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大和俗訓 巻之七 躬行下


 人の身に、氣質の悪しき所と、過ちと有るは、身に病あるが如し。
病ある人、医を招き薬を服し、針灸をして、病を責めざれば癒ず。
身に過ち有る人、其の過ちを責めざれば、譬えば、病ある人の薬を用い、針灸をして、病を責めざれば、病癒えざるが如し。
氣質を変じ改めるは、究めて難し。
常に、心を用いるべし。
故に、前にも言えれども、又、繰り返して人に告げるのみ。


 天は、常に廻り動きてやまず。
人、これに則りて、常に勤めて止まざるべし。
地は、常に留まり静かにして動かず。
人、是れに則りて、常に愼身み静かにして、心を動かさざるべし。
務めるにあらざれば、人の道行われず。
愼むにあらざれば、人の道立たず。
務めると愼むは、即ち、天地の道にして、人の、法として行うべき道なり。


 人の身に為すわざ、何事にも、道あらずと云う事なし。
坐するには、坐するの道あり。
臥すには、臥すの道あり。
行くには、行くの道あり。
飲食には、飲食の道あり。
言うには、言うの道あり。
動くには、動くの道あり、
視るには、視るの道あり、
聴くには、聴くの道あり。
道を行わんと思わば、事ごとに、道ある事を思いて、謹をいたして、しばらくも、道を離れるべからず。
是れ、身を修める道なり。


 不仁にして、吝嗇なれば、財多く持ちても、人を救い惠む事なし。
吝嗇ならざる人も、仁愛に心を用いざれば、其の施無くして、かえりて、無益の事に財を費す、一両事をあげて言わば、門内に、饑に及べる乞食・貧人来たりて、食を乞えども、心を用いて、是れを恵まざれば、家の奴僕も食をあたえず。
又、寒夜に、客来りて語るに、客に従い来れる下部などを、屋の内寒からざる所に入れ置き、凍えざるようにするには、いと易き事なるに、客に對するに専にして、紛らわしく、従者の、寒氣に苦しむべきを、心にかけざれば、彼が飢え凍えを知らずして、労わる事なし。
是れ、心を用いざればなり。
善を行うに志あらん人は、萬の事、折節につけて、心を用いて、人の苦しみ無からん事を思いはかりて、人を救うべし。


 程子曰く、財を惜しみては、よく善を行う事なり難し。
誠無くしては、善をなす事は、なり難しと。
此の言、宜なるかな。
財を用いずして、ただ言を以て人を語らうとも、人を救い難し。
人も亦、喜ばずして、其の人の為に、忠を尽さざれば、功を為す事成り難し。
項羽を婦人の仁と言いしも是なり。
又、凡の事、偽りを以て、善を行えば
中心より出でざる故、善を行うに専一ならずして、其の事成就せず。
誠の善とすべからず。
人も亦、信とせず。
感通の理無し。


 禮義廉恥の、正しく潔き道を以て、我が身を正すべし。
此の如くすれば、過ち少なし。
これを以て、人を責めるべからず。
人の上を、事ごとに責め正して、わが思う如くに、よくせんとすれば、人と争い、人の恨み多くして、世に交わり難し。
人の善をば、褒め進むべし。
人の不能をば、憐みて、妄りに、誹り咎むべからず。


 聖人を以て、我が身を正すべし。
聖人を以て、人を正すべからず。
凡人を以て、人を宥すべし。
凡人を以て、我が身を恕すべからず。


 人の悪しきをば、恕すべし。
我が悪しきを、人に恕さざるべからず。
人の悪しきを恕さざるは、心の量、狭まし。
我が悪しきを、人に恕されん事を思う人は、鄙狹の至りなり。


 我が身は、十分に善ならん事を求むべし。
人の身には、十分に善ならん事を責めるべからず。
人に、一の善あれば、又、一の善を求むべからず。
是れ、一を得ば、二を求むべからざるなり。


 君子は、己を責む。
小人は、人を責む。
己を責めれば、身修まる。
人を責めざれば、人の怨み無し。
小人は、此の反なり。
人を責める心を以て、我が身を責めれば、過ち少なし。
己を恕す心を以て、人を恕せば、人の怨み無くして交わりを全くす。

