Seeing is Believing.

「『簡単』って聞いてたのに……」

試験の後によく聞いた言葉である.この言葉を発するのは優等生から進級ギリギリ,あるいは留年してしまった人まで様々である.
別にその人(おそらく先輩)が言ったことが間違いだったとは思わない.おそらく,先輩にとっては本当に「簡単」だったのだろう.そして,受け手もそう思って適当な対策をして(あるいは何もせずに)試験に臨んで面食らったときに出るのがこの言葉である.

では,どうしてそのようなギャップが生じるのだろうか? ざっと考えてみると2つのパターンがある:

  1. 試験の難易度が変わった場合
    これは単純な話だ.毎年全て同じ問題を出す試験はほとんどない.多かれ少なかれ新しい問題は出るのだから,先輩が言ってる話が100%そのまま通用する訳がない.あるいは,今までずっと同じだったからといっていきなり変わる可能性を排除してはいけない(例えば教授が変わるとか).

  2. 試験の難易度が変わってない場合
    これはその先輩が優秀だった場合に起こる現象である.極めて高い理解力・暗記力を有している場合はもちろんそうだが,普段の講義をきちんと聴いていたり,復習していたりするために,さほど難しく感じないことは珍しくない.もし,受け手側がそうではない場合は前提条件が異なるのだからそのまま受け取ってはならないのである.

別に先輩を当てにしてはいけないというわけではない.自分で試験の過去問を分析するのは結構骨の折れる作業であるし,試験がどのような感じなのかは実際の試験を受けてみないと分からない(だから模試というものが存在する).それをざっくり知るのに先輩に聞いてみるのは悪いことではない.

問題はそのために失敗してしまった(思うような点数がとれなかった,再試になったなど)場合である.まあ,受かったからいいや,再試で回収できるからいいや,となってしまう人もいるだろう.試験だからこのような失敗してもいいやとなる人も居ると思う.

それでも,試験の失敗を繰り返せば留年になってしまう.その責任はあくまでも当人にあって,先輩にはない.学費を1年余分に払うだけではなく,人的環境も大きく変化することになる.

他人の言うことを全く信じてはいけない,というのは言い過ぎである.しかし,鵜呑みにしたがために失敗してしまったとき,あなたは何を思うか.

自分の目で確かめることは,重要である.人の話を聞くだけでは分からないことは,確実にある.人それぞれに違う思考や感覚,感情,前提があるのだから,何かしらも一度は自分の目で見て,自分がどう感じるかを確かめるべきである.


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