見出し画像

君子訓 巻之中


 伊訓に、君為たらば克く明かに臣為らば克く忠といえり。
此の意は、君の徳は、明らかなるを主とす。
明らかなれば、人を能く知りて、善き人を用い、悪しき人を退けて用いず。
故に、國能く治る。
臣下の徳は、忠を主とす。
忠とは、君の為に心を盡して誠あるなり。
忠なれば、官職を勤め、善人を挙げ進め、君の過ちを諌めて善に移らしめ、我が身の利害を顧みず。
唯、偏に君の為に心を盡す故に、忠臣は、國の至宝とすべし。
不忠なれば、君の悪しき事を知れども諌めず、君の為よき事あれども言わず、唯、君の寵を願い、官祿をのみ心に懸ける故、其の寶は盗賊に異ならず。


 堯舜の聖といえども、一人にて衆事を治める事能わず。
賢者を選みて職を分ち、是れに任じて疑わず。
賢者、職にありといえども、一時に功を立てず、久しく其の職を勤め、其の事に熟して後、其の功、成就す。
政を為すに、小利を見て速やかならん事を好むは、聖人の誡なり。


 古の聖王賢君は、必ず賢者を求めて職に任じ、政を佐けしむ。
故に、國よく治りて、其の功、大なり。
君たる人は、先づ、我が心を正し、知るを明らかにして、人を能く知り、宰臣を選び、次に諸有司を選ぶべし。
宰臣は、家老なり。
諸有司は、諸役人なり。
今時の、取り次役、目付役、郡町の奉行、勘定の司の如きは、政事に係りて重き有司なり。
宰臣・有司、其の人にあらざれば、政乱れて國治まらず。
宰臣は、才徳有りて大量なる人を擇び用ゆべし。
取次は、上の詞を下に通じ、下の言を上に達す。
其の人悪しければ、上の惠み下にくだらず、下の苦しみ上に聞えず、上下の情通ぜずして、君徳昏くなる。
目付役は、臣民の善悪を糺して直言する職なれば、君の耳目なり。
郡町の司は、殊に仁愛深き人を用ゆべし。
君と宰臣と賢なれども、此の役人、不仁なれば、民を安んずること能わず。
勘定の司は、廉直にして算数に達したる人を擇び用ゆべし。
其の余りは、是れを推して其の職に宜しき材を選みて任ずべし。
此の如くなれば、官、其の人を得て、國治まり民安し。
尚書に政在知人在安民といえり。


 君子と小人とは、譬えば、水と火との如く、香と臭との如し。
一時に相並びては、用い難し。
小人用いられれば、君子の道は行われずして、君子は、終わりに小人の為に讒せられて退くに至る。
人を知る事、古人も是れを難しといえり。
人の言語・容貌を見て、其の心底を知る事は、至明の人といえども必ずとし難し。
孔子も其の言を聞いて、其の行を観ると宣えり。
観るとは、心を用いて察するなり。
古人は、人のすき好む事と、其の人の親しき友の善悪を以て察し、又、其の平生行う所の善悪を見て、其の人の賢不肖を知り、事を問い業を試みて、其の材能の長短を知る。
是れ古人、人を知るの法なり。
人を知り、時を以て君に告げて挙げ用いるは、宰臣の職なり。


 凡その人は、忠信ありて後、才力を用ゆべし。
忠信は貞實にして偽り無きなり。
不實にして材能あるは、盗人なり。
近づくべからず。
忠信ならば、才力少し鈍くとも、学問し、物馴れたらんは、世用に達すべし。
才能ありとても忠信ならぬ者を用いて、後悔したる君、古今に多し。


 古は、才徳ある人なれば、家筋にもかかわらず、賤しき者にても、挙げ用いて職を授く。
材能なき人は、貴族にしても、其の父祖の祿ばかりを其の儘あたえて、官職に任ぜず。
政に益なき故なり。


 凡そ、人に能あり不能あり。
賢者といえども、亦、然り。
一人に備わらんことを求めれば、天下に取るべき人なし。
人々の得たる所を知りて、其の人の能くすべき職に居らしめば、果たして其の職を能く勤めて功ある時は、賞を与えて久しく其の職に任ずべし。
其の職に久しく居れば、其の事に熟して功多し。
堯舜の時、賢臣皐陶稷契の如き、皆、一生官を遷し給わずして、功庸多かりし也。
後世の君は、臣下の微労を賞してたやすく官を遷すゆえ、皆、其の職に熟せず、或いは、不得手なる事にかかりて迷惑し、國政に益なく害多し。
但、人を用いる始めに、官に任じ、其の能を試みて後、挙げ用いるは、左もあるべし。
其の得たる所を知らずして、官を遷すは、人を用いる道にあらず。