十一
 徳行は、我より上なる人を見て羨み、彼に及ばん事を思うべし。
低きに臨みて、我が身を高しと思うべからず。
財禄は、我に劣れる人を見て、自ら楽しむべし。
世には、身の福禄、我程も無き人多し。
人、各々、其の分を安んずれば、世に怨み無く、求め無くして、楽しみ多し。
上を見て、我が身を慊らず思えば、大富貴なる人も、願い多く、其の欲、限り無くして、楽しみ無し。
下を見れば、分を安んじて、楽しみ多し。
或人の歌に、「上見れば、はてしもあらぬ、世の中に、我ほども無き、人もこそあれ」と詠めるが如し。

十二
 酒食を過ごすは、病を生ずるの本なり。
言を愼まざるは、禍の本なり。
思案せざるは、過ちの本なり。
私欲深きは、身を殺すの本なり。
怒りを耐えざるは、争の本なり。
倹約ならざれば、困窮の本なり。
此の六本、去らざれば、身と家とを保ち難し。
務めて、これを去るべし。

十三
 善をする事は易く、善を行いて、其の名聞を求めざる事は難し。
是れ、誠の善なり。
人を犯さざる事は易く、人の我を犯せども、其の返報をせざるは難し。

十四
 心には、古の道を守り行い、身の作法は、今の世の風俗に背くべからず。
今の世に生まれ、古の法に拘りて、必ず、行わんとするは、僻事なり。
道に害あり。
古法の内、當世にも行わるべき事は、行うべし。
當世の時宜に背くべからず。
また當世の風俗に流れて、古の道に背くは、甚だ悪しし。
是れ、道に志無き也。
道は、五常五倫と云う。
法は禮なり。
作法を云う。

十五
 世に交るには、和して流れざるを善しとす。
和すれば、人に背かず。
流れざれば、道を失わず。
是れ、世に交る、よき程の中道なり。

十六
 五常五倫の道は、古今和漢同じ。
若し、時により、所によりて変らば、誠の道にあらず。
法は、時により、所によりて、宜しきと宜しからざる事ある故に、古今和漢異なり。
その國の禮法に背くべからず。
國法に背きて、古の禮法を行うは、道に背けり。
但し、古の禮法の中に、國法に背かずして、今の世に行いて宜しき事は、行うべし。
唐の古の禮法ありとて、今の世の時宜に適わずば行うべからず。

十七
 忠信を主として、偽りなく、仁愛深くして、人を憐れみ、義理を固く守りて、行うべき節を失わず、父母兄弟に、孝友を篤くし、主君に仕えて、身を忘れ、親戚を親しみて、疎からず、朋友に信實にして、たのもしく、家にありては、厳にして、内行い正しく、倹約にして、奢なく、貧窮を恵み、艱難を救い、利欲少なく、権勢を諂わず、舊恩を忘れず、武を楽しみ、軍用を缺かず、一度約諾したる事、後までそむかざるを、良士とすべし。

十八
 古語に曰く、人の聞かん事を恐れば、言うべからず。
人の知らん事を恐れば、行うべからず。
是れ、過ち少なく、悔い少なく、また、禍無き道なり。

十九
 善は、必ず、日々行い、久しく積み重ねて後、其の功、成りぬ。
譬えば、補薬を用いて、元氣を補うが如し。
其の験、遅し。
久しく服して、其の験、あり。
悪は、少なりとも恐るべし。
譬えば、毒を食えば、忽ち害あるが如し。
其の験、速し。
悪を去る事は、つよき薬を用いて、病を去るが如くすべし。
忽ちに責めざれば、身に害あり。

