シュタイナー教育教員養成講座体験記【1】
前回、教員養成に参加した動機をたっぷり書きました。
今回は、実際に講座が始まってからのことを書きたいと思います。何をしたかというよりも、わたしの実感が中心です。
どんな人たちが集まるのか
子育て経験のある40代〜50代の女性がいちばん多い印象でした。男性もいなくはないですが、少数です。属性は本当に様々で、必ずしも教育関係者ばかりではありませんが、何かしら、子ども・芸術・音楽・自然・宇宙・神秘に関心を持っている人が多かったです。
教員志望じゃなくてもいいの?
教員志望でない人も、半分くらいはいました。「おとなのシュタイナー学校」という感じで、子ども時代に取りこぼしてきたものを拾い集めるような、自分の内面を豊かに育んでいくような、そんな機会にしている人も多かったです。(教員にとっては自己教育が何よりも大事ですしね。)シュタイナー教育にインスピレーションをもらって、自分の仕事に活かそうという人もいました。潜在的には、みんな教育に興味がある人ばかりだと思います。わたしは教員志望だけど、あんまり大きい声では言えないな〜みたいなタイプでした。笑
なにを学ぶのか
子どもたちに教える「内容」や「教え方」を学ぶところではなく、先生としてどう「在る」か、また、シュタイナーの人間観をもとに、子どもたちはどの年代にどういう助けが必要かということを学びます。(それがわかっていれば、おのずとやってあげたいことがあみだされましょう、というわけです。)
科目としては「オイリュトミー」「普遍人間学」「音楽」「美術」「エポック授業」がありましたが、単にテクニックやアクティビティを授けることは意図されていませんでした。子どもたちが受けている授業を体験しながら、あくまでも、それが、どの学年にどう作用するかというところ、意図を理解することに主眼が置かれていました。
先生であることに目覚めたオイリュトミー
オイリュトミーは、いちばん楽しみにしていた授業です。朝一の授業なのですが、どんなに睡眠不足で疲れていても、オイリュトミーをすると、心も体も頭もすっきりします。
そんなオイリュトミーは、「先生としてどう在るか」ということを、体に刻み込むような時間でした。
「先生がこう言うから」「みんながこう動くから」というように、外側に引っ張られるように動くのではなくて、いちいちの動きに対して自発的に、「私が私を司る」という意識でいること。
みんなを導くために、少し先のことを意識して「こうだよ」と示すように振舞うこと。
いつも光を感じて生き生きと立ち、歩き、話すこと。
やる前から判断しないこと。間違えるにしても、堂々と間違えて、体に刻むこと。
これは、現場に入ったいま尚、とても大切に思う感覚です。
*
中途半端なところでいきなり終わりますが、
「普遍人間学」「音楽」「美術」「エポック授業」「1年目と2年目の変化」「リズムの力」「聴くこと」「学ぶことで癒される」「現場で会いましょう」「先生たちの声」「仲間の大切さ」
これらのことは、また追い追い書いていきたいと思います。
サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