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看護師になりたかったわたしへ

おことわり

ひさびさにnoteを開いたら書きかけの長い下書きがあったので、
すこし書き足して放出してみます。
たぶん自分の気持ちの区切りとして、けっこう前に書いたやつ。

いっしょう日の目を見なくてもいいんだけれど、まあ供養ということで。


あ、それと、相応に長いので、温かい飲み物でもいれてからどうぞ。



(※このnoteには、見る方が見たら不快になるような表現が多分に含まれますので、ご自身の責任でお読みください。)

はじまり

幼稚園くらいの時から、ずっと看護師になりたかった。


喘息やアトピーで、小さい時から何度も何度も病院にかかった。入院もした。


なぜ看護師になりたいと思ったか、どの瞬間に決意したのか、なんて覚えていない。


小学校のとき、走ったらゼーゼー言うからしんどくて、
業間休みに友達と鬼ごっこが出来なかった。
だから休み時間になると先生に見つからないよう、こっそり教室に隠れた。
当然、友達は出来なかった。

マラソン大会も、予行練習か本番か、どちらかにしか出られたことがない。
予行練習で頑張りすぎたら次の日の本番は出られないし、本番に出るには、前日の予行を見学するほかなかった。

みんなが当たり前に持っている「皆勤賞」も、小学校の間はもらったことがなくて、「おれこれしか貰えなかったぜ~」と言いながら賞状をひけらかしている子を心底羨ましく、そして悔しく見ていた。



そんな子どもだったから、きっと病院で出会う看護師さんたちの笑顔にいつも救われていたんだろう。

低気圧が来て、私がゼーゼーひゅーひゅーいいながらいつもの済生会病院に行くと、「○○ちゃーん、また来たのー!」と言いながら手を振ってくれる看護師さんたちが好きだった。
彼女たちだけは、わたしのことを認めてくれているような気がした。

家で旅行先で、外来で入院で、国内で海外で、何人の看護師にお世話になっただろう。

医者じゃなくて

外で走り回ることができなかったから、そのぶん家で勉強をした。本を読むのも好きだった。

他人より勉強した分、他人より頭がよくなった。

頭がいいと、それだけで人が集まってくる。みんなが友達になってくれる。
友達のいない私には都合のいい話だった。

そうして勉強を続けていたら、いつの間にか県で一番の公立高校に入り、
けっこういい成績を取るようになってしまった。
高校での学びは、今までとは比べ物にならないほど面白かった。

他人より多少勉強が出来ると、なぜか医学部を勧められる。
ましてや私の場合、医療系志望だから、なおのこと
「何故医学部に行かないのか」と問われる。


正直、意味が分からなかった。

実は看護の(いわゆる偏差値的に)上の方の学校には、ほとんど選択肢がない。
専門学校でも取れる資格なのと、看護学という学問は実学寄りだし、出来てまだ日が浅い。
教えられる人も限られている。女ばかりなのも一因かも。

だから医療系で、手に職の女の子で、賢いなら、
それはもう良いとこの薬学部か医学部医学科。
相場はそうと決まっているらしかった。

でも私は看護師になりたかった。そう思って進路選択することの何に問題があるのかわからなかった。それでいいじゃない。

あなたは「料理人になりたい」という子に対して、
「なぜ美容師にならないのか」とか聞くの?

ただ(偶然、と言ってもよいが)医者でなくて、看護師に惹かれた。
それだけなのに、どうして成績がいいというだけで医者にならなくてはならないのか。それは子供の興味に対する大人の冒涜ではないのか。
私にはわからなかった。

高校生のあいだ、あまりにも医者になれと言われたおかげで、わたしの中の医師の価値はどんどん下がっていった。
医者とか医学生のこととかも、うっすら嫌いになった。
彼らは何も悪くないけれど。

大学の推薦入試を受けるとき、色々な先生の推薦状が必要だったから、
高校のお世話になった先生に片っ端から事情を説明してコメントをお願いした。

そうすると大体、先生たちから「なんで看護師になりたいの」と聞かれる。
わたしは「幼稚園の時からの夢だったので、理由とか正直わからないです」
と言うしかない。

そうなんだ、とそこで終わってくれる先生は良かったが、わたしが看護に行くのが信じられず、何度も聞き返してきたり、会う度に「そろそろ志望変わった?」と聞かれたり、他学部を執拗に勧めてきたりするような先生もいた。