二十
 古語に、人生は勤め在り、勤めれば則ち匱しから不、と云り。
勤めは、利の本なり。
よく勤めて、自ら得るは、眞の利なり。
利を専ら貪れば、必ず、害あり。
農の、田を作りて五穀を多く得るも、工人の、工を営み、商人の、商いて利を得るも、皆、勤めよりなし出だす利なり。
士は、侫巧を以て諂わざれども、ただ、忠勤をだに専一にすれば、求めざれども、君の寵ありて、禄を得、幸を得る。
農は、歳の凶に遭いても、怠らず、耕作に専一なれば、自ら職業を得る。
工は、器を精しく作りて、粗造ならざれば、必ず、其の利を得る。
商人は、偽り無く、正直にして、利分を少なく取れば、諸人の信愛あつく、たのもしげ有りて、必ず、商品多く売れる故、利を得る事多し。
是れ皆、本を勤めて、自ら来る所の、誠の利なり。
もし、工は、器を粗造に作りて偽り、商は、商品を偽りて、利を多く貪れば、人信ぜずして、彼が器、売り物を買う人すら無くなり、却って、利を得る事少なし。
漢書に、貧賈之三、廉賈之五といえるも、此の意なり。
言う意は、欲深き商人は、三分の利を得、欲少なき商人は、五分の利を得る。
欲深き者は、利を得る事少なく、欲少なき商人は、かえりて利を多く得るとなり。

二十一
 終日、勤め勤めて、夕べに至りても、恐れ愼むは、易の教えなり。
天道は、日夜めぐりて止まず。
これを手本として、勤むべし。
古人は、夙に起き、夜半に寝て、日夜勤めし故、其の験あり。

二十二
 古語に、一生の計は、勤めに有りと云り。
勤めざれば、萬の事行われず。
身を立てる事難し。
又、一生の勤めは、若き時に有り。
人の身を立てる計は、三十歳の内に覚悟すれば、一生の家業成り立つ。
其の内、覚悟無く怠れば、一生立ち難し。
一年の計は、春に有り。
春の間、怠りぬれば、一年の事成り難し。
一月の計は、上旬に有り。
朔日より十日までの内に勤むれば、一月の事成り易し。
十日の間に、末二旬の日数を頼み怠れば、其の事、成就し難し。
一日の計は朝に有り。
朝に、一日の間の事をよく考え定め、早く勤めれば、捗ゆく。
若し、朝の間、怠れば、一日の勤め、捗ゆかず。
また、明日の計は、今夕に有るべし。
明日の事を、明日はからんとて、今日定めざれば、つまづきて捗ゆかず。

二十三
 古人は、人の朝早く起きると、遅く起きるとを以て、家の興廃を知ると云り。
朝早く起きるは、家の榮える験なり。
遅く起きるは、家の衰える基なり。
朝夙に起きて、事を勤めるを以て、身の習わしとし、家の勤めの則とし、見習わしむべし。
凡べての人を見るに、朝寝しては、学ぶ事ならず。
家業怠りて、富める者、稀なり。
朝寝するは、怠りの初め、貧窮の基なり。
よく事を勤める者は、一日を以て、十日とす。
勤めて、怠りなく、鋭なれば、捗ゆく故なり。
怠る者は、十日を以て、一日とす。
日数多く経るといえど、捗ゆかず。
凡そ、善を勤めて、怠らざるを良士とす、必ず家を起こす。
家業を勤めて、怠らざるを良民とす、必ず富む。

二十四
 知れば行い易く、行えば、知り易し。
二の者、互いに、相助けて、道明かにして行わる。
譬えば、道路を行くが如し。
道を知らざれば、行き難く、行かざれば、行路を、知り難きが如し。

