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入門

内田樹さんの凱風館(合気道)に入門。目標は1.動き始める前に目で場を設定することができるようになること。2.一人では練習できない外側(他者)からの力に対するレスポンス力をつけること。
朝稽古に参加し、帰宅後にひとしきり復習。特に受け身は私の動きのレパートリーに入っていないものだったので、観察分析を楽しみます。

その後に自由に踊ってみたところ、いつもと視界が違うではありませんか。いつもよりフォーカスの位置が高く、視界は広く、見えるものがくっきりとしています。あたかも視力が良くなったかのようです。
人間とはたった数時間の意識の持ち方で、こんなに変わるものなのでしょうか。ダンスではいけないいけないと思いつつ、外界への意識に比して、自分の動きを調整する意識が大きくなってしまいます。そうでない方も多いでしょうが、少なくともいがらっしはそうです。今日の稽古では、相手があり、まして、初めてのことをその方から習うので、意識の大部分は外界に向かっています。自分の動きの調整は あ と ま わ し。必要最低限です。きっと上達したあとも、殺られないようにですとか、相手との滑らかなやり取り(外界)に眼目があって、「自分」がどう見えるかという意識にはならないのではないかと予感します。
ダンスのワークショップだとこうはいきません。(コンタクトについてはよく存じませんが。)講師の動きをまねたり、触発されて動いたりしますが、どの場合でも「自分」への意識から自由になるのは非常に難しい。

話が飛ぶように感じられるかもしれませんが、いがらっしは筋トレや身体の調整中に感情が高ぶって泣いてしまうことがあります。上手く説明できないのですが、自由への希求というか感動にやられます。
医学的な証拠など挙げられるはずもありませんが、この高ぶりは特定の部位に刺激がはいったときなんじゃないかなーという気がしています。ほとんどの場合、背中のまんなか辺りから股関節を過ぎたあたりまでのエリアに起こります。
今日は、右の背中というか横っ腹というか、まあ、斜め後ろエリアに刺激が入ったような気がします。おそらく受け身の動きからです。
自由に踊っている時、そのエリアから小鳥のさえずりを感じるような気がしました。ポキポキ音がするという意味ではありません。そのエリアが自由を謳歌しているような感覚です。

誰にでも心身が思い通りにならないことはあります。でもそれらを「悪い」とするには抵抗があります。それらをふくめて今の自分だからです。だから、多少思い通りにならないことは「そういうもんか」と放っておけばいいかもしれない。そして、それらが自分に不都合である場合には、「治療」ではなく「変化できる状況」を作ってあげればいいんじゃないかと思います。

内田先生のおっしゃっていた「脳からの指示を遮断して身体の動きに従う」云々というのは、難しい環境下で鬱無気力に陥っている女性に私がいつも伝えていることです。物理的な動きは、物理的な動きにとどまらないともいえると思いますし、いわゆる心と言われるものも物理的なものだと言えるような気もします。

私が2018年に偶然にも出会ってしまったものは、武道に通じる思想と実践だったのかもしれません。

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