 萬の事は、勤めるによりて成り、惰るによりて廃る。
各々、其の位にありては、其の職分を愼むべし。
一念、愼まざれば、衆人の患となり、一日、愼まざれば、永き患となる事なり。


 位は、座席なり、祿は、食邑なり、官は、職事なり。
古は、職を勤めて功あれば、位を進め、祿を増し、金帛など賜わる。
官を以て賞とせず。
官は能に授けるものなり。
褒美の具にあらず。
周の世の法は、士の子、其の材徳なければ父の官を継がず、是れを世々にせずと云う。
大臣の子といえども、必ず其の才智、勝れざれば、其の父の祿を与え継がしめて、其の父の官職をば継がしめず。
大臣の子なればとて、其の人、其の職にかなわずば、君のため民のため悪しく、萬事治らず。
是れ、災いの本なり。
然るに、後代は事しげくして、官職年々に増し、其の祿を世々にし、後は君の倉入りの財盡き虚しくなる。
爰を以て、唐虞の世に官に勧めれば、其の官につきたる祿を与え、其の官に任ぜざれば、其の祿を与えず。
是れ、今の役料というもの也。
是れ、萬世に行われて害なき良法なるべし。
官職を授かりし人、其の人、老死して、其の子の才なき者に其の祿を其の儘与えれば、君の財祿盡きて國用足らず。


 賢者といえども過失なきこと能わず。
小過を赦さざれば、其の功を成しがたし。

十一
 凡そ人の誉め誹り、必ずみだりに信ずべからず。
善人にも人を知る事、昧き人ありて、誉め誹りに誤りあり。
又、小人・婦女・奴婢は、知なく私ありて、人の善悪邪正を知らず。
我が心に合えば悪人をも誉めあげ、心に合わざれば、善人をも誹りおとす。
善行をも悪といい、悪行をも良しと言う。
小なる事を大に言いなし、大なる僻事をも咎めず。
時の勢いに徇いて、誉め誹る事定まらず。
道理に違い、正直ならず。
愚かなる人は、かかる僻事を信じて、君子を退け、小人を親しみて、小人にたぶらかされ、名を汚し、身を亡すに至る。
つつしむべし。

十二
 宰臣の職は、君を輔佐して其の過失を正し救い、政の善悪を論じ、賞罰を正し、諸有司を統べて、其の成功を責め、廣く人才を求めて他日の用に備う。
細務を自らせず、有司に打ちまかせ置きて、年限を以て其の功過を察し、君に告げて是れを進退すべし。
有司の勤めを一々上より指図すれば、いかなる良有司にても、其の才能を盡す事を得ず。
上の意をうかがい、上にかかりて身がまえし、其の職にはまる事なし。
斯の如くなれば、事立たずして功ならず。
初めに精しく人を擇び、是れに職を授けて後は、打ち任せ置きて小過を許し、年限を以て考察すれば、其の能不能、明らかに知れるなり。

十三
 凡そ、國を亡す君も、其の君一人の仕事にあらず。
一人不徳なれば、其の臣下諂いて、悪を勧め導く故、國亡ぶるに至る。
上より下を疑えば、下も亦、上を疑いて、其の心を盡さず。
上、誠を以て下を使えば、下も亦、誠を以て上に応ず。
自然の理なり。
或は、人を信じて欺かれる事あるは、上の心不明にして、佞諛を好み、偏愛に溺れる故なり。

十四
 晋の平公、其の臣叔向に、國家の患何れか大なるやと問われしに、叔向対えて曰く、大臣は祿を失わん事を恐れて君の過ちを諌めず、小臣は、罪を恐れて敢て言わず。
此の如くなれば、下情塞がりて上に通ぜず。
是れ、國の大なる患なりと。
上下の情通ぜざば、上の人、身の行いも國の仕置きも、悪しき事を聞かず、其の心日々に驕りて、過悪増し長ずるゆえ、國の危き事、是れより甚だしきは無しと云えり。

十五
 君たる人、我は諌めを好めども、人我を諌めずと言うは僻事なり。
譬えば、酒食は、人の好む物なり。
故に、辞すれども人必ずしいて侑む。
然れば忠言の出でざるは、聴く事を好まざればなり。

