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初学訓 巻之二


 父母を養うに、志を養うと、體を養うとの二あり。
志を養うとは、父母の心にしたがいてさからわず、常に、父母の心を悦し楽しませしめ、うれい苦しみ無らしめるをいう。
朝は早く起きて、父母の安否をうかがい、夕は父母の寝所をやすくし、朝夕と、昼と、折々、父母にまみえて、うとくおろそかならず、睦まじくして、又、敬うべし。
父母にまみえるは、まづ、わが顔の色をやわらげ、言の聲をよろこばしくし、父母の氣體の安否をうかがい、其の時日の要用をいい述べ、尋ね問い、世の中のありし事ども、詳かに物がたりして、父母の心をなぐさめ、父母の教えあらば、愼んで聴くべし。
父母われを呼び給わば、はやく行くべし。
遅くして怠るべからず。
父母われに教え命ずる事あらば、愼んで聴き、勤めて早く行うべし。
緩やかにすべからず。
忘るべからず。
もし、忘るべきことならば、書きつけ置きてつとむべし。
わすれて怠るべからず。
いとけなき時、父母を慕える心を失わず、年たけて後も、父母を思い慕いて忘れず、父母に對するになづなづしく、愛敬二ながら心にありて、顔色・言葉、にこやかにのどやかにして、恭しく父母の心に違わず、父母の前に久しく在りて、其の教えを聴き、物がたりして、親をなぐさめ楽しましめ、其の志に背かず、わが心にも、父母に對して、物がたりするを楽しみ、父母のよろこべるを悦ぶべし。
もし、老いたる人を、むづかしくおもい、久しく相對するを、懶く興なくおもいて退屈し、うらめしく厭い苦しむは、愛敬二ながら缺たるなり。
大不孝というべし。
孟子に、大孝は、身を終わるまで父母をしたうといえり。
是れ、いとけなき時、父母を慕える心を、一生の間失わざるなり。
慕の字、身を終わるまで忘るべからず。
又、外へ出づれば、必ず、父母に申し、帰れば、必ず先づ、父母に見えて後、わが所に退く。
行きて遊ぶに、常の處ありて、妄りに行かず。
習うに、常のわざありて怠らず、わが身の行いを愼み努めて、不義・無禮の行いなく、氣ずいにして放逸なるわざなく、悪友に交わらずして、父母にうれい心づかい無らしむるは、是れ、志を養うなり。


 體を養うとは、父母の口腹身體を養うを云う。
わが家の力になるべき程は、飲食を味よくととのえ、父母の好み給う物を問いてすすむべし。
富貴の人の子も、自ら飲食を鹽梅し、其の味のよしあしと、冷えたると暖かなるとを試むべし。
又、夏冬おりおりの身にかなえる衣服をこしらえて、これをすすめ、居所・寝所を安からしめ、冬は温かに、夏は涼しくし、風寒暑湿を防ぎ、身にしたがえる調度、もろもろの器物、事闕けざるように調えすすむべし。
およそ、父母の身を養うには、飲食、衣服、居室、器物を不足なく備えるにあり。
子たる者、これを心にかけて營むべし。
疎かなるべからず。
年老いては、脾胃よわく、元氣乏しければ、飲食の養い、尤くわしかるべし。
もし、財あらば、日々に、味よき物をすすめずんば有るべからず。
古人の詩に、人生有禄親白頭。
何能一日無甘饌。
又、曰く、古人一日養、不以三公換、といえり。
又、老人は、體氣よわきゆえ、風寒暑湿にやぶられやすし。
其の防ぎを厳しくすべし。
飲食と、風寒暑湿にやぶられて、節に違う事少しなりと云ども、病となりて、害をなすことは、大なり。
怠りなく、其の初を防ぐべし。
行立坐臥に、常に心をつけて、扶け保つべし。
是れ、體を養うなり。
父母に仕えるに、志を養うと、體を養うとの二なければ、孝の道行われず。
内には愛敬の二をたもち、外には、志を養う・體を養うの二を行うべし。
是れ、愛敬の心を以て、父母を養う孝の道なり。
只、體を養うのみにて、志を養わざれば、孝にあらず。
其の身無禮不義を行い、父母を憂しめば、たとえ、日々にいかなる味よき口腹の養いをすすむとも、不孝なるべし。
此の内外二の事備わらざれば、孝の道にあらず。
是れ、人の子となれる者の、必ず、知りて努め行うべき事なり。


