水素になれたら

推し元素は水素。次手が酸素と炭素。最推しは水素。なぜなら、万(よろず)を循環して自らが万を構成できるから。普遍にして無限。彼らに記憶があったら、どれだけ楽しいだろうとも思う。

幼稚園で、生まれ変わるなら何になりたい?と訊かれ「人がいい。人と答えられるように生きたい」と答えたことを母に話したら、「人じゃないなら何がいい?」と訊かれた。その時は
「空を飛びたい、でも天敵がいるのはこわいから、天敵がいない鳥っているかな?タカ?トンビ?コンドル?」
「何百年も生きる大きな木もいい。山の中の、子供もおばあさんもみんなが来る公園や神社で、人々を見守りながら世界を観察したい。前にはベンチがほしい。山の中だと人があんまり来ないかな?一番長生きの木は何歳くらい?」と言っていた。

でも、原子というものの存在を知ってからは、水素も捨てがたいと思う。無生物も、有機物も無機物も構成しながら、世界中を循環したい。人間が知り得ないミクロの真実を体験し尽くしたい。
しかし水素には意識がない。やはり意志を持つ有機体でありたい。
せめて、意識を持った水素になれたら。
うーん。人間か。
しかも、そんなに都合よくいかない可能性も大いにある。地下水となって600年を過ごしたり、鉱物に組み込まれて3千万年を過ごすことになるかもしれない。
うーん。人間か。
苦手な虫の構成元素となってしまうことも、あるだろう。木ルートを考えた時も、虫が体を這い棲み処をつくるを考え、虫を愛するようになれるのか、身の毛のよだつ木人生を過ごすのか、何とも思わない木の境地になり切れるのか・・・と母に話していた。
うーん。

私が私である限り、私をはなれることはできないから、結局は、私が一番一致するのは、私を生きることなのだ。

「また、私になりたい」

と言えるような、私を生きていたい。

2月10日 日記

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