十六
 管仲曰く、明君は、我が智を用いずして衆人の智に任す。
我が力を用いずして諸人の力を用いる。
衆人の智を用いて思慮すれば、明らかにして知らざる所なし。
諸人の力を用いれば、成就せざる事なし。
人の目は、天際の遠き所を見れども、我が背を見る事能わず。
心も亦、然り。
いかに聡明の人も、我が過失を知る事は、明らかならず。
故に、人の諌めと世の謗りを聞きて、我が過ちを改むべし。
昔堯の時、進前の旗あり、善事を君に奏せんと思う者は、其の下に立つ。
又、誹謗の木あり。
大なる木を削り、都門の外に建て置き、何者にても政の誤りを思い寄りたるままに書かしめて、善言あれば取りて用い給う。
舜の時、敢諫の鼓あり。
君を諌めんと思う者、其の鼓を打てば、官人出合いて是れを聞きて、帝に奏聞す。
此の事、大戴禮に見えたり。
殷の湯王は聖人なり。
然るに、其の賢臣・仲虺と言いし人、湯王の徳を誉めて、過ちを改めて吝ならずと云り。
仲虺・湯王を戒めて、自ら用いれば、小しきなりと云り。
自ら用いるとは、我が才を自慢して、人の言を用いざるを言う。
古の聖王すら、過ちを改め人の諌めを聞き用い給う事かくの如し。
況や、聖人ならざる人、諌めを受けて過ちを改めずんば在るべからず。
諌めを聞きくに、たとえ人我が過ちを告げたるは、其の言当らずとも、皆、受け入れるべし。
斯の如くなれば、人諌めを言い易くして、我が過ちを聞く事多し。
もし我が過ちなきを言立て、逆らい争えば、重ねて告げ聞かせる人無し。

十七
 臣下として其の職分に当たらば、君の過悪を諌めずんばあるべからず。
漢土の忠臣は、身を捨てて君を諌め、殺される事を知れども顧ず。
凡そ、君の為に身を捨てる事、戦陣に限るべからず。
身をかばい、命を惜しみて、君の悪を知れども諌めざるは、不忠なり。
況や、官祿を惜しみて黙すは、言うもさらなり。
我が邦の人は、戦場に出でては勇なれども、諌争の一事は、漢土の人に及ばず。
是れ、國の習わしなるか、無学にして諌めの術を知らざるか。

十八
 諌めの術二つあり。
直諌と諷諫となり。
直諌は、明君に施す。
明君は、いかなる強き諌めをも用いて怒らず。
諷諫は、貞直に厳しく諌めず。
よそへごとにて氣に障らぬように和かに諌め、自ら悟らしめる事なり。
張良が四皓を呼び出して太子を易えしめず、頴考叔が荘公をさとらして母と和睦せしめ、魏文公の臣任座が、文侯を誉めて翟璜が直臣なる事をさとらしめ、狄仁傑が武后を諫めて唐を亡ぼさざるの類なり。
唯、諌めを聞く人は、直諌を好むべし、諷諫を好むべからず。
孔子の宣く、良薬は口に苦けれども病に利あり、忠言耳に逆らえども行に利あり。
湯武は諌めを用いて天下を保ち、桀紂は諌めを拒みて身を失う。
凡そ、歴代の君の善悪と、國の治乱興亡は、ひとえに諌めを用いると拒むとの二つにあり。

十九
 東坡が曰く、治乱は下情の通塞に出づ。
凡そ、國家の治乱は、譬えば人身の無病なると病あるが如し。
血氣流通すれば、無病の人なり、血氣めぐらざれば病人となる。
下の言う所上に通じ、下の諌めを上に用いれば治する、是れを言路通ずという。
下の人の詞を取り挙げざれば乱れる。
是れを言路塞がるという。
言路通すれば、國家治る事、血氣廻りて無病なるが如し。
言路塞がれば、國家乱れる事、血氣廻らずして病起こるが如し。
古語に、上たる人、下の諌めを聴き入れざれば、譬えば聾の如し。
斯の如くなれば、臣下たる者は上を恐れて口を閉づ。
譬えば瘖の如し。
君は聾となり、臣は瘖となりては、國家の治まらん事を願うとも得べからず。

二十
 家を治め民を治めるには、厳なるを善とす。
厳とは、先づ、我が身を正しくし、軽々しからず、法を立てるに揺るがせ成らず。
民の僻事を制して赦さざるを言う。
厳なれば人恐れる故に、法立ちて破られず、民悪をなさず、罪に陥るもの稀なり。
厳ならずして揺るがせなれば、初めは民も家人も悦んで誉めれども、後には怠り恐れず、法緩まりて立たず、罪を犯す者多し、初め厳なれば、後に事なし。
始め緩なれば後に事多くなる。
厳はきびしきなり、不仁なるにあらず。
民を悪に入れぬ為、厳しくするなり。
譬えば、水柔らかなる故、人侮りて溺死する者多し。
火は厳なる故、人恐れて近づかず、焼死する者少なし。
法も亦、斯の如し。