高校の先生のことはみんな好きだったので、
そのことでよりいっそう悲しくなってしまった。



東京の有名な塾の先生に模試の成績を見てもらって面談したときも、
第一志望に書いていた看護には目もくれず、第二志望の理学部のB判定を見ながら、「本命はこっちということですね?」と聞いてきた。

「いえ、看護を目指しています」と言うと、これは珍しいものを見た、という顔で、




「医者の言いなりになる覚悟はあるんですね?」


と言われた。

いや、ないよ、と思ったけれど、尊敬していた先生のその言葉にびっくりして何も言い返せなかった。



やっぱり看護は、「そういう仕事」らしい。


職業に貴賎なしとか、どこの誰が言ったんだよ。

色々な大人から罵倒されるうち、いつしか私の目的は
「意地でも大学で看護を専攻すること」に変わっていった。
自分でもちょっと変だな、と思うくらい、強い意志を持って志望していた。

それが正しいことなのか、分かっていなかったけれど、長いあいだの私の夢が、こんなことで潰されてたまるか、と思っていた。

トータルペイン

もちろん、医学科に行くことを勧めてくる大人たちのすべてが、私の幸せを願っていないわけではないこともわかっていた。将来の安定性とか社会的地位、収入、業務内容……そんなことだけでなく、私の適性も鑑みて医学科に進むことを勧めてくださった人たちがいることもわかっている。

ただ、別に医師になりたいとは思ったことがなかったし、もう既に将来の夢があったので、なんで急にそんなに医者?と困惑してしまった。

それに、医師も素晴らしい職業だということに疑念の余地はないのだけれど、かつての私を笑顔で救ってくれたのは看護師であって医師ではない。

慢性疾患はなかなか治らない。
お医者さんが薬を出してくれたらそのときの発作はよくなるけれど、それで私がマラソン大会に出られるわけじゃない。行間休みに走れないし、友だちもいないまま。

看護に入って、痛みは身体的に感じるものだけじゃないという「トータルペイン」の概念を知ったけれど、喘息持ち小学生のわたしの「生きている中で生じるしんどさ」みたいなものをわかってくれようとしたのは、済生会の看護師さんだけだったように思う。

向いてない

さいきん色々な人に会って、自分の進路相談をした。

高知で出会った医学部1回生の男の子は、「ぼくは、助けられる命は全部医療で助けたいんです。助けないと気が済まない。」と言っていた。

彼は友達を自殺で亡くしたらしい。
友達から「死にたい」と言われたときに
「死ねるなら死んでみれば」と言ったことを、ずっとずっと悔やんでいると言った。

私はどうしても、ひとを医療の力で治す、ことだけが正義だと思えない。
「死にたい」と訴える人のことを、即ち「異常」「治すべき対象」と捉え、死にたい気持ちが消えるように誘導する今の医療にいささか抵抗がある。
それは自分が死にたかったからかもしれない。

倫理の研究者だと言う、うちの学科の教授が講義で
「安楽死なんて当然認められない、死にたいという気持ちは通常の人間が持つべき考えではない」
というようなことを述べていて、心底失望した。

あなた5分前に、「倫理に正解はありません」って言ったじゃないか。
嘘つき。


私とけっこう似たような考え方をしている先輩もいた。
きょんちゃん、という北大歯学部の5回生。見た目はどう考えても京大生という感じで、北大では許されないらしい長めの髭とラフな格好をしていた。彼とも高知で出会った。

彼があるとき突然、
「資格を取ることによって失われるものって、あると思う?」
と問うてきた。

私が
「あると思う」と即答したら、きょんちゃんは驚いた顔で
「僕もあると思うんだよね!同志がいると思わなかった!」
と言ってきた。

「だって私たちはもう、ゴミ収集の仕事はできないじゃないですか。」
勉強ができたら、よくわからないけれどそれに"見合う"と言われている、相応の地位につかなくちゃいけないらしい。


小学生の頃から塾が一緒の友達が中学受験前、
「私は将来やりたいことが決まっていないから、選択肢を広げるために勉強する」
と言っていた。
それをなるほど尤もだ、と思って私も必死に勉強した。

そしたら、「普通」の看護師になりたかったのに、いつの間にかそれを認められない場所にいた。
賢くなることで将来の選択肢が狭まることもあると、どうしてもっと早くに気づかなかったんだろう。

