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にんじんさんの体験記:大学院生の「家出」。心理的虐待を受けて。


ああ、家出したんだ、あの家に帰らなくていいんだ。ということをひたすら噛み締めてぼんやりしていました。「出ていく」という瞬間最大風速にエネルギーを使い切ったので仕方ないです。


執筆者の紹介

・ハンドルネーム にんじん
・家出時の年齢 22歳
・現在の年齢 24歳
・現在の職業、立場 会社員

1. 家出時の家庭の状況

 虐待には4つの種類があります。オレンジリボンのサイトによると、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクトに分類されるそうです。これらは複雑に絡み合って起こるものですが、わたし自身の経験はこのうち「心理的虐待」に該当すると考えています。

 しかし、殴られた跡があるわけでもなく、育児放棄されていたわけでもありません。むしろ、「何不自由なく育てられた」と思っていました。
 親を疑い、なんだかおかしいな、逃げようかな、と考える余地があらかじめ奪われていた、という言い方が正確かもしれません。心につけられた傷は自分でも見ることができませんでした。

 私は大人の顔色をうかがう子どもでした。母親の機嫌を損ねるのが怖かったからです。母親は、私を支配するタイプの人でした。私は極度に怒られることを恐れていたので、学校ではいい成績を取っていました。いわゆる「オーバー・アチーバー」あるいは「過剰適応」の人間です。母親は過干渉で、たまに気分で私の自尊心を傷つけるようなことを言ったり、将来の夢を壊したりしてきました。

 しかし、それは全部わたしが悪いのだ、と思わされていました。身も心も、母親にとって好ましい人間として生きるようセットされ、そんな環境を演じきっていました。

 表面上は「良い家族」に見えていたのかもしれません。全員が必死に家族内で役割を演じていました。しかし、実は家族全員が疲弊しており、病んでいて、それを対外的に隠蔽していました。コミュニケーションが取れる状態ではなく、既に崩壊しかけていました。

 私自身も、家族の状態の疲弊が身体症状として現れるようになっていました。わたしは家族に愛されて何不自由なく育てられたと思っていたので、家族状態が原因だとはなかなか認められず、医者や友達に混乱する言葉をたくさん聞いてもらいました。

 その中で、ようやく「私の家は少しおかしいのではないか?」と思えるようになりました。今考えると、「私の家族がおかしいわけがない!」と考えたかったのも一つの防衛なのかなと思います。

2. 決心の後にした準備

 もう限界だ。と思って、家を飛び出したのは完全に勢いでした。決心から家を出るまでその間なんと20分(!)なので、荷物を詰めるくらいしかありません。(荷物については後述します。)

 強いて言うのなら、「わたしは虐待されていた」と認識できるまでの時間が非常に長かったです。夜な夜なインターネットで「虐待 親 特徴」などと検索しては読んだり、大学の図書館にいって虐待や家族関係についての本を読んだりしました。

 また、友達に自分の家の話をたくさん聞いてもらって、「やっぱりそれはおかしいと思うよ」と複数の人から意見を貰えたことも原動力になりました。「わたしはchild abuse、すなわち子どもとして不当な扱いを受けていた。だから、ここから逃げ出してもいい」。その気持ちを強く持つことがいちばんの準備だったかなと思います。

3. 家での最初に必要なお金をどうやって工面したか

 大学院生は、日本学生支援機構の第一種奨学金(利子なし)の審査にかかわる家計基準が「本人の収入と配偶者の収入の合計」で審査されます。つまり、親の年収は関係なく審査されます。そのため、修士1年の4月から月88,000円の奨学金を借りていました。

 私の場合、親の年収の関係で学部生のときに第一種奨学金を借りられる基準にはありませんでした。バイトはしていましたが、家にあまり帰らず交際相手の家を転々としたり、帰りたくなくてネカフェで寝たりしていたので、実家暮らしでも常に貯金は底を尽きていました。震える手で消費者金融に電話をかけ、途中で怖くなって切ることも何度もありました。プチ家出を繰り返して今を生き延びることに精一杯で、本格的な家出をするだけのお金も気力も貯まらなかった時期だと振り返っています。