二十一
 人君の臣下を治め、萬民を服せしむるは、威なり。
威とは、怒りを起こし、氣を烈しくするには有らず。
其の威厳を下に借さずして、臣下萬民の奢りを抑え、悪を警めるを言う。
もし灌臣に威を奪われれば、上の威軽くなりて法制立たず、諸臣・萬民法を畏れずして下知行われず。
故に威は、唯、上にあるべし、下に移すべからず。

二十二
 文王は、民を視る事、傷むが如しとて、民を治めて既に安けれども、猶も傷み苦しめる事あらんかと憂い給う。
是れ、仁者の意、國家を治める第一の用心なり。
左傳にも、國の興るは民を視る事、傷むが如し、其の亡びるは、民を視る事、土芥の如しと言えり。
是れ、國の治乱興亡の分かれる所なり。

二十三
 凡そ民は、素直なる者なれど、上より下を欺けば、下も上に習いて詐り多くなる。
是れ、上より下に偽りを教えるなり。
民の性もと偽り多きにあらず。
上下の勢い異なる故、上より下を欺きても、民すべき用無くして、暫しは上に従う物なれば、上より下を欺く事多し。

二十四
 幼くして父なきを孤と言い、老いて子なきを獨と言い、老いて妻無きを鰥と言い、老いて夫無きを寡と言う。
是れを、四窮民と言う。
天下の内にて、いと不幸にして便りなき者なり。
此の四つの者、世に多けれども、其の親類の財力ありて養う者は飢寒に及ばず。
其の余の飢寒に及ぶ者は、大村というとも、二、三人に過ぐべからず。
是れを養うに、其の費え多からず。
其の所の奉行司より、常に扶助をなして、飢寒せしむべからず。
是れ、奉行たる人の職分なり。
民の飢寒するは、其の所の政、苛らければなり。
故に、乞人の多きは司の恥なり。

二十五
 我朝にても、上代の帝王の政には、老人を憐れみ給い、年八十以上の民には、位一階を授け、絁綿布粟をたまわり、孝子・順孫・義夫・節婦をば、其の門閭に表して終身事なからしめ、鰥寡孤独・疾病ありて、自ら在し難き者をば、惠み救い給わし事、舊記に多く見えたり。
又、大風に逢いて百姓の盧舎破壊したるは、其の年の田租を免されし事あり。

二十六
 農は、國の本なり。
一年の間隙なく耕作を務め、米穀を作り出して、上に貢ぎし、萬民を養うものなり。
最も憐れみて、飢寒の憂いなからしむべし。
農の時を奪わざるは、農の為のみにあらず。
國の為なり。
農民は日夜勤労すれども、ややもすれば、水旱風蟲の災いありて、其の利少なし。
歳凶して土貢を納める事を缺けば、妻子を売り、身を売るに至る。
年豊かなれば、米穀價安くして困究を免れず。
利少なき故なり。
工人は、其の勤め農に及ばざれども、其の利多し、商人の利は工に倍す。
故に、農人漸々に減じ、工商は、年々に増す。
田を作る者は少なくして、器を造り、貨物を商う者多し。
布を織るもの少なくして、綾錦を製し、縫いもの染めを事とする者多きは、世間困究の本なり。
是れを以て、古の明王は、農を重んじて工商を抑え、五穀を貴んで、金玉を賤しみ給えり。
倹約を行いて華美を禁ずるは、本を重んじ末を抑えるの道にして、國を治め民を安んずるの政なり。

二十七
 農の田を頼むは、魚の水に住み、木の土に生ずるが如し。
魚水無ければ死し、木は土無ければ枯れる。
民に田無ければ業を失う故、農の田に離れるは憐むべし。

二十八
 聖人民の力は、國の基なる事を知り給えり。
故に、公役をば省き、民の隙を惜しみ給う。
周禮には、民を使うこと、豊年には、一夫三日、中年には二日、凶年には一日、至りて年悪しく民痛めば一日も使わずといえり。

二十九
 民豊かなれば、奢りて法に背くという人あり。
是れ、政を為る道を知らざるなり。
民貧しければ、盗む心を生ず。
民を憐れみて、衣食乏しからず、困究せしめざるは、盗を止める基なり。
法度を明らかにして、民に分限を守らしめれば、豊かなれども奢る事なし。
斯の如くにして、民其の分を越えて奢り怠り、或は、盗みする者あらば、罪に行いて許すべからず。
民は愚かなる者なれば、まかせ置きては、治めるべきようなし。
衣食不足、無き用にして、其の奢り怠りを戒め、罪に陥らしめぬは、政をするの道なり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?