二十五
 我が身の、過ち少なく悔い少なからん事を思わば、事に先立ちて、早く思案し、其の事の是非を考え計り、其の事に臨みて、又、義か不義かを顧みて、其の理に適わん事を思い計るべし。
かねて、思案無くして、其の時に至りて、俄に、惑いつまづくべからず。
譬、急がわしき事に臨むとも、思い廻らして、理の當否を擇び、行うべし。
あわただしく、思案無くして行えば、必ず、義理に違い、誤る事多し。
すでに一度、よく思い定めても、又、一遍に心得、損なう事多し。
其の事の外に、心を廻らし、其の変を考えて、二度思うべし。
孔子曰く、人遠き慮無ければ、必ず、近き憂い有り。
さし當りたる事を思うは、言うに及ばず。
後の事を思いはかり、誤り無く、悔無からん事を思うべし。
譬えば、古語に、旱に蓑笠を備えるべしと言える如く、只今、宿を出でて、他所に行くに、天晴れ日和良くして、雨降るまじき景色なりとも、遠き所に行かば、天変はかり難ければ、蓑笠を持ち行くべし。
たとえ、天氣よく雨降らずとも、蓑笠持たる勞がはしきのみにて、さほどの妨げにあらず。
若し、思わざるに、雨降りなば、濡れそぼちて、衣濡らすのみかは、心を痛ましめ、身を苦しましめ、折節人にも用あるべき蓑笠を乞い借りて、又、持たせ返すも、我、人の為、勞がわし。
萬の事、豫て心を用い、恐れ愼み、深く思い、遠く慮りて、事を行えば、過ち少なく、悔少なし。
僕奴・下部などの心慣いは、さしあたりて、我が身の便り良き事のみを思いて、後の禍を知らず。
譬えば、やがて、雨降りなんと見える空にも、雨衣の用意も無く、出づる時、主人、持て行かん事を命ずれども、雨降るまじきよしをあらがう。
やがて雨に濡れて、苦しめども懲りず。
いくたびも、また此の如し。
かく用意無くて、後の憂を顧みざるは、賤しき者の癖なれば、良からぬ事と知るべし。
すべて、人の悪を行うも、過ちをするも、皆、事に臨みて、思慮せざるより起こる。
酒食を恣に過して、病を起こすも、其の時に臨み、思案無くして、ただ欲に任せて飲み食う故に、病を生じ、果ては、身を失うに至る。
よく思案して愼むは、欲に勝ち、禍をまぬがれる道なり。

二十六
 我が身の過ちを改めん為、人の諌めを好む事、眞實ならば、諌める者多からん。
酒食は、人の好む物なれば、人、辞退して防げども、強いて飲ませ食わしむるは、世の慣いなり。
是れ、人の眞實に酒食を好む事を知ればなり。
酒食を好む如く、諌めを好み、わが過ちを改めば、諌めを言う人多くして、我が身の過ち無かるべし。

二十七
 子曰く、躬、自ら厚くして、人を責めるに薄ければ、怨に遠ざかる。
言う意は、我が身の行いを篤くし、十分に能くせん事を求めて、常に、我が身の行いの足らざる事を思いて、務め行うべし。
人の足らざるを恕して、責めるべからず。
此の如くすれば、人の怨なし。

二十八
 能く、詩文を作る人は、妄りに、軽々しく、文字を下さず。
久しく沈思して、一字一句に心を用いる事精しくして後、好き、詩文を作り出せり。
和歌を詠むも同じ。
此の如くならざれば、詩聖・歌仙と雖も、好き、詩文・和歌を作る事かたかるべし。
囲碁をよくうつ人の、碁子を下すを見るに、久しく思いて後に下す。
一子も、猥に早く下さず。
ここを以て、碁子を下せば、其の所に適いて、よく人に勝つ。
これを以て思うに、賢者の言行も、また此の如く、よく思案して後、言を出し、事を行うべし。
此の故に、賢者の言行は、過ち少なし。
もし早く、決定して、軽々しく行わば、賢者と雖も、過ち多かるべし。
孔子の、必ず也、事に臨んで而懼、謀を好んで而成者也、
とのたまうを以て、みつべし。
當世の愚人より、聖賢のなす所を見れば、捗ゆかず、鈍くして、もどかしかるべし。
常人も、思案を好めば、わが心を盡す故、事を早く決定せず鈍きように見えれど、過ち少なく、道理に當る事多し。
決断早き人は、捗ゆけれども、必ず過ち多く、後悔多し。

二十九
 順境とは、思いのままなる境界を云う。
逆境とは、思うようにならざる境界を云う。
世間の事、順境に居るわ易く、逆境に居るは、難し。
故に、逆境に居れば敬み畏れ、出で来て、身の過ち少なくして、かえって、福となる。
順境に居れば、驚怠の心、出で来て、身の過ち多くして、身の禍となる。
譬えば、高に登る者は、倒れ難し。
勢逆にして、難ければなり、低きに下る者は、倒れ易し。
勢順にして、易ければなり。
孟子の、憂患に生きて安楽に死ぬると、のたまうも、此の心なり。
憂い畏れあらば、生命を保つ。
安楽にして放逸なれば、死を免れ難し。
敵ある國は長久し、敵なき國は、かえって、亡び易きが如し。

