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『ドント・ルック・アップ』を見て vol.235

世紀の大発見をした。

しかし誰も信じてくれないかも知れない。

そして、自分自身も信じがたいもの。

そして、信じたくないもの。

私だったら、大々的には話さずに比較的近くの人たちに、まるで秘め事を話すように少しずつ話していくと思います。

それは、決して勿体ぶっているわけではなく、自信のなさの現れ。

そんな発見をした時、みなさんだったらどのようにするでしょうか?

落ちこぼれ気味の天文学者ランドール・ミンディ教授はある日、教え子の大学院生ケイトとともに、地球に衝突する恐れがある巨大彗星の存在を発見し、世界中の人々に迫りくる危機を知らせようと躍起になる。仲間の協力も得て、オーリアン大統領とその息子で大統領補佐官のジェイソンと対面する機会を得たり、陽気な朝のテレビ番組「デイリー・リップ」に出演するなどして、熱心に危機を訴えてまわる2人。しかし人類への警告は至難の業で、空回りしてばかり。そのうちに事態は思わぬ方向へと転がっていき……。

人は何を持って信じるのか

映画の冒頭で発見された地球に半年後に衝突する巨大彗星。

2人は最初、発見者という使命感から全員に知らせようと躍起になります。

しかし、そこに待っていたのは全く興味も関心もない政治。

二人の発見はただの国家機密という括りに縛られて、他言無用になってしまいます。

その後も、メディアで伝える機会は与えられますが、信じる人は極々少数。

それどころか、その姿を馬鹿にされてのけものにされてしまいます。

それもそのはず、世界ではたくさんの滅亡説が幾度と囁かれ、今回もまた話しているのは、全く名前の知らない天文学者とその学生。

たとえ、真実であっても信用しないでしょう。

では、私たちは何をもって信じるのでしょうか、逆にどうすれば納得させることができたのでしょうか。

博士は細かな数字を伝え、理解をさせようと努めましたがそれも難解になるだけで無意味でした。

このさまは、まさにセッションをしている時の構図にも似ていました。

相手の状態がどこにあって、何を求めているのか。

今回は世の中は全く、地球滅亡を求めていなかったのです。

信じないというコンフォートゾーンへ

結局、そんな認められない、振り向いてもらえない環境の中で次第に、巨大彗星を発見したミンディ博士とケイトは、その事実を伝え続けるのが馬鹿馬鹿しくなってしまいます。

それは、そうでしょう。

自分達は人類のために、地球のためにと尽力していても、世界も国の大統領も見向きもしないわけですから。

信じない、もしくはそこを見ないことで、巨大彗星が衝突しない未来に逃げていたのです。

そうすれば、何も考えなくていいわけですし非難されることもありません。

コンフォートゾーンにいられるわけです。

世界を救うという強い信念を持っていても、誰も信じてくれないというのはとんでもないものなのでしょう。

あるものへと目を向け、時間を満喫する

最終的に巨大彗星に核爆弾を当てて小さくするという作戦は失敗に終わります。

巨大彗星が衝突することを知り、各々がそれぞれの時間を過ごし始めるようすが描かれます。

まさに”ない”から”ある”への転換です。

巨大彗星の衝突によって、なくなってしまうことに悲観するのではなく、今あるものに目を向けそれを心から満喫する。

そんな姿が描かれていました。

未来を全く考えずにがむしゃらに走ると言うのはあまりよろしくありませんが、人間の本来のあるべき姿なのかも知れません。

未来はどんなに予想したりしても、今としてしかやって来ません。

まだ来ぬ未来にいくら不安があっても何も変わらないのです。

で、あれば今この時をどう生きるかに、その人の人生はかかっています。

この週末の日は、そんな姿を示してくれました。

ドントルックアップは襲い掛かる、自分よりも圧倒的な何かとの勝負を描いています。

その勝負に乗るも乗らぬも自分次第、屈するも屈しないも自分次第。

そんな人の心理と共に、あるかも知れない未来に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

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