家古 蒼万

蒼い万屋『かこ そうま』 デジタルで文字作品を置きたい時に使います。 明確に書いたり衝…

家古 蒼万

蒼い万屋『かこ そうま』 デジタルで文字作品を置きたい時に使います。 明確に書いたり衝動的につぶやきとして書いたり

最近の記事

心機一転

表に出ずに消え去ってしまったものがありました。 残念でありますが、起きてしまった過去は元には戻らないので、そこで待っていても何も生まれません。 実現せずにいたのは本当に悔しく思います。 自分の中の期待と自分の努力が比例していなかった。 自分自身が何をしたいのか、路頭に迷っていた期間でもありした。器用に力を思考を時間を分配させる事が苦手であると認識できた事もあり、この経験は無駄では無いことは確かです。 他の視点でも未来を描くことが苦手なのだとわかったのです。 実現していたら

    • 事実に触れた

      夜だ。僕は買い物をしていた。 ふと電話が鳴る。友人からだ。いつも通り暇しているのだなと思い、買い物を終わらせてから連絡を折り返した。 それが突然の知らせだった。 身近であって少し遠かった。それでもお世話になったのは確かだった。 そしてその事実に触れてしまったのだと、認識したのは少し後だった。 心に表しようのない感情がぐるぐると停滞して かなしくて、こわくて、くるしくて その事実と対面してしまうとこんなにも恐れてしまうのか。どうしたらいいかわからなくなってしまうのだと

      • 空蝉

        普通の人間だったらば。 そう考えることが多くなってきた。 ちょうどよく吐き出せたなら。 人の感情を受け取るのが敏感すぎて、どうも生きることが辛くて。 場の雰囲気に、空気の圧迫に息苦しくて。 見えないものに追われ追われの日々から脱却はしたものの。 人が他人に怒っているものも自分に起こっているのではないかと錯覚して悲しくなって。 生きてる意味なんてあるのだろうかと考え込んでしまう。 勝手に涙が出てくるのもやめてほしい。 泣きたくて泣いているわけでもないのに。 死に方

        • 描きたくなる衝動に駆られる。その衝動は突発的にやってきて自分を支配する。自分の意識下で支配されているが明確な意味は不明である

          4月ですね

          今春は、描く事に特化していた。 感じとった味、その時の感情、人のイメージをアウトプットし絵として反映させた。心が疲れきっていた所から回復していき、今は穏やかである。 自分が何をしたいのか、は未だにわからない。その時その一瞬を生きる事に魅力を感じている。 4月になったということは新年度になったということ。新しい起点にはいい機会である。 今年は何をしようか。 歌ってみたも月一で投稿するぞ!の気持ち。 ゲーム実況動画も始めているし、(まだ1だけど) 実写動画……だろうか。

          4月ですね

          歌って、音楽って素敵だ。 歌は人それぞれの声で言葉を音に乗せていく。楽しく歌う、気持ちがこもっている、 ふと、どうしたら歌で気持ちを伝えられるか、と思いつめる時がある。今がその時でもある。 たくさんのストレスに苛まれ、精神が疲れきっている。 家にいる時間が長いからこそ歌を歌えると思うが、行動よりも、思考ばかりしてしまうのだ。 そして悲しくなる。 この思いをぶつければいいのだろうか。 それもなんか違うような気がするが、別に間違ってもいない。 実際正解なんてない。 こうしていきた

          なんかまた限界かなって

          目に縋る。目を信仰している。自分の描く目に。 文字を書いて絵を描いて文字を打って吐き出すことでストレスを解消している。そうやって昔から過ごしてきた。 しかし、ココ最近はどうもそれでは足りない、そして積み重なっている気がする。 なんで生きてるんだろうとか、死にたいしか思わない。それでも最終的には“誰かの希望になる”という使命が過ぎって死ぬことはない。 そもそも死ぬ覚悟が全く以て無い。だって死ぬの怖いから。 興味はあれど、というところ。 寝ても寝ても寝足りない、最近、毎晩夜に

          なんかまた限界かなって

          グッズ販売するよ〜

          SUZURIでグッズ販売を始めた。 元々なにかのデザインをすることが好きで、実現したいと夢見ていた自分。1つ前進。 たくさんの人に手に取ってもらえるように試行錯誤しつつ、自分の素直な抽象化を気に入ってもらえたらと思う。 何事も自分で行動する事が大事。失敗したら失敗から学べばいい。行動を起こさなければ何も始まらない。 やっとスタート地点にたてた。 これから新しいものを想像し豊かなデザインをつくっていく。

          グッズ販売するよ〜

          心を動かす

          いつも感じたことを素直に言葉にしている。 そして今日、感動してくれる人間がいた。 何より嬉しかった。そして面白かった。 誰かの心にもちゃんと響くのだと。 言葉って簡単で難しいけど、自分にも誰かの心に響かせられる力があるんだって、嬉しくなった。 だからこそ、より一層、言葉を大切にして生きようと心に決めた。 ありがとう。またひとつ、僕があたたかくなった。

          心を動かす

          想い

          自分はその時の気持ちをよく絵や音で表現する。 とある意見を聴いた。 『絵や音では細部まで、気持ちはわからない』 確かにそうであると納得した。 だが、自分はそれが面白いのだ。 どこかに"本当"を混ぜ込む。 それを見つけられる人がいるのか、とか考える。 大方、そもそも見るだけが多いから気付かない。 ストレートより、入り組んでた方が面白いじゃないか。 見つけてくれたら、何より喜びじゃないか。 そういう遊びをして、想いを表現する。 もちろん、文字でも表現するさ。

          興味

          同じ景色を見て歩いていても、新鮮な気持ちになる。 新しく見える。 周りを見渡して、ここの建造物はこうなっていたのか、夕暮れの陽の当たり方は綺麗だ、看板の反射が美しい、花が咲いている、ゴミがポイ捨てされてる、芝生に生えた草って面白いな、と様々なものに興味を引かれる。 新しい発見をした!と嬉しくなる。 外の世界を歩くことは、実に面白い。 これからも発見を絶やさずに生きていきたい。

          笑う

          己はよく笑う。些細なことでも面白くて、本当に面白くて、笑っている。ダジャレとかも大好きなのだ。 『笑う』ことはいいこと。 僕が笑って、みんなが笑顔になれるなら。それは本望である。 笑うことを忘れずに生きていきたい。 しかし最近では笑うことすらも無理にしているのではないかとか、面白いと思ったことが、特に面白いと感じなくなってしまっている。 そんな自分に嫌気がさしている。 また元のたくさん笑う人間に戻れたらな。 笑うことが楽しく、無理なく自然になれたらいいのにな。