三十
 周の武王の蓆の銘に曰く、安楽必ず敬無行可悔。
此の銘の意は、艱難に憂いある時は、畏れ愼みて、過ち少なき故、禍無し。
心安く楽しむ時は、必ず、怠り油断して、過ち出でき、禍起こる。
かかる心やすき時、殊に愼むべし。
愼めば、過ち少なく、行う事毎に、後悔無し。
上り坂は、悩める故に、つまづかず、下り坂は、悩みなくして、轉び易きが如し。

三十一
 日々行う事毎に、過ち無からん事を思うべし。
過ち有れば、必ず後悔あり。
後悔は、誤りより起る。
怒りと欲とを耐えれば、過ち少なく、後悔少なくして、後の禍無し。
また事毎に、早く行わずして、静かによく思案して、是非の疑わしき事は、自ら決定せず、人に問いて我が善悪を考るべし。
急ぎて、俄に、事を決断すべからず、早く決断すれば、過ち多し。
諺に、悔いは、先立たず、といえれど、事に先立ちて、思い愼みて、静かに行わば、過ち少なくして後悔なかるべし。
あくまで思案し、十分に計りて後、過ちならんは、我が心の分量を盡したれば、力に及ばず。
其の上は、天命に任せて、憂うべからず。

三十二
 君子は、朝夕、務めて、善を行う。
小人は、朝夕、務めて、利を行う。
君子・小人ともに、務め行うと雖も、其の志は、利と善と変れり。
善を志すは、聖人の徒なり、利に志すは、盗跖が徒なり、と孟子のたまえり。
利とは、財利を貪るのみにあらず、われ獨り勝手よきように、便利を計るも、利心なり。
是れ、私なり。
私を行えば、必ず、人に害あり。
人に害あれば、必ず、我が身の禍となる。
善を行わん人は、必ず、先づ利心を去るべし。
利を心にさし挟んでする善は、誠の善にあらず。

三十三
 君子の道は、すべき事を行い、すまじき事をせず。
これ、義なり。
好むべき事を好み、好むまじき事を好まず。
是れ、善なり。
君子の道は、此の如きのみ。
是れ、孟子の語意なり。

三十四
 人の知は、目の如し。
人の目は、よく、百里の外を見れども、わが睫を見難し。
人の知よく、他人の悪を知れども、我が身の悪を知らず。
人を見る事は、常に明かなり。
私無ければなり。
自ら見る事は、常に昧し。
私有ればなり。
ここを以て、人の過ちを責める事は厳しく、わが悪を恕す事は、緩なり。

三十五
 富貴の人、善を好めば、富貴の力によって、人を救い、善を行う事、廣し。
是れ、誠に楽多かるべし。
富貴にして善を好まざれば、富貴の力によって、驕りて、人を苦しめ、悪を行う事、廣し。
此の如くなれば、富貴なるも、かえって、禍となり、貧賤に劣る。
何の楽かあらん。
貧賤なる人、もし艱難によりて、よく、身を愼みて、過ちを改め、善を努め行わば、禍無くして、楽多かるべし。
此の如くなれば、貧賤なるも却って福となり、富貴に優る。

三十六
 事を敏とは、行うべき事を油断なく、鋭に務めて行うを云う。
何事も、務めずして怠れば、事行われず。
行えども、捗ゆかずして、為す事、成就せず。
よく事を務める者は、事を急がざれども、怠りなき故、一日に、十日の事を為す。
怠る者は、十日に、ただ、一日の事を為す。
怠ると、務めるとは、其の功、遥に変われり。

三十七
 自信とは、我が行う所、理に當れりと、明らかに思えば、人の誹りを省みずして、心を動かさざるを云う。
古詩に、禮義愆不、何ぞ人の言を憂えん。
と云えるが如し。
小人、非義を行いて、人の誹りを省みざるとは、甚だ別なり。
君子、善を行えば、人の誹りを畏れざるべし。
小人、不善を行いて、人の誹りを畏れずんば、其の悪、極まりなかるべし。

