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養生訓 巻第四 色慾を慎む


 素問に、腎は五臓の本といえり。
然らば養生の道、腎を養う事をおもんずべし。
腎を養う事、薬補をたのむべからず。
只、精氣を保ちてへらさず、腎氣をおさめて動かすべからず。
論語に曰く、わかき時は血氣方に牡なり。
之を戒め色に在。
聖人の戒守るべし。
血氣さかんなるにまかせ、色慾をほしいままにすれば、必ず、先づ、禮法をそむき、法外を行い、恥辱を取て面目をうしなう事あり。
時過ぎて後悔すれどもかいなし。
かねて、後悔なからん事を思い、禮法をかたく愼むべし。
況や、精氣をついやし、元氣をへらすは、寿命を短くする本なり。
おそるべし。
年若き時より、男女の慾ふかくして、精氣を多くへらしたる人は、生れつきさかんなれども、下部の元氣すくなくなり、五臓の根本よわくして、必ず短命なり。
つつしむべし。
飲食・男女は人の大欲なり。
恣になりやすき故、此の二事、尤かたく愼むべし。
是れを愼まざれば、脾胃の眞氣へりて、薬補・食補のしるしなし。
老人は、殊に脾腎の眞氣を保養すべし。
補薬のちからをたのむべからず。


 男女交接の期は、孫思邈が千金方に曰く、
人、年二十者は四日に一たび泄す。
三十者は八日に一たび泄す。
四十者は十六日に一たび泄す。
五十者は二十日に一たび泄す。
六十者、精をとぢてもらさず。
もし體力さかんならば、一月に一たび泄す。
氣力すぐれて盛なる人、慾念をおさえ、こらえて、久しく泄さざれば、腫物を生ず。
六十を過ぎて慾念おこらずば、とぢて泄すべからず。
若く盛んなるも、もし能く忍びて、一月に二度もらして、慾念おこらずば長生なるべし。


 今案するに、千金方にいえるは、平人の大法なり。
もし性虚弱の人、食すくなく力よわき人は、此の期にかかわらず、精氣をおしみて交接まれなるべし。
色慾の方に心うつれば、あしき事くせになりてやまず。
法外のありさま、耻づべし。
ついに身を失うにいたる。
つつしむべし。
右、千金方に、二十歳以前をいわざるに意あるべし。
二十以前血氣生発して、いまだ堅固ならず、此の時しばしばもらせば、発生の氣を損じて、一生の根本よわくなる。


 わかく盛なる人は、殊に男女の情慾、かたく愼しみて、過すくなかるべし。
慾念をおこさずして、腎氣をうごかすべからず。
房事を快くせんために、烏頭付子等の熱薬のむべからず。


 達生録に曰く、男子、年いまだ二十ならざる者、精氣いまだたらずして、慾火うごきやすし。
たしかに交接を愼しむべし。


 孫眞人が、千金方に、房中補益説あり。
年四十に至らば、房中の術を行うべしとて、其の説、頗る詳なり。
其の大意は、四十以後、血氣ようやく衰える故、精氣をもらさずして、只しばしば交接すべし。
此の如くなれば、元氣へらず、血氣めぐりて、補益となるといえる意なり。
ひそかに、孫思邈がいえる意をおもんみるに、四十以上の人、血氣いまだ大に衰えずして、枯木死灰の如くならず、情慾、忍びがたし。
然るに、精氣をしばしばもらせば、大に元氣をついやす故、老年の人に宜しからず。
ここを以て、四十以上の人は、交接のみしばしばにして、精氣をば、泄すべからず。
四十以後は、腎氣ようやく衰える故、泄さざれども、壮年のごとく、精氣動かずして滞らず。
此の法行いやすし。
此の法を行えば、泄さずして情慾はとげやすし。
然れば、是れ氣をめぐらし、精氣をたもつ良法なるべし。
四十歳以上、猶、血氣甚だ衰えざれば、情慾をたつ事は、忍びがたかるべし。
忍べば却て害あり。
もし年老てしばしばもらせば、大に害あり。
故に時にしたがいて、此の法を行ないて、情慾をやめ、精氣をたもつべしとなり。
是れによりて精氣をついやさずんば、しばしば交接すとも、精も氣も少しももれずして、當時の情欲はやみぬべし。
是れ古人の教え、情欲のたちがたきをおさえずして、精氣を保つ良法なるべし。
人身は脾胃の養を本とすれども、腎氣堅固にしてさかんなれば、丹田の火蒸し上げて、脾土の氣も亦、温和にして、盛になる故、古人の曰く、
脾を補うは、腎を補うにしかず。
若年より精氣ををしみ、四十以後、彌、精氣を保ちて漏さず、是れ命の根源を養なう道なり。
此の法、孫思邈、後世に教えし秘訣にて、明かに千金方にあらはせども、後人、其の術の保養に益ありて、害なき事をしらず。
丹溪が如き大醫すら、偏見にして孫眞人が教えを立し本意を失いて信ぜず。
此の良術をそしりて曰く、聖賢の心、神仙の骨なくんば、為易未。
もし房中を以て補とせば、人を殺す事多からんと、各致餘論にいえり。
聖賢・神仙は世に有難ければ、丹溪が説の如くば、此の法は行いがたし。
丹溪が説うたがうべき事猶多し。
才学高博にして、識見、偏僻なりと云うべし。


 情慾をおこさずして、腎氣動かざれば害なし。
若し情慾をおこし、腎氣うごきて、精氣を忍んでもらさざれば、下部に氣滞りて、瘡癤を生ず。
はやく温湯に浴し、下部をよく温めれば、滞れる氣めぐりて、鬱滞なく、腫物などのうれいなし。
此の術、又、知るべし。


 房室の戒、多し。
殊に天變の時をおそれいましむべし。
日蝕・月蝕・雷電・大風・大雨・大暑・大寒・虹蜺・地震、此の時、房事をいましむべし。
春月雷初めて聲を發する時、夫婦の事をいむ。
又、土地につきては、凡そ、神明の前をおそるべし。
日・月・星の下、神祠の前、わが父祖の神主の前、聖賢の像の前、是れ皆おそるべし。
且つ、我が身の上につきて、時の禁あり。
病中・病後、元氣いまだ本復せざる時、殊に傷寒・時疫・瘧疾の後、腫物、癕疽いまだ癒ざる時、氣虚・労損の後、飢渇の時、大酔・大飽の時、身労動し、遠路行歩につかれたる時、忿り・悲しみ・うれい・驚きたる時、交接をいむ。
冬至の前五日、冬至の後十日、静養して精氣を泄すべからず。
又、女子の経水、いまだ盡きざる時、皆、交合を禁す。
是れ天地・地祇に對して、畏れ愼しむと、わが身において、病を愼しむなり。
若し是れを愼しまざれば、神祇の咎め畏るべし。
男女共に病を生じ、壽を損ず。
生れる子も亦、形も心も正しからず、或は、かたわとなる。
禍ありて福なし。
古人は胎教とて、婦人懐妊の時より、愼しめる法あり。
房室の戒は、胎教の前にあり。
是れ、天地神明の照臨し給う所、尤もおそるべし。
わが身及び妻子の禍も、亦、おそるべし。
胎教の前、此の戒なくんばあるべからず。


 小便を忍んで房事を行うべからず。
龍脳・麝香を服して房に入るべからず。


 入門曰く、婦人懐胎の後、交合して慾火を動かすべからず。

十一
 腎は五臓の本、脾は滋養の源なり。
ここを以て、人身は脾腎を本源とす。
草木の根本あるが如し。
保ち養いて堅固にすべし。
本固ければ身安し。

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