 奨学金を借りることは母親に猛反対されました。しかし、父親にこっそり連帯保証人のサインをしてもらって奨学金を借りました。そして、アルバイトの数を増やし、できるだけ奨学金には手を付けないよう節約を心がけてM1の前半を過ごしました。結局返さなければいけないお金なので、できるだけ使わない、でも困ったら迷わず使うと決めていました。

 上述した家庭の問題が表面化し、家に居られなくなったとき、約半年分の奨学金が口座に溜まっていました。未来の自分からの借金とはいえ、若干の貯金があったので金銭面的には少し安心して家を飛び出すことができました。とりあえず1泊、じゃらんで格安ゲストハウスを予約し、家出生活がスタートしました。

4. 実行時の持ち物

 本格的な家出は初めてでしたが、学部生の頃から家に帰らずフラフラしていたので荷物の用意は20分で終わりました。登山用のリュックサックと、普段遣いのリュックサックの両方に荷物を詰めました。ジャンケンで負けた小学生みたいに前後にリュックを装備して家を出ました。


【登山用リュック】
・服(だいたい4〜5日分のトップスと下着類、替えのズボン、部屋着、冬だったので防寒着)
・旅行用ミニサイズのシャンプー・リンス・ボディーソープや洗顔など
・薬とおくすり手帳

【普段遣いのリュック】
・財布
・パソコン
・バイトに必要な道具
・モバイルバッテリーと諸々の充電器
・読みかけの本

【あとから必要だと気づいたもの】
・どの靴を履いていくかは重要です。わたしはうっかり、雨の日に水が染みる靴を履いてきてしまいました。不運なことに雨の日が続き、毎日足が冷たくなって悲惨でした。諦めて途中で安い靴を買いました。
・折り畳み傘も必須です。100均でビニール傘を買いましたが、移動する時にとにかく邪魔でした。
・家出1週間後くらいに、爪切りと綿棒が欲しくなりました。100均で買いました。
・前髪がある人はハサミを持っていると便利です。家出中も前髪は伸びます。
・ヘアピン、髪ゴム、ヘアブラシを持ち忘れました。
・ホテルやゲストハウスはだいたい乾燥しているので保湿クリームは必須です。
・女性は生理用下着を持っていきましょう。

5. 家出をして、最初の1〜2週間で何をしたか

【初日】
・ああ、家出したんだ、あの家に帰らなくていいんだ。ということをひたすら噛み締めてぼんやりしていました。「出ていく」という瞬間最大風速にエネルギーを使い切ったので仕方ないです。

・初日はゲストハウスを予約したのですが落ち着かなかったので、ネットでとりあえず先1週間分のホテル(個室)を取りました。


【家出開始2〜3日】
・大学に通える場所のホテルに引っ越しました。

・なぜか必死に研究室で進捗報告の準備をしていました。研究室の人に「数日前に家出したので発表できなくなりました」と言って日程を変えてもらうというシンプルなことが思いつかず、なんとかしてやらなきゃ!と思っていました。今考えると、正直に話して周りの人に協力してもらい、その体力と脳みそのキャパを別のことに使ったほうが良かった気がします。

・大学の図書館で、「毒親」に関する本を数冊読みました。自分が家出したことは間違いではないんだ、ということを確かめるために必要な時間でした。最初の数日で狂ったように本を読み漁っていたのですが、その後は鬱で文字情報が頭に入ってこなくなってしまったので一切本は読めませんでした。勢いがあるうちに、情報を仕入れられたのは正解だったかなと思います。


【家出開始1週間】
・ウィークリーマンションを探しはじめました。家出の最終目標が見えないまま勢いだけで家を出たので、いつまでホテル生活をするのか?ということが全く読めませんでした。今予約しているホテルのチェックアウトの日が来てしまったら、その後どうしよう?ということばかり考えていました。

・結局、ウィークリーマンションも3ヶ月程度の短期滞在では結局割高だということがわかったので、平日はホテル泊、ホテル代が高い金土日は友人宅に泊めてもらい、ついでに洗濯機も借りる生活を数週間続けることになります。

6. 家出をして1〜2週間経ち、それ以降に起こった大きなこと

・家出状態があまりにも快適でした。誰からも指図されないし、エネルギーを吸い取られることもないし、自分ひとりで自分の好きなように生きていい時間を手に入れたことはこの上ない幸せでした。
 ホテル暮らしではありましたが、なんとなく1人で暮らしていくイメージも付いたので、もう実家には帰らないし親にも支配されない、一人暮らしをしてしまおう!と決心できました。

