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『杜子春』最後に残るは何か vol.352

『蜘蛛の糸・杜子春』のタイトルにもなっているこの話。

正直、初めて読みましたがとても印象に残りました。

そして、戦前の話でありながらも不思議な読みやすさがありました。

これは日本人の大切にしてきた道徳の文化が色濃く残っているからこそなのでしょう。

そして私たちの本質的な部分は以前から、もしかしたらちっとも変わっていないのかもしれません。

そんな思いが浮かび上がってきました。

人は愚か、だから儚い

杜子春は生まれ自体は良いとこの出です。

お金も持っています。

それなのに散財して使い果たし、路頭に迷ってしまうのです。

しかし、そんな人間にも関わらず仙人は彼に2度の財産と、そして1度の専任になるチャンスを上げたのです。

これは、一体なぜなのでしょうか。

この仙人にしてみれば、杜子春の最後が見えていたのでしょうか。

それを見据えて三度もチャンスを与えたのでしょうか。

そこは最後までわかりませんでしたが、同じ過ちを3度も繰り返してしまうところを見ると、人はなんとも愚かなのだろうと感じます。

そして、自分の目の前の欲望には何度か失敗しないと気づけない儚いものでもあるのかもしれません。

結局は人のつながりを追い求める

2度財産を分け与えてもらった杜小春は、3度目もくれるという時にそれを断ります。

結局のところお金でのつながりはお金が無くなればなくなってしまうということを理解したのでしょう。

しかし、そこで杜小春は人のつながりを追い求めるのではなく、自ら仙人になるべく修行の道を選んだのでした。

一体なぜでしょうか。

財産を与えられ、自分にはうまくできないとわかったのであれば人のつながりを求めれば早いような感じもします。

そこではない、自分を律することを選ぶという選択にはどんな意味が込められているのでしょうか。

仙人が伝えたかったのは?

最後に地獄で姿形を変えられた両親を鞭で打ち続けられる姿を杜小春は見させられます。

最後の最後に母の声が聞こえ、ついに声を出してしまうのです。

そこで、元の世界に戻るのですが、そこで声を出していなければ仙人は、自分がお前を殺していたと言っています。

仙人は杜小春に何を求めていたのでしょうか?

家族こそ大事にしろということか?

思いやりなのか、人のつながりなのか。

自己犠牲よりも尊いものがあるということなのか。

そこは最後までわかりませんでした。

しかし、杜小春は自分なりの答えを見つけ、自分なりの信念を貫く強さを手に入れました。

これこそが仙人が杜小春に、人間に求めていたものだったのかもしれません。

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