卒園式挨拶

さくら組の皆さんご卒園おめでとうございます。
今日はこれから小学校で学ぶ上で、保育園での思い出を三つお話したいと思います。
まず一つ目は感謝の気持ちを忘れないでください。みんなは保育園で毎朝私たちの誓いを唱和しました。お父さん、お母さん、先生、お友達、社会のみんなが協力することで、今わたしたちは豊かにくらすことができます。お父さん、お母さん、自分の身の周りにいる人への感謝、神様に対する感謝の気持ちをこれからも忘れないでください。
二つ目は、みんなは高良山登山を覚えていますか?一生懸命歩きとってもきつかったと思います。そして、高良山の山頂から見た景色を覚えていますか?とってもきつかったけど、そこに広がる大きな景色、それを見ることができた喜びがありませんでしたか?みんなは覚えていますか?みんなが初めてハイハイしたとき、初めて立ちあがったとき、できるようになるまで何度も失敗し、とっても大変だったけど、できたときのみんなの顔は喜びに満ち溢れていました。これから、みんなは小学校で、ひらがなや漢字などいろんなことを学びます。ひらがなや漢字を覚えるのは山登りのようにとってもきついし大変です。でも頑張った先に、高良山登山のような新しい景色と喜びが待っていることを忘れないでください。いつかなぜ勉強しないといけないかと疑問を持つときが来ます。その時に、高良山登山のことを思い出してください。
三つ目は楽しむ気持ち、素直な気持ちを忘れないでください。小学校に入ると勉強が面白くない、つまらないと思うことがあると思います。そのときは、君が代の歌を思い出してください。君が代の歌詞は、古今和歌集という大人にとっても難しい内容ですが、みんなは簡単に歌うことができます。君が代の難しい歌詞に対して、難しいから自分には無理、面白くない、つまらないという気持ちがみんなにはありません。大人にとって難しいとことでも、興味を持ち、素直さを持ち続け、楽しむ気持ちを持って取り組めば、どんなに難しいことでも乗り越えることができます。
そして、学校の勉強や宿題を後回しにするのもやめましょう。後回しにすると、みんなの脳みそは、勉強や宿題を重要なものではないと認識します。こんなに難しい「君が代」でさえ保育園の生活の中で簡単に覚えることができたのに、勉強や宿題を後回しにするとことで勉強自体がどんどん面倒に感じるようになるので気をつけてください。
今話した一つ目の周りへの感謝の気持ち忘れない、二つ目は高良山登山で見た景色、三つ目はみんなの楽しむ気持ちや素直な気持ち続けること、これらを忘れずに楽しい小学校生活を送ることを願っています。