・しかし、家出を続けるためにはお金がかかります。私は地域のシェルターをネットで検索しました。しかし、配偶者DVの被害者向けのシェルターばかりでした。もしわたしが未成年であれば、児童相談所に保護してもらうことが可能だった、ということも知りました。成人してから自分の虐待をはじめて認識した子どもは、公的に逃げられる制度がないのか、ということに絶望しました。

・そこで、一人暮らしのはじめ方について友達にたくさん教えてもらいました。具体的には、SUUMOなどのアプリでどのような条件で絞り込むべきか(例えば、女性は2階以上がいいよ、など)を教えてもらい、物件探しをしました。
 そして、アプリで絞り込んだ条件をもとに不動産会社に行き、何度も内覧をさせてもらいました。なかなか住むエリアを決められず、結局家出開始から家を決めるまでは2ヶ月弱かかりました。当時は混乱状態にあったので自分の判断にもなかなか自信が持てず、内覧して「いいかも!」と思っても必ず1日寝かせて考えるようにしていました。

・連帯保証人が必要だったので、一応、一度家に帰って両親に「一人暮らし宣言」をしました。母は支配下から出ていく私を詰めるのみでしたが、父は半ばしょうがない、といった感じで承諾してくれました。母親の精神的攻撃については、念の為証拠としてボイスレコーダーで録音しておきました。
・研究が全く進まない状態になってしまったので、大学院の指導教員にアポを取り、自分の身に起こっていることを全て話しました。家出状態が落ち着くまで研究は進められそうもないことについて理解してくださったのが救いでした。

・新しい物件の契約が完了した時点で、引っ越しの荷物準備のため一旦帰宅しました。最低限の荷物だけを持って引っ越しました。家具家電はリサイクルショップなどで少しずつ揃えていきました。

・新しく引っ越した地域に転入届を出すタイミングで、警察署で「戸籍の閲覧制限」をかけることができるということを知りました。DV加害者や虐待加害者に居場所を特定されないよう、申請することができるそうです。(詳しくは近くの役所等で相談してみてください。お役所の方は誰より制度に詳しいので頼りになります。)

・一人暮らし開始から数ヶ月後ですが、親の扶養を抜けて自分で国民健康保険に加入しました。一番「自立した!」と実感した瞬間です。

・嫌なことを思い出しそうなものは大体メルカリに出しました。

7. 家出のメリットは何か

正直なところ、当然ですが家出しなくていいならしないに越したことはないです。お金もかかります。体力も奪われます。明日は屋根のあるところで寝られるだろうか、と1日中心配する必要もありません。

 自然の摂理として、子はいつか親元を離れるものでしょう。しかし、「離してくれない親」も存在します。引き止められ、鎖で繋がれ、壊れてしまう子がいます。そういう場合、「家出」という強硬手段でしかその鎖を断ち切れないことがあると思います。それが私でした。

 家出最大のメリットは、私は私、一人の人間として自由に生きていていいんだ!と気がつけたことです。「あなたはこの家から離れて生きていくことなんてできない」という強い呪いをかけられていたので、プライバシーが守られた自分の家で独立して生きていけるということは何より自尊心を回復させてくれました。その幸福な気づきは、費やしたお金にも時間にも代えられない大切なものです。

 また、自分の家族や自分の人生について、相対的に俯瞰して見ることができるようになりました。家出前は、戦火の渦中にいる状態でした。母親は絶対的だったし、家族問題は誰にも話せなかったし、そもそも自分のしんどさを言語化して確認できる状態ではありませんでした。

 しかし、一歩家の外に飛び出して生きてみると、家族関係の歪んでいるところがよく分かりました。私の認知の歪みも分かりました。冷静に、自分がとてもしんどい状況を文字通りサバイブしてきたのだということを確認できました。

 すると、少しだけ、両親とも対等な人間として話し合いに臨める勇気が湧いてきたように思います。

8. 家出のデメリット

お金がかかります。預金残高が減ると、もう家出なんて辞めたらお金使わなくていいし、ごはん食べれるし、なんでこんなことしてるんだろう?もう帰っちゃえばいいのに。と、心の中の天使か悪魔か分からない存在が囁いてきます。