あんなに真面目で成績優秀だった彼女は今、大学受験で挫折して、
髪を明るく染め、めちゃくちゃかっこいいダンスを始めたらしい。
ほんとうに幸せそうで、素敵な子だなと、ますます思った。

わたしも、どっかの大学に落ちてればよかったかもしれない。
看護じゃなくて、医学科とか受けて、落とされて現実を見ればよかったかもしれない。そう思った。思ってしまった。
彼女や浪人生たちの前ではこんなこと、絶対に言えないけれど。

私の母は母で
「看護師に学力って必要なの?」とか
「どうせあなた30くらいで結婚して、子供産んで、仕事辞めて主婦になるんだから、そういうことも考えなさいね」とか

それだったらじゃあ、ますます、なんのために勉強しているのか分からなくて、

「女は行き遅れるから浪人なんかダメ、6年制の学部もダメ、院進もダメ、絶対に4年で大学を出なさい」とか口酸っぱく言ってきた割に、進学先のことを所詮地方大(笑)とか言われるもんだから、もうどうしていいか分からなくなってしまった。

看護師になるだけなら、母校じゃなくて近くにある公立高校の5年制看護科に進めばよかったんだと、何度思ったか知れない。

だけどやっぱり、高校で学問を心の底から楽しんだ日々がまだ私の中に大きくあって、割り切ることのできないへんな感情を醸していた。

ねじれた自己

大学に入ってしばらくしたら、しんどかったことも忘れるかなぁと思っていたけれど、
気づいたら朝も起きれない、夜は眠れない、外に出られない、ご飯が入らない、涙はとまらない……
そんな日ばかりだった。

部屋はぐちゃぐちゃ、顔もぐちゃぐちゃ、心もぐちゃぐちゃ。
何も考えないために、ネットのくだらない情報を脳に詰め込む毎日。

わたしはたぶん、だいぶ疲れていた。

毎日まいにち死にたくて、でも恵まれた環境にいるのもわかっていたから、相談したところで相手の地雷を踏みまくるだけだと思って誰にも言えなかった。

強迫に追われて課題を出すのがやっと。
こころをわざと置いてけぼりにして、やっとの思いでここまで来た。

大学に入ってから数年間1人で戦ってきたことだったけど、まちがえず立ち上がるために、最近カウンセラーさんのもとに通うことを決めた。

たたかいはまだまだ続くけど、沢山の人が静かに見守ってくれているので
しばらくは生きてみようと思う。

看護師になりたかったわたしへ

結論にしたかったこと。

過剰に繊細で、相手の気持ちに飲み込まれ、看護のあの強い世界では生きていけない。自分は看護に向いていないと思いながら、自分の意志がほんとうであることを証明するためだけに看護を選び続けた。

意地を張り続けて、こころも不可逆に壊してしまって、なんでもっと早く
素直になれなかったんだろうと思う時もある。

でも、幼稚園の時からずっと、「ひとを看る」ということを考えてきた私が、看護師に「向いていない」はずがない。
こんなふうに思うこともまた、私にとっての真実だと思う。

これからは、看護師に向いてない、なんて言わない。堂々と、看護師になりたくない、と言えるような気がする。













~~~~~任意の時間経過~~~~~

と、実習前のわたしはこんなことを書いていたようですが、あなたはなんやかんや
老年、成人Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ、精神、小児、母性、在宅の全ての看護実習を終えてしまい、
なんなら就活まで終わってます。
ざんねーーん!^^

実習さえ終わってしまうと、何だかどうでもよくなってしまって、
それでこのnoteを開く機会もなく、今に至ってしまいました。

まぁたぶん、働き始めたところでまた同じ葛藤が生じるのだろうけど、
いったん夢を叶えてみて、それから考えてみるか、のマインドになった気がします。
言っていることが今までに述べていたことと真逆だけど、それも人間らしくていいですよね。?




人生なんて、うまくいかないことばっかり。

でも、こんな長い文章を最後まで読んでくれたあなたがいると思うと、
もうすこし生きてみようかなと思えます。

ありがとう、絶対しあわせになろうね。





最後に蛇足ですが、個人的に短歌をやっているので
当時詠んでいた歌を置いておきます。上手くはないですがご興味があれば。


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