Phaさん(日本一有名な元ニート)、るってぃさん(プロ無職)がネットから離れてアートに目覚めて思うこと

Phaさんがバンド始めてリア充になる

楽しかった。無音のスタジオの中でドラムをバシンバシンと叩くと、叩いたときの反響音がグワンとかグオンとか響いて、その倍音の響きがとても気持ちよかった。

るってぃさんが禅や絵を描き始める

生きていると、言葉にできない感情とか、数値化できないもののほうが圧倒的に多いじゃないですか。でもSNSには、わかりやすい言葉と数字で表現できるものしかない。解像度がすごく低いんです。

バズればバズるほど“フォロワーに称賛されるだけの、それっぽい自分”ができあがっていきました。

「叩かれたくはないけど、注目されたい」と思えば、伝えたいことより「多くの人に求められている発信」を選んでしまうのが普通です。

このへんはとてもよく実感できるところであって、自分の場合は2015年あたりからじんわりとした感覚はあった。このひたすら同じことをグルグル繰り返すだけの空間にいつまでいても意味ないなと。

実際問題、今のTwitterなぞは同じことを延々と繰り返しても退屈も苦痛も憶えない発達障害者のためのコミュニティーになっていて、故に借金玉やら@rei10830349あたりが跋扈しているんだろうなと思えるし、一定以上の距離を取りたいと思える。

具体的な「共感」が広がるSNSの世界で楽しく遊ぶには、自分の感性が爆発する「抽象化された世界」も知っておくべきだと思ったんです。
成功している経営者ほどすごい高額でアート作品を買う人が多くて…何にそんな価値があるのか疑問でした。だから知りたいし勉強したい、自分でも描いてみたいと思ったんです。

---実際に絵を描くようになって変化はありましたか?

めちゃくちゃ心が満たされました。
「自分にこんなエネルギーがあったんだ」「自分はこんな色が好きだったんだ」って自己理解が深まっていきます。
自分自身の内面に触れる感覚があるんです。

文学がアートかそうでないかについては議論があると思うが、るってぃさんとPhaさんが共にテキストで成り上がり、そして病的になった結果、音楽や絵といった自分の内面を曖昧に表現できる方向にいって救われたとコメントしているのが面白い事象だなと思う。

文章は自分の考えを他人にも読めるようにした時点で、純度を下げているというか、どこか歪んでしまっているという感覚がそこにあって、ある種の媚びのような苛立ちのようなものがある。そんなことは文章を書く人間なら必ず感じているハズだ。

そうした心の違和感を無視して左脳側にどんどんズレた動きばかりしているとバランス感覚が失われて、どこか頭がおかしくなっていく。常人であればこれは予感するところであって、やはり身体感覚を大事にしない限りは健康を害する。

発達障害で最初からバランスがおかしい狂人以外は。

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