 もし、父母の身に過ちあらば、子たる者、わが顔を悦ばしめ、聲を和げ、言をゆるやかにして、ようやく諌むべし。
父母いさめを用いずして、却って怒らば、諌めをまづ止むべし。
父母の心にそむくべからず。
時過ぎて、父母のけしきよき時、又、諌むべし。
はげしく諌めて、父母の心にさからうべからず。


 凡そ、孝の道は、父母の存生の間、よく仕えるのみならず、父母死して後、終りをつつしみて、葬りをあつくし、遠きを追いて、時節の祭おこたる可らず。
又、わが身を終わるまで、父母を思いしたいて忘るべからず。
わが一生の間、身を愼しみ、行いを正しくして、わが身を辱めず、父母の名を汚さざる、是れ、亦、孝の道において、重んずる所なり。
武士は、武勇をむねとして、君に忠するも、亦、孝の道なり。
もし、戦場にて、勇なく遅れをとり、或いは、變にのぞみて、節義を失うも、我が名をけがし、親をはずかしめて、大なる不孝なり、婦人の、夫に背き不義なるも大なる不孝なり。


 君は、我を養い給いて、父母、妻子、奴婢も、皆、君恩によりて育み、衣服、居室、器物、萬の財用まで、皆是れ、君のたまものなり。
其の恩甚だ大なり。
常に、其の恩を思いて、忘るべからず。
ここを以て、君に仕える人は、ひとえに、君のために、忠をのみ志て、私をわすれ、わが身を顧みることなかれ。


 君過ちあらば、諫むべし。
君の寵を失わんことをおそれて、わが身を愛し、私すべからず。
君を諫めるに、君の悪をいいあらわし、言をはげしくして、怒り争うべからず。
君の心の善なる所、明かなる所に本づきて、それを誉めておしひろめ、悪しき所、くらき所におし及ぼすべし。
斯の如くすれば、其の諫め入りやすし。
是れ、約を入れるに、牖よりするの理なり。
悪しき所くらき所よりは、諫め入りがたし。
故に、君を諫め、親を諫むるには法あり。
其の法を学んで知るべし。


 君臣・父子は大倫なり。
故に、忠孝の二は、殊に、力を盡すべし。
萬の事、学ばざれば、誠の志ありても、其の道を知らざれば、忠が不忠になり、孝も不孝になる。
故に、殊更、忠孝の道をよく学び、其の法を知りて行うべし。
古人も、学問は、忠と孝とを行う所なり、といえり。
萬善ありといえども、忠孝の道うすくば、君子とすべからず。


 夫婦は、別を道とす、別とは、内外貴銭のわかちありて、混乱せざるなり。
夫婦は、子孫の相つづく故にして、人倫のはじめなり。
夫は外をおさめ、婦は内をおさむ。
夫は、婦に禮義正しく、婦は、夫に和順なるべし。
然るに、馴れ親しきにまかせて、敬と和とを失えば、其の道たたず。
婦人は、多くは愚なり。
道にたがわば、教え正すべし。
怒るべからず。
怒れば和を失う。


 兄弟は、同胞の親しみ、父母に次たる大倫なり。
三親の内、父子夫婦よりも、交り久しきは兄弟なり。
其の親しみ久しきを楽しむべし。
兄は、弟に愛深く、弟は、兄に敬厚くするべし。
兄は、弟悪しとて、似せて愛を薄くすべからず。
弟は、兄悪しとて、似せて不敬なるべからず。
各々、わが道を盡すべし。
兄は、父に次て尊むべし。
弟は、父母の子なれば、我が子より愛すべし。


 朋友は、信を厚くし、互いに善を進め、悪を勇ましむ。
是れ、朋友の道なり。
もし、過悪を見ながら、諫めざるは、信なきなり。
朋友の道にあらず。
又、朋友は、頼もしげありて、難あれば相助け、患いあれば相救うべし。
古の人は、朋友の交わり厚く、たのもしげ深くして、今時の朋友の、交わり薄きが如くならず。
是れ、古今人情のかわれるなり。
凡そ、人倫の道、朋友の教え誡めの助によりて立つ理なれば、朋友も又、重き人倫なり。
道を教える師も、亦、朋友の内にて、尤も重し。
君父と同じく貴ぶべし。
技藝の師は、道を教えられる師には及ばざれど、是れ亦、我に恩あり、厚くすべし。
凡そ、人倫は、高下親疎あれども、皆、わが一類なれば、仁愛深き情ありて、つとめて篤く行うべし。
聖人の教える所、学者の学ぶ所、人の道とする所、皆、人倫にあり。
人倫に薄きは、情なき不仁の人なり。
人道を失えるなり。

