見出し画像

"She" でも "He" でもない "Ze"

心と身体の性別が一致している人たちから見たら僕らはどう見えているのかしら。

いろんな媒体の会員登録には男と女の選択をしなけらばならないことがほぼ100%。女にチェックを入れるけど、いつも一瞬手が迷う。
「この選択に何の意味があるのだろう」
なあ、男か女かの選択肢って必要か?

君らは僕が性別の話をすると決まって口にする。

-そうはいってもどこからどう見たって女じゃん

わかっているそのくらい。20年以上女の服を着て女のように生きてきたのだ。
しかしいくら僕が男のような格好をしたところで、端から見れば所詮それはボーイッシュな格好の女なのだ。否定したところで意味なんてないし、見た目で判断するには僕の見た目は十分すぎるくらい女性だ。
?や!や1,2,3…、男/女、年齢、そんなものはただの記号で、君が君たる、僕が僕たる所以のほんの一部を表しているただの記号だ。
人間はカースト制のように分類することで相手との接し方を変える。様々な記号は判別するための情報で、何に属しているのか、どのレベルでどんなスペックの人間なのかは見える情報で判断して話すしかないからな。
そういう点ではブルゾンちえみの出演しているドラマタイトルのように、人は見た目が100%なのだ。

一つ腹立たしいことはどうやっても僕を”男っぽく振舞っている女の子”に分類する輩どもだ。二十歳を半分も過ぎて”女の子”という点も苛つくが、”可愛いよ”とか意味のわからない言葉を吐く奴らだ。自分の外見なんぞ他人に言われずともよく認識している。容姿を褒めてもらいたくてトランスジェンダーと嘯いているとでも思っているのか。頭をカチ割ってやりたい衝動にかられる。しかしながら上記のような人間には何を言っても理解は望めないどころか会話は平行線、仕舞いには君のことを分かっているよ発言されかねない。これ以上なく不快な思いをする前に、スパッと関係を絶つことをオススメする次第だ。


勘違いしている人が多いので言わせてもらうが、性別は自分で決めるものではない。性別はおそらく生まれたときに決まっている。自分では選ぶことができない。選べたら楽だよなー、とはおもう。
自分の性別を自認している人とそうでない人とは心の在り方が違うと感じる。わからないってことは苦しいのだ。苦しいからわからないままにしておくことを嫌うのだよね。

けれど僕は、わからないものはわからないでそのままにしていいと思うよ。

そのうちふっと分かったりするしね。


参考記事はこちら⇨http://life.letibee.com/harvard-ze/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?