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教員養成過程を考える vol.221

週に1回教育に興味のある人たちで行っている対話の会である『対話の先生塾』。

一昨年から参加させてもらって、最近はあまり出ていませんでしたが、久しぶりに参加してきました。

今日のテーマは「教員養成過程を考える」です。

教員養成課程については、

大学の時にやっていたことで覚えていることはほとんどない。

表面的なところで学び終わってしまっている。

実践的なことは学べなかった。

といった意見もありますが、実際にはどうなんでしょうか??

教職は国の未来を背負うような専門職

では、その専門性とは一体どのようなものなのでしょうか?

いま、教職に関わらず塾や古民間、フリースクールなど、子どもに勉強を教える場、人、環境はたくさんあります。

最近ではオンライン塾なども多く増えてきました。

そこで問題となってくるのは、日本の教員のしている仕事が多岐に渡っていることである。

海外では、スペシャリストとしての教員であるが、日本においては授業、生徒指導、保護者対応、集金、、、などジェネラリストとしての教員となっています。

そして、日本においての教員の地位も低くなっているように感じます。

では、教員としての資質や能力を向上して顕在化しつつ、ジェネラリストの教員としての価値を高めるには、どのような仕組みが必要になるのだろうか。

教員養成過程で専門職を学び尽くす!?

そもそも、大学の教員養成過程で全てを学び尽くすのは難しいのではないでしょうか?

で、あれば大学では教科の専門性などを追求し、現場での授業スキルは教職に就いた後に行うのがいいのでは?

という、考え方もあるようです。

そのような考えの裏には、実際の力は生徒を前にしないと身につ家内というものがあるようです。

確かに、現場に行ってから学ぶことはたくさんありました。

課題の作成方法、生徒の反応、自分の授業スタイル、人との付き合い方、、、

本当に多岐にわたります。

しかし、よく考えてみると、授業のスキルについて学んでいるのは、自発的に学ぼうと思った時のみ。

教職に就くとそんな時間すらほとんどないことに、気付かぬうちに飲まれていってしまいます。

そう考えると、専門性について学ぶのが大事というよりかは、忙しい中でも、教科学習に重きをおいて、学び続ける教員像を確立していくことこそが大学での学びで必要なことのように感じます。

外に目を向け、色眼鏡を外す

そもそも、大学で全てを教えよう教えようとしているからこそ、おかしくなってしまっているのではないでしょうか。

教職大学院も結果的には実務化教員の養成所、従来的なことしか教えられ無くなってしまっています。

先生の仕事は人間を育てることです。

さまざまな場面で人を育てます。

しかし、先生は先生の目線でしか物事を話すことができませんし、教職大学生も同じです。

だからこそ、外に目を向けて自分の色眼鏡の色を確認する時が大切なのです。

時代の流れは変わって、マスメディア優位からマイクロメディア優位へと個の時代になってきて、スペシャリストが増えています。

ある一般企業経験者の教職課程裏集中の方は、「教育業界はたくさん頑張っている人がいるのに、論点の整理とか取捨選択が苦手。」とも言っていました。

先生だけでは気付くことのできない論点です。

例えば、一つ大学の教職課程を考えても、海外では大学生のうちから、現場の先生と触れ合う時間が定期的にあり、間接的に子供との時間を学べることができるようです。

フィンランドなどでは3カ月間も、大学にいる時から現場での実践経験を取ることができ、それぞれが理論と実践を行き来できる体制が整えられています。

学びは課題意識を感じた時にこそ、湧き上がる感情に基づく行動です。

課題意識がある今こそ、何がベストなのか色眼鏡を外して物事を考えていく必要があるのかもしれません。


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