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全日本プロレスに残ったことで飛躍した太陽ケア

割引あり

全日本プロレスで活躍してきた太陽ケアが、ジャイアント馬場さんの命日である2025年1月31日に引退することが決まった。

ケアは「マウナケア・モスマン」の名前でデビューし、デビュー当初は若手として扱われながらも、スタン・ハンセンなどの外国人選手や日本人選手と組むこともあり、便利屋的な存在だった。しかし、馬場さんからは「誰とでも試合ができるようになれ」と教えられていたことから、若手のうちから多くのチャンスを与えられていた

ケアは小川良成を破って世界ジュニアヘビー級王者にもなったが、ジュニアヘビー級という印象は薄く、ある程度防衛した後、ヘビー級に転向したことから、ジュニアヘビー級に対するこだわりはなかったのかもしれない。

そんなケアはなぜか三沢光晴からは「体がぶよぶよで、オフになると道場に残らずハワイに帰ってしまう」と嫌われていた。それには理由があった。

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