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言うは易く、行うは難し

2年連続で非常事態宣言下での誕生日を迎えた。その前の2019年の誕生日は元号が平成から令和に変わる日だった。いつもより賑やかな誕生日だったその年と比べると落差が大きいものである。

大学入学と共に地元である岡山を離れて一人暮らしを始めた。仕事の関係で一旦実家に帰った時期もあったが、通算するとかれこれ15年以上も一人暮らし生活を送っていることになる。

一人暮らしを始めた大学一回生の頃は、何もかもが初めてだった。毎日が「何をどうやったらいいかわからない」ことの連続だったが、逆に言えば「出来るのであれば何をやってもいい」生活だと気付いてからは楽しみながら生活を送れるようになった。

料理が趣味になったのもその頃からである。最初は食費を浮かすための工夫として行っていたが、徐々に調理そのものを楽しめるようになった。「残り野菜を適当に突っ込んだナポリタン」に始まり、一年も経つ頃にはオレンジページなどに載っているレシピを参考に色々と作る工程を楽しんでいた。

とはいえ、「生活費の節約」という観点はうまく行かなかった。1回生の夏、暑かったこともあって夏場に電気代や水道代が想定以上の額になり、払えるかどうか青ざめたこともあった。

2回生になった夏は、春先から「同じ轍を踏むものか」と夏場の光熱費削減を第一に備えた。暑さがピークに達する7,8月はさておき、6月などのまだ暑さがマシな時期は窓を全開にし、水風呂で涼を取るなどギリギリまでエアコンをかけないようにした。

しかし、その対策には欠点があった。それが「料理時」だった。「暑い時期は辛いものに限る!」とカレーを作ろうものなら、気温の暑さとガスコンロの火と鍋の暑さでかなりの暑さに耐える必要があった。

さて、どうしたものか。料理の時だけエアコンをかけるしかないのか、と考えていたら一つの考えが浮かんだ。

「暑ければ脱げばええやん」と。

とはいえ、6月ということもあり既にTシャツにハーフパンツという出で立ちである。これ以上何を脱げばいいのだろうか。

そんな時、とあることを思い出した。「そういえば…小学校か中学校の時に作ったエプロン持ってきてたよな…?」。

クローゼットの衣装ケースを探って見ると、すぐに見つかった。これだ、これしかない。Tシャツよりも布の面積が少ない。まさに夏場にはぴったりだ。

「裸エプロン」は由緒正しき装いであり、こういう概念が長く持て囃されるのにはこういった理由があるのだ、と勝手に合点した自分は迷わず着ていたTシャツを脱いだ。

流石に(当時の時点で)5年以上前に作ったエプロンのため、サイズは少し小さかったが、隠すべきところはうまく隠れている。

よし、これならいける…!早速その日の夕食の調理に着手した。今夜は生姜焼きを作ろう。

心なしか玉ねぎを切る包丁さばきもいつもより上手に感じた。少なめの油で豚肉を炒め、玉ねぎを投入する。布面積が減ったことにより、手際も良くなった気がする。

さあ、合わせ調味料を投入しよう。醤油と料理酒とみりんを同量、そこにおろした生姜を入れる。完璧だ。

豚肉がいい色に変わったタイミングで合わせ調味料をフライパン全体に絡めるように投入した。

ジュウ…バチバチバチィィィ!!!

投入された調味液によりフライパンから油が一気に跳ね飛んだ。

「ひぃぎぃやああああああああ!!!!」

跳ね飛んだ熱々の調味料と油は、エプロンによって保護されていない肌に次々と着弾した。

そうだ、よくよく考えればわかる話だった。「裸エプロン」はあくまでもラブコメアニメかAdultなVideoの演出であり、料理の際に行われる正装ではなかった。ラブコメアニメやエロアニメにおいては最終的に食べられる(暗喩)のはヒロインであり、生姜焼きではない。裸エプロンの装いで土井善晴先生がおかずのクッキングに出演したり、上沼恵美子師匠がおしゃべりクッキングに出演したことがあるのか?考えればすぐにわかる話だった。我々は料理を作っているのだ。生姜焼きを作って食べようとしているのである。土井先生や恵美ちゃんを美味しく召し上がる(暗喩)つもりはない。

世の中には、傍から見ているだけだと安易に「こうしたら解決するんじゃね?」と判断しがちである。だが、「なぜそうしないか」の背後にはおそらく「やった結果、大失敗した」という経緯もあっただろう。先達の判断を尊重すべきなのは、そういった点なのだろう。


言うは易く、行うは難し、である。


https://twitter.com/iekiek1984/status/1391316949334827008?s=19

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