改めまして保護者の皆様、お子様のご卒園おめでとうございます。
また保育園運営についても日ごろよりご協力頂きありがとうございました。
さて、子育てをしていると子どもを褒めたり叱ったりすることが頻繁にあると思います。今日は、子どもを褒めることや叱ることについて、ミリオンセラー本の「嫌われる勇気」でご存じの方も多いかと思いますが、アドラー心理学の観点から褒めることや叱ることの弊害を紹介したいと思います。
まず、褒めることの弊害についてお話します。
褒められてばかりで育った子どもは、褒める人がいなければ適切な行動をしなくなります。例えば、廊下にゴミが落ちている場合に、誰かが見ていればゴミを拾い、誰もみてないのであれば、ゴミを拾わず通り過ぎてしまいます。また、褒められて育った子どもは人の顔色をみて、褒められることがわかれば適切な行動をしますが、自分の判断で進んで適切な行動ができません。さらに、結果ばかりを褒めていると、褒められやすい簡単なことにしかチャレンジしなくなったり、褒められるためにカンニングしたり嘘をつくようになりやすいです。
もう一つ例をあげます。子どもに対して「よく待てたね」と褒めるとします。これは待てないと思っていたのに思いがけず待てたからです。もし対等な関係であれば、相手を褒めたり叱ったりすることはありません。どこか相手を自分より下にみているからこそ褒めたり、叱ったりできるのです。子どもは決して自分を下に見られたいと思っていません。「よく待てたね」ではなく、「待ってくれてありがとう」や「待ってくれて助かった」と声をかけてください。子どもは自分が役に立っている思うとき、自分に価値があると思え、自分のことが好きになれます。
次は、叱ることの弊害についてです。
子どもを叱ってばかりいると大人の顔色をうかがうようになります。例えば、怖い先生の前では、子どもたちは私語もなく、背筋をまっすぐにして先生の話を聞いています。ところがその先生が休むと、代わりの先生は大きな声で叱ったりはしないので、子どもたちは、おとなしく授業を聞こうとはせずクラスの収拾がつかなくなります。このようなことが起きてしまうのは、代わりの先生に教師としての力量がないからでは決してありません。日頃から力で抑えつける先生と接している子どもたちは叱らない大人を見くびるようになるからです。このように大人の顔色をうかがって態度を変える子どもに皆さんはなってほしいでしょうか?また、叱られてばかりいる子どもは、叱られるかどうかを基準に考え、叱られなければ、何をしてもいいと思うようになります。ここでいう叱るというのは怒りの感情や威圧的な態度で叱ることであり、子どもの問題行動については当然ながら毅然とした態度で注意すべきです。このような話をすると大人が怒っていることが分かるように威圧的に怒らないと子どもに舐められると反論されることがあります。しかし、実際は逆で、子どもに舐められたくないと思えば思うほど、実際は相手から舐められます。例えば、部下に舐められたくないと思っている上司は、部下が少しでも舐めた態度をとると敏感に反応し、舐められないように必要以上に自分を大きくみせようと威張ったり威厳を示そうとします。その姿は部下からみたら滑稽にしか見えないため、部下はますます上司を舐めるようになります。また自身が学生だった頃を思い出してください。威圧的な態度の先生に対して「偉そうな態度をとりやがって」と友達同士で話していなかったでしょうか。威圧的な態度をとることで相手をコントロールできていると錯覚しているだけで、実際の相手の心の中は真逆であることを皆さん自身も経験即で知っているのではないでしょうか。それに威圧的な態度は叱られていない周りの人まで嫌な気持ちにさせます。

これまで、褒めることや叱ることの弊害を話してきましたが、私自身も子育て中でまだまだ分からないことばかりです。ただ、子どもが自分自身で物事を考えられる年齢、「ひとつ、ふたつ、みっつ」と数えていき、「ここのつ、とお」と数えるときに、「ここのつ」までは「つ」がつき、「とお」になると「つ」がとれるといいますが、つがとれる年齢くらいまでは、「褒められたいからがんばる」、「叱られるからしない」といった外発的な動機付も必要だと私は感じています。
いずれにしろ、褒めるにしても叱るにしても良いこと悪いことのように単純化せずに、自分自身で考え、子どもと一緒にトライアンドエラーを繰り返しながら、子どもと一緒に成長することが大切な気がします。
そして、子育てをしていれば、感情的に怒り過ぎてしまうことも当然あるかと思います。その場合は素直に自分の失敗を認め、失敗のおかげで親も成長できるんだと、親の失敗する姿を子どもにみせてあげてください。それに、自慢話は嫌われますが、失敗談は人を笑顔にします。失敗こそ人を豊に育んでくれます。
子は親の背中を見て育つといいます。親が納豆を美味しそうにたべれば子どもも納豆が好きになる可能性が高いです。親が野球を楽しんでいれば子どもも野球が好きになる可能性が高いです。親が読書を楽しんでいれば、子どもも読書が好きになる可能性が高いです。子どもを素直に失敗から学べる子にしたいなら、親も当然そうすべきです。子ども達がこれから失敗をおそれずに何事にも挑戦するには、親自身も失敗を恐れないでください。そして親自身がどんなことにも前向きに楽しく取り組む姿を子ども達にみせてあげてください。子ども達には無限の可能性があることを信じて、たくさんの愛情を注ぎこれからも末永く子ども達の成長を見守ってあげてください。
最後に、卒園されるお子様の健やかな成長、そしてご家庭の皆様のご健康を祈念し、以上で私の挨拶とさせていただきます。本日はおめでとうございました。


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