 時間も奪われます。1ヶ月も研究室に顔を出せていなくて本当に大丈夫なんだろうか?もう元の日常に戻ってしまったほうが楽だよ、と囁きが聞こえます。

 身体的にも精神的にも磨耗します。自分に残された方法が家出しかなかったということや自分の置かれている状況に何度も絶望しました。家族内の違和感に目をつぶっていたほうが、短期的には安定しているししんどくない、その目先の幸せを取って家に戻ろうかと思ったことは何度もありました。

 これらの声はなんども私を誘惑し、戸惑わせました。ここで負けると、家出は頓挫で終わることになります。それは、内面化された親の支配の声に屈服することでした。「家出がうまくいかなかった自分」という挫折感と罪悪感が自尊心をついばみ、延々と続く不可視化された絶望の日々がまた繰り返されることになります。

逆説的ですが、家出しなければ、「家出しないほうが良かったかもしれない」と悩むことはありません。

 それでも、あなたのその家を飛び出したほうが幸せに生きることができると思うのならば、思い切って飛び出してください。まだその段階にないと思うのならば、お金と時間と体力を「その日」に向けて蓄えるのがいいと思います。

9. 家出に際して知っておくべきこと

 正直なことを言うと、家出に成功したからといって、すぐに人生が順風満帆になって超幸福!なんてことはありませんでした。一人暮らしは慣れないし、新生活は何かとやることがたくさんあります。

 それに、自分を俯瞰して見ることができるようになった結果、自分という人間がいかに親に支配されてきて、現在の対人関係の築き方がいかに親の影響を受けたものであるのか、否応なしに直面させられました。私の好みや、やりたいと思っていることが、「本当の私」なのか、「親の支配の結果そうならざるを得なかった私」なのか区別がつかず、大混乱しました。

 親の支配に耐えてきた私も今の自分を構成する一部なのだと受け入れるまでに時間がかかります。それは、おそらくとても長い戦いです。親との直接的な関係を切ることよりも、自分の中に内面化した支配の声から逃れることのほうが難しく、先の見えない戦いで苦しいことを実感しています。このことは、支援者の方々に知っていただきたいと思います。

 とはいえ、念願の一人暮らしは最高です。当然実家暮らしよりお金はかかりますが、誰にも干渉されず自分のペースで生きていけることがこんなに幸福なことだとは思いませんでした。「一人暮らししたら親のありがたみが分かるよ」とよく聞く言葉がありますが、私の場合いかに親がありがたくなかったかのほうがよく分かりました。

10. これから家出する人に向けてメッセージ

 子が親元を巣立つことは、本来全く不自然なことではありません。その巣立ち方には当然いろいろな形があると思います。「家出」というと一般的に反社会的なイメージが付きまとう言葉ではありますが、誰がなんと言おうと自分はこの家を出るんだ!と強い気持ちをもって「自立」することは悪いことでも、間違ったことでもないと思います。

 巣立ちを阻害してくる親から離れることは、膨大なエネルギーを使います。「お前は間違っている」という言葉を浴びせられるかもしれません。しかし、その自立の妨げこそが、「虐待child abuse」、子どもの権利を不当に踏みにじりその力を奪うことなのだと思います。

 まずは、有益な情報をくれる味方を作ってください。わたしの味方になってくれたのは、メンタルクリニックの先生、その先生に紹介してもらった地域の公的相談機関やNPO法人の方、大学の先生、家に泊めてくれた大切な友人です。公的機関に助けを求めることを躊躇わないでください。精神的な支援のプロ、法律のプロ、自立支援のプロ、学生相談のプロ、いろいろなプロがいます。まず勇気を出して、1人プロの味方をみつけてください。自分で見つけるのがしんどかったら、信頼できる友達にプロ探しを手伝ってもらってください。きっとその最初の味方が、その後を戦い抜くために必要な他の仲間も紹介してくれるはずです。

 また、対人援助職も「人」なので合う合わないがあったり、うまく自分の状況が伝わらなくて必要な支援が受けられなかったり、話してみた人の専門としていることが自分にマッチしなかったりすることがあるかもしれません。

 私もシェルターに受け入れてもらえなかった時はかなり落ち込みました。しかし、あなたを助けてくれる別の支援者が必ずどこかにいます。諦めないでください。

 この文章が少しでも誰かの助けになれば幸せです。あなたが、あなたらしく生きることができる未来を願っています。

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