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「脱・ロッシー小川」を鮮明にしたスターダム

4月27日 横浜BUNTAI大会の第7試合、IWGP女子選手権(王者)岩谷麻優vs(挑戦者)Sareeeは大熱戦の末、岩谷が二段式ドラゴンスープレックスで3カウントを奪い防衛に成功したが、試合後に事件が起こり、アイスリボンの藤本つかさが現われ、SEAdLINNNGの中島安里紗とのベストフレンズで、岩谷とタッグで対戦を要求しただけでなく、両団体の禁断の扉を開けるとアピールした。

スターダムの岡田太郎社長はマニュフェストの一つとして他団体との交流活発化を掲げており、長い間断絶状態だったアイスリボンも当然対象に入っていると思っていた矢先だったが、まさかこのタイミングでアイスリボンのアイコンである藤本つかさが現われるとは思ってもみなかった。

スターダムとアイスリボンは以前は交流があったが、スターダムの前エクゼブティブプロデューサーだったロッシー小川(マリーゴールド代表)といざこざが続き、そしてジュリアがアイスリボンからスターダムに突然移籍したことで、両団体の関係は断絶となり、平行線の関係となっていた。禁断の扉が開くきっかけになったのは、これまで弊害だった小川氏とジュリアがスターダムから去ったことが一番大きかったと思う。

マリーゴールドを旗揚げする小川代表は他団体との交流はせず鎖国路線を打ち出しているが、スターダムの岡田太郎社長は真逆の他団体との交流を活発化を打ち出していた。それはスターダムがロッシー小川代表から独り立ちし、脱ロッシー小川を鮮明に打ち出したことを十分に示している。

思い出すのは新日本プロレスと創始者であるアントニオ猪木との関係だった。猪木は他団体との交流や対抗戦に関しては反対派だったが、新日本プロレスが他団体との交流を活発化させ、天龍源一郎、髙田延彦率いるUWFインター、大仁田厚と次々と禁断の扉を開いていったが、猪木は大いに不満を抱いていた。

新日本プロレスもユークス体制へ移行した際に、新日本プロレスはプロレス路線へ回帰を掲げたのに対し、猪木は格闘技路線の推進で意見が割れ、最終的に猪木がIGFを旗揚げして、新日本プロレスとは真逆の方向へと走ったが、これを契機に新日本プロレスは脱猪木を掲げて、猪木の影響力を一切排除、することに成功、ブシロード体制になって現在に至っている。

横浜BUNTAI大会はスターダムの脱ロッシー小川を鮮明に打ち出した大会となったが、猪木と新日本プロレス、小川氏とスターダム、この二つの関係は似ているようでならない、それもスターダムが新日本プロレスの傘下になったことの影響なのだろうか…

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