あのとき不必要に熱された俺の脳は大丈夫なのか?)その数時間後には体温が38.8℃まで上がっていたので、解熱剤を飲んで眠りました。しかし、暑さを感じないので、知らず知らずのうちに熱中症になってしまうのも注意しなければなりません。できれば羽毛布団をかぶって眠りたいくらいだったのですが、エアコンをかけて、換気のために窓を一部だけ開けっぱなしにして、枕元に水を置いて、感染症と熱中症という二重の恐怖に怯えながら眠りました。翌日、感染症の疑いは保留のまま仕事を休むことにして、高熱にうなされていました。うなされるといっても、精神的にダウンする感じはなく、むしろ少しテンションが高かったくらいです。とにかく怖いのは暑さを感じないことでした。俺は布団に寝転がって、志村貴子の「放浪息子」という漫画をひたすら読み続け、登場人物たちの健気さにたびたび涙を流しました。この涙が俺の体温を奪ってくれれば、と願いました。夕方、職場から抗原検査キットを届けてもらい、再検査をしたら陽性でした。その結果を見ても何も感じませんでした。混乱とも安心ともつかず、脳の熱っぽさでいまいち頭が回らないのです。そしてここからは業務連絡の嵐で、静養とはほど遠い慌ただしさです。iPhoneとLINEがある限り、どこに行っても一人にはなれないんだな、と思いました。人生における感慨の多くがそうだと思いますが、自分のうちにとどめているあいだは現実社会において何も起こっていないのと同じことです。文字に起こすとき、他人に伝えるとき、自分の声帯を震わせるとき、初めて現実の出来事になるのです。「陽性でした」と他人に報告したとき、ようやく俺は陽性患者になりました。やっと会えた、と思いました。ずっと噂には聞いていました。2020年の2月、横浜の港に客船がやってきたときから。あれからずっと噂には聞いていました。推測し、恐怖し、警戒し、敵対し、慢心し、のらりくらりとやり過ごしてきました。確かに俺もその渦中にいたはずなのですが、それはホントのホントの実感とはほど遠いものでした。だけど、本当にあったのです。ようやく俺の身体に辿り着いたのです。今度は俺が船になって、この土地を案内する番でした。やっと会えた。やっと当事者になれた。もちろん、得体の知れない困難を引き受けることに違いないのですが、どこかで、ほんのわずかの嬉しさもあったような気がします。俺が今日から恐怖するのは決して幻なんかではなく、俺の身体に起こる現実的な不具合なのですから。

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