十一
 人倫に交わるには、始め終わり篤くすべし、薄くすべからず。
或いは、始めに篤けれど、終わりに薄くするは、人に交わる道を失えるなり。
君子の交わりは、久しくしていよいよ篤くし。
凡そ、人に交わるに、四恩あり。
又、四本とす。
天地の恩、父母の恩、主君の恩、聖人の恩なり。
天地は、生の初なり。
我を生み、我を養い給う大本なり。
父母は、生の本なり。
主君は、養いの本なり。
聖人は、教えの本なり。
天地にあらざれば、生養のはじめなし。
父母にあらざれば生れず。
主君にあらざれば養われず。
聖人にあらざれば、教えなくして、人の道を知らず。
書をよみ、学問する人は、ことさら、聖人の恩あつし。
書を讀まざる人も、親には孝すべく、君には忠すべき事を知り、兄弟の愛、夫婦の別を知れるは、天性の良知なれど、又、しかしながら、聖人の教え、あまねく、我が日の本まで傳れる故なれば、無学の人も、聖人の恩深き事を思うべし。
此の四恩は、人の本なり。
人たる者、常に尊びて、忘るべからず。
身を終わるまで務めて、其の恩を、必ず報ずべき事なり。
四恩に限らず、人倫には、必ず恩を受ける人あり。
忘るべからず。

十二
 今の世に生れる人、乱世に遭わず、治世に住めるは、大なる幸なり。
是れ、世を治め給う大君の御恵みなり、大君は、たとえば、天地を大父母とするが如し。
主君の大なる大主君なり。
其の御威徳によりて、世おさまり、わが身安楽に此の世に住めれば、是れ、亦、四民ともに、大恩をこうぶれり。
其の御恵みを仰ぎて、忘るべからず。

十三
 古の乱世の時を聞くに、力ある者は常に干戈を事として、しばしば戦いにのぞみ、力なき者は、粮をつつみて、時々、山林に逃げ隠れる。
一日も、安堵の思いなし。
これを思いて、今の大平の御代の、安穏にして無事なるを楽しむべし。

十四
 農工商は、君に仕えずといえども、又、其の國郡を治め給う君恩を忘るべからず。
大君の御恵みによりて、かかる太平の楽しみを受ける事を喜ぶべし。

十五
 國土を治め給う君は、民を恵み治める役人にて、民をいつくしみ惠むを以て職分とす。
是れ、民の父母なれば、其の臣下と萬民を愛して、情け深く憐み厚かるべし。
われ一人の楽しみを専らにして、民を苦しましむるは不仁なり。
上仁あらば、民も亦、其の恵みになづきて、君を仰ぐ事、父母の如く思いて忘れず。
上は下を憐みて仁あり。
下は上を尊びて義あるべし。
上 仁あり、下義あれば、上 下 和合し、國土平安なり。
一條内大臣の歌に、「民やすく國ゆたかなる御代になれば君を千とせと誰か祈らぬ」といえるが如くなるべし。
君を千とせと、萬民の祈るは、君の徳なり。
まことにめでたく尊ぶべし。

十六
 凡そ、人に義理あり、利養あり。
義理は、天道に随て、仁義の心を保ち、五倫の道を行うをいう。
利養は、四民ともに、各々、其の家業をつとめ、衣食居所を求める營みをして、身を養うをいう。
義理は心を養い、財利は身を養う。
凡そ、人の、日夜營むべき事、此の二の外にこれなし。
然るに、義理の心を養うは、至りて重く、利養の身を養うは、義理に比べれば、甚だ、軽し。
此の二の軽重を知りて、義を貴び、利を卑しむべし。
義を貴び、利をいやしむは、君子の心なり。
利を貴び、義をわすれるは、小人の心なり。
君子小人の別は、義と利との間にあり。

十七
 凡そ、人の好む事多しといえども、其の大なる事三つあり。
一には、富貴を好む。
二には、長生を好む。
三には、義理を好む。
此の三の内、軽重あり。
富貴を好むより、長生を好むは重く、長生を好むより、義理を好むは重し。
人の好む所の軽重、自ら此の如くなるのみならず、好むべき道理の軽重も、亦、自ら此の如し。

