めでたすぎる事件

㊗️アラビア語の勉強の腰を上げてから 2 ヶ月目にして、ようやく音(単語)をイメージしながらリアルタイムで文字が浮かぶようになってきた!!!!!!!

アラビア語の難しさといったら色々あるけれど、うんともすんともならない大きなハードルとしてあげられるのが「音と映像(文字)が結びつかない」というところだと思う。

どういうことかというと、たとえば
「明鏡止水」
という言葉を覚えるとき、私たちは自然と、一度見た「明鏡止水」という文字を、そこから目を離しても頭の中でイメージし続けて、それを「メイキョウシスイ」という音と意味と連結させて覚えている。

日本語は象形文字なのだから当たり前だ、と思うかもしれないが、英語を覚えるときだって
「apple」
という単語を発音しながら、自然と(紙を見なくても)「apple」という文字が頭の中に浮かぶだろう。フランス語の「bonjour」だってそうだ。決して「アッポーと発音しながら綴りが浮かばない。apple の文字を見たとき、a・p・p・l・e、とゆっくり発音を追っていかないと、記憶したアッポーという音と結びつけられない」ということはないだろう。

私たちは英語のアルファベットにかなりの親しみがあるお陰で、これのちょっとした変更で表すことのできるヨーロッパ言語について容易に文字をイメージできる。中国語に関しては漢字なのだから言うまでもない。

しかし

جكحمثخنةهتوعارغلزفبدقيذصسطضشظ

↑彼らについてはこれがまるでできない。
たとえば、英語の restaurant はアラビア語では

‎مطعم マトアム

という。 マトアム。ちょっと口で言いながら(できなかったら音を頭でイメージしながら)文字を刻みつけてみてほしい。マトアム。マトアム。よし。次もざっと読んでみてほしい。

‎دراجة ダッラージャトゥ 自転車
‎عنب アイナブン ぶどう
‎زهرة ザハラ 花
‎شجرة シャジャラ 木
‎نافذة ナーフィザ 窓
‎شقة シャッカ アパート
‎شوكة シャウカ フォーク
‎ملعقة マルアカ スプーン
‎سكين スィッキーヌン ナイフ

さあ。マトアム(レストラン)、と言われて、文字が浮かぶだろうか?

‎مطعم

無理………

(ちなみに、上にあげた名詞、英語に直そうとしてみると、すべてが日常的に目にする英単語だとお気づきだろうか。
意識している以上に、私たちは基本的な英単語(とくに名詞)には馴染みがあるし、フランス語でもドイツ語でもレストランは restaurant という綴り(発音は少し違う)で、ヨーロッパ言語は似通っている)

だいたい、言語で一番はじめに覚える「こんにちは」の挨拶も、Hello も bonjour も Hallo も Hola も Ciao も、読み方の規則さえ覚えてしまえば綴りが頭に浮かぶ(だから記憶にも定着するし書けと言われれば書ける)ものなのに、

アッサラーム・アライクム
と言い慣れても

اَلْسَّلَامْ عَلَيْكُمْ

という綴りがなかなか浮かばないのには頭を抱えた。

するとどうなるのか。

何度発音をしてもまったく単語が覚えられないという地獄を彷徨うことになる。また、それなら書いてみようと覚えた発音を文字にしようとすると、えっちらおっちらと時間をかけて考えながら書くという地獄も彷徨うことになる。
(その前にもアラビア語には h が 3 種類、t が 2種類、a が 3 種類、などなどあり、アラビア語にしかない発音も 6 つ存在するため「発音できない・発音し分けられない」という山をまず越えねばならない等、複数の山があるのだが、発音できない山は街を歩きながらひたすら ハ・ハ・ハ・ァア・ッア・ア などと発音しまくる不審者を 1 週間も続ければ克服できる)

なので、
㊗️賞味時間 2 ヶ月目にしてようやく音(単語)をイメージしながらリアルタイムでアラビア文字が浮かぶようになってきた!!!!!!!
というのは、めでたすぎる事件である。

今まで生きてきて、意味のある音をイメージするときに音が映像と乖離したことってたぶんなかった気がするのだが、これがいかに人の認識機構において大事かということを思い知った地獄の 2 ヶ月であった。この事実を実感する体験、という意味では有意義なものだったけれど。ちゃんと出口のあるトンネルでよかった。

「音のない、意味のある映像」は、ちゃんと認識→記憶の機能が働くのになぁ。

ヒトにとって最も記憶に残るのは映像である(特に場所の映像)というのは本当だ。

ちなみに、この「映像(文字)に変換できないものは覚えられない問題」に早々に気づいたもので、どうしても覚えようと気合を入れた単語に関しては「Google画像検索をかけてスクショし速やかにアラビア語フォルダに入れる」という小技で凌いだ。じつにめんどくさい。

まあ、そのうちイメージできるようになるだろう、と呑気な気持ちで(単語を覚えられない良い言い訳になるし)、ぼーっと読むことをしていたのがだいたいの事実だ。

だから、もしアラビア語を勉強し始めた人が読んでくれていたら元気を出してほしい。独学で毎日少しずつやったりやらなかったりしていても、2ヶ月くらいまあまあがんばればそのトンネルは抜け出せる!!!!!!!

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フィドル奏者、化学者、薬学者、物書きを称する学徒たちが、本郷の小さな喫茶店で綴る編著作。今日の日を吹き通る風が、美しい明日を彩りますように。

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コメント (2)
これは僕には一生無理そうです(笑)
ただ、カタカナを見せられた欧米人も同じ感覚に陥るそうですね。

以前、デーブ・スペクターさんが、「テストに出そうなことをカタカナで書いておき、テスト中に堂々とノートを広げていても、先生は落書き帳としか思わなかった(文字と認識できなかった)。だから、カンニングやり放題だった」と言って、みんなの笑いを誘っていたことを思い出しました(*^^*)
そうですよね!日本語とアラビア語が世界2大最難関と言われる所以の1つに絶対これがあると思います。それはとても面白いですね🤣わたしももっと早くにアラビア語を勉強しておけばよか()………咳払い
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