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Chapter26


 人には秘密があった方がいい。
 見えない部分を見たくて、想像する。
 隠されているから、人は動く・・・。

 佐川オサムがあの日のことを覚えていなかったのは当然かもしれない。
 酒に酔い、気分も高まり、自分を制御できなくなっていた。
 聞いてもいない恋の話をペラペラと語り、一人の世界に入っていく姿を鮮明に覚えている。
 酒を交わしているはずなのに、目の前には誰もいないような感覚になった。
 
 学生時代からそうだった。
 友達に恋人ができると、その友達は目の前から消えてしまった。
 妹が恋人を連れて来た時も、夏祭りやクリスマスなどのイベントの際も同じだ。
 オレの周りからは、次々と人が消えた・・・。
 恋をしている人は恋にのめり込み、恋の世界を作り上げる。
 同じ世界にいるはずなのに、ここではない、どこか別の場所に行ってしまう。
 決して他人が踏み込むことができない世界へ。
 だから、恋する人たちが世界から消えたように、見えなくなってしまったのだ。

 「恋は盲目」という言葉が、意味のカタチを変えていく。
 恋をしている人を見る周りの人間が盲目になるのだ。
 オレは、恋をしている人間を見たくなかった・・・。

 「そこまで知ってたら、先輩、ボクのこと知り尽くしてますよ!」
 オサムも不本意だったのだろう。
 酒の勢いとはいえ、社内恋愛禁止の鉄則を破っていることを告白するのはリスクが大きすぎる。
 冗談めいた口調で話していたが、彼のこめかみはジットリした汗で濡れていた。

 「ハハハ、知りすぎるとよくないこともいっぱいあるけどね」
 オサムと藤野ハルが付き合っていることは知りたくなかった。
 人には秘密があった方がいい。
 彼女に恋人がいる素振りは感じなかったし、オレも「彼氏いますか?」なんて野暮な質問もしなかったから、てっきりフリーの身だと勘違いをしていた。
 だから、彼女をもっと知りたかったのだ。
 見えない部分を人は想像する。包まれたベールを剥がしたくなる。
 それなのに、あろうことか、彼女の恋人から関係の事実を知ることになるとは・・・。

 「・・・え、まさか、その日以来の飲みですか? 今日って?」
 「ああ・・・そうかな?」
 知ってしまうとどうなるのか。
 知りすぎてしまうとどうなるのか・・・。
 ファンタジックな世界から、生々しい現実が血を流しながら突き破ってくる。
 現実が想像の元本になってしまい、生まれてくるイメージも現実に引っ張られるようになってしまう。
 休みの日に何をしているのだろうか。
 週に何回会っているのだろうか。
 今日も夜を共に過ごしているのだろうか。
 「二人」という現実が恋の世界を生み出して、オレから離れていく。

 「でも、本当に忙しかったんだよ?」
 最初は現実を受け止めることができずにパニックになっていたが、仕事を詰め込み、時間が経ったことが薬になったのか、だいぶ心の傷は癒えてきた。
 
 「もちろん分かってますよ! 働きすぎですもん」
 知ってしまったから、興味が薄れてしまう。

 「誰のせいでこんなに働いてると思ってんだよ」
 そして、粗が気になってしまう。

 「・・・え? 大丈夫ですか?」
 興味が薄れると、人は残酷になってしまう。

 「あ・・・ごめん、なんでもない」 
 オレは、憎しみを抱くようになっていた。

1時間43分・1340字

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