三十八
 煩に耐とは、難しいき事を嫌わずして、堪忍して、努め行うを云う。
もし、孝弟忠信など、諸々の勤めを難しいとて、怠り、人の附託を受けて、いたずがわしとて、粗畧にする者は、善を行い遂げず。
是れ、善を好まざればなり。
わが好む事は、日夜勤めても、勞せず。
何事も、勤めを難しいとして、苦しむ者は、氣悶ぼれて、必ず、病起こる。

三十九
 今日は、明日の計をなし、今月は、来月の計をなし、今年は、来年の計をなし、平生は、一生の計をなし、生前に早く、死後の計をなすべし。
怠るべからず。

四十
 明日行うべき事あらば、必ず今日より、其の事を思い計りて、定むべし。
明朝、使を遣わし、文を送らんと思わば、今夕より、書き整えて、使を命ずべし。
其の日、はじめて思案し營めば、捗ゆかず。
事に臨みて、或いは、さまたげ出来、まぎらわしくて、過ち多し。

四十一
 中庸に、凡そ事は豫すれ則ち立ち、豫せ不れば則ち廃、言前に定則不躓、事前定則不困と云り。
豫とは、かねてと云う意、事を前に定めるなり。
萬事、かねて、思案して定めれば、事立ちて行わる。
さなければ、事廃りて行われず。
物言うにも、かねて先づ、思案して言えば、言躓かず。
事を行うにも、かねて思案して定めれば、事に臨みて、行きあたり、苦しまず。

四十二
 世に住む事一日なれば、一日の善人となるべし。
一日も、善を行わずして、日を送るべからず。
公儀の官職に与りて、官に居る事、一日ならば、一日の善事を為すべし。
一日も、善を行わずして、官を空しくすべからず。
世に久しく住みて、善行きは、一生を空しくするなり。
官職に居て、善行無きは、官職を空しくするなり。
此の二つは、大なる恥なり。

四十三
 衆人の行う業は、かねて、思案無く、また事に臨みては、慮も無く、早く決定する故に毎時、誤り多くして、後悔すれども、それにも懲りず、常に、事毎に、此の如し。
一事あるごとに、必ず、後の誤り、悔あらん事を畏れ、静かに思慮して、行うべし。
何の害かあるべきと思い、思慮もなく、其のまま、決定すべからず。
もし、即時に究め難くば、重ねて、よく思案して、行うべし。
事にあたりて、十分に、道理に適い、此の上は、思案に及ばずと思うとも、又、いかなる悪しき事もあらんかと猶豫して、俄に決断すべからず。
是れ、過ち少なく、悔い少なくする道なり。

四十四
 思慮して、善悪をよく明めたらば、必ず、決断して、猶豫なく行うべし。
思慮して、理、明かなりても、決断強からざれば、行われず。
悠々として、空しく、時を過すは悪しし。
所謂、義を見て而不爲無勇也。
思慮と決断との二備わりてよし。
思慮無くして、妄りに早く決断すれば誤る。
これ、不智なり。
思慮して、道理はわかれぬれど、悠々として、時を失うは、怠りなり。
是れ、勇無き也。
二の者は、いづれも悔あり。

四十五
 凡そ、誤りは、多くは、初め一時の快きを求めるより出て、後は、長き憂い苦しみとなる。
はじめ、少し心を用い、少し慾を耐えれば、其の力を用いる事は、少しなれど、験を得て、福となる事は、大なり。
少しの間、少しの事を耐えずして、大なる禍となる事多し。

四十六
 夜にして後、今日の我が身の成せる業を、よく省みて、僻事あらば、後日の鏡として、改めん事を思うべし。
毎夜、此の如くすべし。

四十七
 人の身の上、さしあたりて、為すべき事多し。
よく思いて、油断なく、早く勤むべし。
油断あれば、急なる事は、さしおいて、急がず、急ならざる事を、急ぎて勤む。
緩急を考えて、前後の次第を失うべからず。
さして、用なき事を勤め、徒事を好みて、日を送るは、捗なしと云うべし。
若き時は、事に、すべきわざにも、心を用いずして、空しく過ごす事多し。
よくよく心をつくべし。

