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始まりはオックスフォードのBDシャツ【style】


一枚のシャツから、男性の嗜好ばかりか時代の変化も見える。今回はそんな雑文だ。
(なお、試験的に写真の代わりにAmazonのリンクを多用していることをご了承いただきたい)


男もイロケづいてくると(女の子の目を意識するようになると)、着るもので主張したくなる。だいたい中学生くらいの時期だろう。私もそうだった。

ほとんどの人は中学時代は制服で過ごしたと思う。詰襟の学生服の下には親父と同じ白のワイシャツ、カッターシャツとも称したろうか。
夏服になる季節には露出するシャツでチョイと差をつけようと選ばれるのがボタンダウンシャツだった。

ボタンダウン(BD)シャツはアメリカのBrooks Brothers社が考案した、アメリカンスタイルの象徴と言っていいシャツだ。商用で英国訪問中だった同社の社主がポロ競技中の選手のシャツの襟がはためくのを見て、ボタンで留めることをひらめいたとも、既にボタン留めされていたのを見て商品化したとも、諸説ある。
私が中学生の頃だとBrooks Brothersや双璧を成すJ.Pressも日本には進出しておらず、少年たちの憧れは日本にアイビールックを紹介したVAN(ヴァンヂャケット)の商品群だった。

だが、中学生にはシャツ一枚でもVANの商品はヒョイっと手を伸ばすわけにはいかない値段。確か4,000円近い値付けだったと記憶している。
当然、VAN以外の安いメーカーのBDシャツを探すことになる。私が初めて手にしたBDシャツは「vox」という中堅メーカーのものだった。VANやJUNにあやかった三文字ブランドが多数存在していた時代。
voxのBDシャツはVANのほぼ半額とは言え、親父のワイシャツのような薄手のツルツル生地ではなく、オックスフォードクロスという織り目のクッキリした、タフそうな肉厚生地。自分の意思で選んだ、初めての服と言っていい。
もちろんそこには「BDシャツはオシャレでカッコいい」という、当時の中学男子の共通認識があった。
ドブネズミにも例えられた背広と組み合わせるようなオジサンなシャツとは違うのだ、という。

だがしかし、

1978年にVANは倒産する。
それがかえってアイビールックのリバイバルを加速させた側面はあった。本場アメリカからのJ.Press、Brooks Brothersの日本進出、ラルフ・ローレンの台頭、アメリカンファッションのルーツでもあるブリティッシュファッションにまでさかのぼる盛り上がりを見せた。

だが1983年ごろから日本はDCブランド(デザイナー・キャラクターブランド)の大ブームが訪れる。

思えばDCブランドブームは日本のメンズファッション混沌の幕開けだったようにも思える。DCブームの終息以降はかつてのようなメンズファッションの目立った潮流はなく、短期サイクルで一定の注目を集めては移り変わっていった。
青年層以上の世代になると「クラシコ・イタリア」への注目から、アメリカンスタイルのファッションは時代遅れとさえ認識されるに至った印象だ。


同じ頃だと記憶しているが、急激に成長してきたファストファッションがシャツのメインアイテムにBDシャツを据えたことから、世の男性諸氏は一層BDシャツへの忌避感を強くしただろう。

近年ではファッション関係者から、「スポーツ由来のBDシャツはスーツに合わせるべきではない」という主張がなされたこともある。
大変申し訳ないが私の知る限り、これを主張したのはメンズファッションの上辺だけをサラリと眺めただけであろう一部の女性評論家たちだった。
それを言ってしまうと、スーツも発祥はカジュアルウェアであることとの整合性を失ってしまうことになる。スーツは普段着なのだ。そこからビジネスウェアとして許容されたに過ぎない。ならば、アメリカが生んだドレスシャツでもあるBDシャツをスーツに合わせてはいけない理由なぞない、というのが私の考えだ

日本人はどんなに頑張ってみたところでイタリア人にもアメリカ人にもなれない(国籍は取れるだろうが)。ならば長い洋装の歴史で親しんだそれぞれの国のアイテムを好きに取り入れるのはアリだ。

アイビーリーガーへの憧れだろうが特に強い思い入れなく選んだファストファッションであろうが、世代による違いはあっても、ちょっとした装いの自己主張の原点がボタンダウンシャツではなかろうか。装いに自信のある方なら臆することなく、そうでもなくても背景を少し知って袖を通してみてはいかがと思う。


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