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してあげるでなくて、させていただく vol.346

日常五心の中でも最後に位置づいている、「させていただきます」という奉仕の心。

なぜ、奉仕の心は最後についているのでしょうか?

そして、奉仕の心とは一体何なのか。

これらについて考えていきます。

与えられるのは幸せ

奉仕の心というと、つい打算的に考えてしまう時があります。

例えば、この人に良くしておけば後ほどもっといいお返しをしてくれるかも。

とか、いま手伝えば今度手伝ってもらえる。

とか。

確かにそれも大事な善因善果の一つではありますが、それを前提に欲望的に動いてしまっては、それは奉仕とは言えません。

煩悩、執着、損得、利害の中には、その関係しか生まれません。

自分の損得で人に関われば、その人とは損得の関係となり、損をする際には互いの仲は切れます。

だから、そう言った感情を一切合切抜きにしての、「させていただきます。」なのです。

煩悩なしで関わるのは、大変ですが意外と私たちはそれができていることが多いです。

あまりに意識しないために、見落としがちになってしまいますが。

でもそう言った時にこそ、私たちは与えるものよりもはるかに多くのものをもらえているのです。

私で言えば幼少期でしょうか。

妹や弟に勉強を教える中で、祖父母からの声かけで私が妹や弟に与えていたもの以上のものを受け取っていました。

それは満足感、承認感など何か言葉で表すのは難しいですが、満たされていたのを覚えています。

与えることはもらうことよりも難しいのかもしれません。

余った餃子ドッグ

東日本大震災の東京ディズニーランドの話は多くの人が知っているのではないでしょうか。

奪い合うのではなく、譲り合い与え合う。

これこそ、奉仕、貢献の心なのではないでしょうか。

この話を聞くたびに涙が出て来ます。

この心の豊かさ清らかさにです。

私たち人間には自然と後世に思いや命を繋いでいくという深いところでつながっているものがあるのではないでしょうか。

それは、人間の本性であり本来は隠れてしまっている部分。

でも、そこを出すべくして出す環境があれば、人はそんな奉仕の心を持てるのです。

最後に奉仕の心がある

さて、この奉仕の心。

上記にも示しましたが、煩悩、損得、利害、執着抜きに持つのは難しいことです。

いや、本来は簡単かつ古くから大事にされていることなのですが、つい他の側面が邪魔をして深くに沈んでいってしまうのでしょう。

しかし、思い出してみると身の回りにこんな奉仕の心を常に持った仏のような人を見たことがありませんか?

実は至極簡単なこと。

それは、日常六心を順に心に留めておくこと。

ハイという素直な心
スミマセンという反省の心
アリガトウという感謝の心
オカゲサマデという謙虚の心
ワタシガシマスという奉仕の心

これらがあって初めて奉仕の心は、内から生まれるのです。

そしてここからつながる6つ目の心。

いつもニコニコ笑顔の明るい心。

全ては繋がり全てはここに詰まっていると体感できる日常六心でしょう。

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