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オカダ・カズチカと内藤哲也の時代

2月25日、新日本プロレスきたえーる大会、SANADAを降しIWGP世界ヘビー級王座を防衛した内藤哲也が、この日をもって新日本プロレスを去るオカダ・カズチカをリングに呼び出し、グータッチでお別れかと思ったら、内藤がオカダに襲い掛かって、ほんの少しだけ内藤vsオカダをシングルを行い、内藤が寝そべって”トランキーロ”でオカダに別れを告げ、8年間に及ぶ、オカダvs内藤の時代に終止符を打った

内藤は2006年デビューで、オカダは2004年にメキシコでデビューしていることから、実質上はオカダの方が先輩だが、オカダは2007年に新日本プロレスへ移籍しヤングライオンから再スタートとなったことから、新日本プロレスでのキャリアは、内藤の方が先輩、だからオカダは普段‟内藤さん”と呼んでいる。そしてプレ再デビュー戦の相手を内藤が務めたが、この時の二人はまだ先輩後輩の間柄でしかなかった。

その関係を大きく一変させたのは、オカダが‟レインメーカー”として覚醒してからで、IWGPヘビー級王座に初挑戦で、いきなり棚橋弘至を破り王座を奪取、この時の内藤は高橋裕二郎とのタッグ、NO LIMITを解散してシングルプレーヤーになって、IWGPヘビー級王座には挑戦したものの、あと一歩で王座を奪取できず、トップへの壁をなかなか破ることが出来なかった。

ここからオカダと内藤の競争の時代になるも、新日本プロレスのトップには棚橋だけでなく、中邑真輔もおり、二人の存在感が大きく立ちはだかっていた。それが決定的になったのは2014年1月の東京ドーム大会、棚橋vs中邑のIWGPインターコンチネンタル選手権か、オカダvs内藤のIWGPヘビー級選手権が、どっちがドームのトリに相応しいか、ファン投票で選ばれることになり、ファンは棚橋vs中邑を選んだ。このことが内藤にとって大きく影響したと思う。

その内藤もLIJを結成し、中邑が新日本プロレスから去ると、内藤も一気に覚醒してポジションを奪い、棚橋も次第に一歩下がり始めたことで、オカダvs内藤の時代が始まった。二人は何度も対戦もしたが、それぞれの試合でも二人は競い合った、2016年から2024年の8年間の新日本プロレスは、オカダと内藤の時代だった。

そして2024年2月25日をもって、オカダと内藤の時代は終わった。しかし、IWGP世界ヘビー級王者となった内藤はまだ自分の時代を続ける

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