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舞踏家

取柄をきかれても、なかなかなあ、一言では…モゴモゴ…という感じのいがらっしですが、いま、気が付きました。誰にも負けないものひとつ。

道楽気質。
なんでもかんでも道楽にしてしまえる。

数分前に新しく見出した道楽。それは、角砂糖。

ほほぅ。角砂糖とは灯台下暗しであった。
さらさらしたお砂糖では楽しめない、温かい飲み物に角砂糖を落とした瞬間の泡だち。しゅわわー。あたたかい飲み物の楽しみに白いレースを纏わせるかのよう。
これからしばらくかけて、さまざまな銘柄を試してみましょうか。銘柄によって違うレースが楽しめるのだろうか。

と書いている今はですね。おでんをコトコトしながら、キッチンの足元に小さなヒーターを置いて、ついでに椅子ももちこんじゃって、グリューワイン(2杯目)をやっております。(以前グリューワイン飲みながら眺めたツェルマットを透かし絵のように心の視界に浮かべ、頬にふれる空気のつめたさを思いながら。)

本当はね、大切な人の気配を感じながらこのような料理の待ち時間を楽しむのが最上級なのですが、贅沢は言うまい。これはこれで十分楽しいんである。ふん(鼻息)。

2杯目は1杯目を繰り返すのではつまらない。
そう、広島のレモンがあったではないか。一枚分わけてもらおう→スライス。インド系スパイス屋で買い求めた「これ、ただの樹木の表皮だよね」というシナモンもあるではないか。シナモン「スティック」ではなく、さまざまな大きさの表皮の破片。野趣あふれる長めのを選んでグリューワインに立ててみましょう。

いいんじゃない?
なんとなくですが、レモンとシナモンを追加した方が甘みを感じる気がします。
…。

舞踏とは何か、という問いがあるじゃないですか。さっきですね、食材の買い出しから帰ってきて、愛車のジェイミス様を止めながら不意に確信しました。舞踏というのはダンスの1ジャンルに数えられることもあるけど、大きく言えばダンスじゃないのだと。「ごはん」というとパンや麺に対応するお米を炊いたもののことを指すけれど、「何かご飯食べていこうか」というときは食事に値するものすべてを指す。それに似ている。

舞踏とは今という瞬間に全力の感動をもって「   」すること。ことばではうまく言えません。

買い出しに行く途中で神戸マラソンに行く手を阻まれること。
ランナーたちの表情。
登った山の展望台から見下ろし、「そういえば今日はそういえば神戸マラソンだね」と交わした数年前の会話。
行く手を阻まれたからこそ出会う馴染みのないスーパーマーケット。
それによって出会う6個398円のお買い得トマト。
すれ違う買い物客。カバンがぶつかってごめんなさい。
強い風に将棋倒しになる自転車の一列。
自転車のペダルを踏むと痛む左股関節。
タイミング悪くて閉まる踏切。

どれもこれも、ズームインにしてもズームアウトにしても、どのアングルもどの一瞬も、かけがえがえなく、すべてが私を満たし、どれも手に入らない。

この数日で、私は舞踏家だと思えるようになりました。ダンサーではない。しかも、この気づきは、事件性のない虐待環境にある女性の気力回復伴走支援活動を通してでした。


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