松茸論

ある交通事故にそれが起きなかった可能性が書き込まれていたとわかれば、松茸が毒茸として振る舞わないことの欺瞞がわかるはずだ。人を惹きつけるものは犯罪的なのだ。まるで起きなかった事故のように、あるいは起こったことに気づかなかった事故のように、無意識にひとを消費に駆り立てる新宿と松茸の犯罪性。なんの種類の毒茸にも似ていない、蠱惑的で地味な女のような、そんな詐欺茸を、香りだけで選ぶ、そうした無知へわたしはマルクス流の啓蒙をほどこす。ロシアの茸。チェルノブイリの茸。チェルノブイリがニガヨモギを指すことを知っていて、おおぜいのパリの詩人たちをだめにした、アブサンを思い浮かべる、それをスノッブと世に言うのだ。アナトールフランスに再教育されるべきだ。わたしは。わたしをアナトールフランスで再教育すべきだ。わたしにアナトールフランスが再教育を施すべきだ。
まるで狂気からかけはなれたこの痙攣みたいな文体は本当のけいれんを知るてんかん患者の前ではお笑い種だろう。
静寂がうるさいという経験を、眠られぬ夜にしたことは?チェルノブイリ発電所を鎮火した消防士の夢を見たことは?彼らのことを考えたことは?そう自問すると、まるで松茸は扇情的でなくなった。
そのことにわたしはぞっとして、すべてを隠喩としてみることの下品さを知り、恥ずかしくて死にたくなった。
しかしやはり、わたしは松茸を裁判にかけたい。松茸は絶対に人を刎ね飛ばさないドライブなのだ。絶対に人を刎ね飛ばさないドライブをするには、ドライブをしなければいい。松茸は、わたしたちをドライブに誘っておきながらエンジンをかけすらしないのだ。これは詐欺罪にあたるのではないか?とわたしは考える。松茸のフェラーリ、とかそういった高級車を破壊するのは簡単だが、それは犯罪だ。わたしは犯罪の告発をしたいのであって、犯罪者になるのはまっぴらごめんだ。だから、わたしは告発者でありつづける。松茸を訴えることをやめない。
わたしは松茸の弁護人となった。松茸を拷問するために。松茸を無罪にするために。松茸が苦しむ形で無罪にするために。わたしの給与のために。松茸を買うために。
わたしが松茸に教えた手口はこれだけだ。
「裁判を無限に長引かせれば、あなたはいつまでも無罪でありつづけられます」
松茸は終わらない裁判へと引きずりこまれた。わたしは告発者であろうとしたが、合法的な犯罪者となった。松茸は合法と非合法の裂け目で、裁きと許しのあいだで苦しみ続けるのだ。わたしの勝利は確定した。松茸の無自覚な扇情性を、封じ込めたのだ。
ことはそう上手くは運ばなかった。第一審で、松茸は心を持たないので、責任能力がない、とみなされたのだ。裁判は終わってしまった。永続させるつもりだった裁判が。
わたしは松茸を告訴した。というよりもともとがそのつもりだったのだが、遠回りをしすぎた。どうして弁護人になどなったのだろうか?わたしは気がおかしくなっていたに違いない。告訴状を書かねばならない。わたしは弁護人でもある。わたしが告訴状を書くということは、弁護士バッジが告訴状を書くということだ。松茸からせしめた弁護料で買ったので、松茸は腐るほど手元にある。やはりわたしを、嘘の魅力で騙そうと必死だ。今度こそ松茸を殲滅しなくてはならない。

告訴状

松茸は隠喩でなく黒魔術である。菌糸の塊である自己を隠し美食の衣をまといわれわれの臓腑に入り込む。黒魔術の本質的な部分がもうすでにここに現れている。われわれの臓腑はわれわれでありかつ隣人より遠い他人である。わたしはわたしの臓腑に、声帯に、筋肉に直接的な形で出会ったことがない。これは白魔術的である。自身をひた隠し外側からやってくる黒魔術の松茸、身をやつしてわたしに尽くす白魔術の器官たち。文字通り白黒つけるなら松茸は黒であり、封印すべき魔術である。わたしは松茸のそうした存在のしかたが犯罪的であると告訴したい。松茸が誠実に存在しようとするなら、ただの菌糸としてあるべきである。わたしはその欺瞞を告訴しているのだ。これは松茸の心身の問題ではない。存在の問題なのだ。ゆえ、松茸を法的に処罰することはできないが、倫理的にはすることができる。わたしは憎む。松茸ごはんを。土瓶蒸しを。

裁判所からの返答

あなたはまず、松茸の欺瞞性より自身の欺瞞に目を向けるべきだね。あなたの意見は正しすぎるよ。われわれは弁護士バッジでなければならないし社員証でなければならないし、職人の掌でなくてはいけない。つまり、直接にわれわれであることは一番の罪なんだ。あなたはあなたすぎる。だが、語り口はあなたではない。あなたは菌糸であるが、松茸なんだ。あなたの断罪したいものがあなただ。そもそもわれわれがわれわれであることなど不可能なんだよ。すべてが腹話術なんだ。シェイクスピアのあとに生まれてしまうとは、つまりそういうことなんだ。彼の作り出した鎧を着ないというのなら、あなたを心神喪失者として入院させることも、こちらは検討しているよ。
シェイクスピアのあとでは、偽者であり続けなくてはいけないのさ。もしそれが嫌なら、悲劇という形式を再生させることだね。

#詩

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