四十八
 人の知らん事を憂うる事あらば、悪事なるべし、心に萌すべからず。
事さら身に行うべからず。

四十九
 人の悪しきを誹る人は多し。
我が身の悪しきを省みて、改める人少なし。
我が身を忘れて、人の上を誹る事、愚なり。

五十
 我が身の上を、常に、省み修むべし。
人の誉め誹りは、強ちに、憂い喜びとするに足らず。
如何となれば、誉める人、誹る人、必ず、皆、賢者ならざればなり。

五十一
 人、我を誹らば、ただ、我が身の過ちを省みるべし。
もし、我が身に過ちあらば、誹る人は、即ち、我が師なりと思い、恨むべからず。
我が身に、少しも誤り無きを誹らば、彼の人は、妄人なり。
彼と争い憎むに足らず。

五十二
 人の悪をする事、三つの故あり。
氣質の偏より、悪を為す有り。
又、過ちとは知れども、人欲の私によりて、為す有り。
又、習慣の誘いによりて、為す事、有り。
此の三つの内、氣質の偏なるは、悪の本なり。
人欲の私は、悪の幹なり。
俗習の誘いは、悪の末なり。
身の禍となる事は、共に同じ。
氣質の悪しきをば変化して、改むべし。
人欲をば忍て、恣にすべからず。
俗習をば、其の非を知りて、移るべからず。

五十三
 よき人は、心を用いる事多き故、事毎に、よく修りて、過ち少なし。
よからざる人は、心を用いずして、過ち多し。
下部などの、智慮無くして、用に適わざるは、皆、心を用いざればなり。
心を用いるのは、何事ぞや。
思案するを云うなり。

五十四
 古語に、勤めれば貧に勝ち、愼めば、禍に勝つと云り。
言う意は、勤める人は、必ず富む。
愼む人は、必ず禍無し。

五十五
 過ぎにし事を思えば、誤り多くして、悔しき事多けれど、一度誤りて、返らざる事は、悔の八千度悲しめども、益無し。
今より後を愼みて、過ち無く悔無からん事を思うべし。
又、誤りて後、早く改めれば、過ち無くなる事多し。
易に所謂、遠ざからずして復る。
悔に抵る事、無きなり。
萬の事、初めによく愼み慮りて、後悔、無からん事を思うべし。
初めに思慮、無ければ、誤りて悔有り。
終に愼む事を始めに干す、と尚書に云り。

五十六
 身の禍福は、天命に任すべし、人に求むべからず。
身の徳行は、我が心に求むべし、人を責むべからず。
君子は、人道の行うべき法を行いて、身の上の吉凶は、天命を待つ。
是れ、則とすべし。

五十七
 人の為に益ある善事を、毎日、多く行うべし。
其の善事とは、富貴なる人は、人に施し救う事自由にして、廣く行い易し。
心にかけて行わば、其の功、大に、其の楽も、亦、大なるべし。
貧賤なる者も、志だに有れば、所に従い、時に従いて、人の利益となる事多し。
我が家の内、又は、外なる道に、人の往来に、足に障りとなる物有れば、これを除けて、他所へ移し、咽乾く人には、一盃の水を与え、疲れたる者に、一椀の食を与える。
かやうの類、小なる事ながら、人の益になる事、極りなし。
上は王公より、下は、庶人・乞丐に至るまで、皆、行うべし。
年久しく積み行わば、其の善大にして、極り無かるべし。
常に、善を行うを以て、楽とすべし。

五十八
 天地・父母は、我が生れし本にして、我が身のよって来たれる初なり。
忘るべからず。
天地の恩を知らずして、仁に背き、父母の恩を思わずして、孝を行わざるは、我が身の生れ来れる本初を忘れたるなり。
人と生れたるかい無しと云うべし。
我、人の恥て畏るべき事、是れより大なるは無し。

五十九
 善をするは、上り坂を登るが如し。
努めざれば、為し難し。
悪をするは、下り坂を下るが如し。
努めざれども、為し易し。
しかれば、善は好みて、力を用い努め行うべし。
悪は、憎みて、愼み畏るべし。


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