十八
 此の三は、天の下の生きとし生ける人、高き賤しき、賢し愚かなる、皆、是れを好まざる人なし。
まづ、富貴を好むより、長生を好むこと重しとは、如何ぞや。
富貴とは、禄多きを富といい、位高きを貴という。
富は、國土を保ち、貴きこと國王となるは、富貴の至極なり。
もし、人ありて、汝に、國土をあたえ、王位をゆづるべし。
しからば、汝が命を奪うべしとあらば、いかなる愚人も、命を失いて、國土と王位を得んと思う者はあらずや。
是れ、大富貴を捨てて、命を生きんことを願うこと、かくの如し。
然れば、富貴を好むより、長生を好むは、重きにあらずや。

十九
 長生を好むより、義理を好むこと重しとは、如何ぞや。
君と親とのため、義を見て命を捨てるはいうに及ばず、かりそめに、友に連れたち道を行くにも、向より、悪人来たり、行きあいて、不慮に、友と口論し、戦いに及ぶ時、友を見捨てて、逃げ去る事は、士ほどなる者はせず。
是れ、命より、義理は重き故にあらずや。
又、わづかなる禄を得て、君に仕える下部も、主人のため、命を捨てるは珍しからず、一言の辱めをうけても、義において忍びがたく、命を捨てるならいなり。
國土と王位にも換えざる重き命なれども、義理は、命よりも、遥かに重き故に、いかなる賤しき愚かなる下部といえども、命を捨て義理を行う。
是れを以て、長生を好むより、義理を好む事は重しと知るべし。
ただ、賢人のみ、此の心あるにあらず。
諸人、皆、此の心あり。
是れ、人の本心なり。
只、賢人のみ、常に此の心を失わず。
さきに云える、利養の身を養うは軽く、義理の心を養うは重しとは、是れをいうなり。
しかれば、義理は、至りて重く、利養は、身のため切なりと雖、義理に比べれば、至りて軽し。
ここを以て、程子も、義に對なしといえり。
無對とは、義の貴きに比ぶべきもの無しといえる意なり。
天下に、義ほど重き物なければなり。
しかるに、愚者は、利養のために道を忘れ、少しの利欲にめでて、大なる義理を失うは、是れ、私欲の迷いにて、本心にはあらず。
本心を失えば、知もくらくなる。
義理を捨てて、財利を取るは、たとえば、十斤の金を捨てて、一斤の銅を取るが如し。
軽重と貴賎を知らざるなり。
愚なりというべし。
愚人も、義理を好む心あれど、私欲に迷いて、義理の重き事を忘る。
是れ、本心を失えるなり。
軽き財利を貪りて、至りて貴き義理を捨てるは、たとえば、雀をとらんとて、寳玉を礫にして、投げ打つが如し。

二十
 人の身のわざは、言行の二にあり。
是れを愼しみて、過ち少なくするは、身を修める道なり。
凡そ人は、言は常に餘りあり、行は常に足らず。
言を信にし、行を篤く愼しむべし。
言は、過ぎやすく、誤りやすし。
愼しみて、妄りに言うべからず。
行は、常に怠りやすく、不足多し。
怠りなく、鋭どに力め、餘りある程あつく行うべし。

二十一
 心を天官という。
身の主にて、思うを以て官とす。
耳、目、口、鼻、形を五官という。
耳に聴き、目に見、口に物いい、物を喰い、鼻に香りをかぎ、形は動く。
是れ、五のつかさどりなり。
官とは、つかさどるなり。
役を勤めるをいう。
心は、五官の君なり。
五官は、心の使うものなり。
心によく思案して、五官の僻事を禁じ、五官の役を勤めしむるは、たとえば、主人の臣下を使うに、各々、其の官をいいつけて、勤めしむるが如し。
斯の如くすれば、理順にして、事治る。
もし、思案なく、五官を制せざれば、五官恣にして、見るまじき非禮を見、聴くまじき非禮を聴き、言うまじき非禮を言い、動くまじき非禮をはたらく。
是れ、心に思案なく、五官にまかせて、心の官を失えるなり。
たとえば、愚なる主人は、下人を制する力なく、かえって、下人より制せられるが如し。
逆にして、家治りがたし。

二十二
 人の心は、身の主なり。
心の官は、思うことを司る。
思案なければ、心の官を失いて、職分空しくなり、家に主なく、軍に大将なきが如し。
耳、目、口、體の欲にひかれ、悪にながれ、乱れて治らず。
毎日、口に言うこと、身に行うことを、事ごとに、心に思案し、愼しみて、言を出し、わざを行えば、誤り少なく、後悔少なし。
人の誤りをなし、悪を行うは、皆、思案せざればなり。
よく思えば、過悪なし。
過悪なければ、後悔なし。
凡そ、身の行いは、後悔なからん事を思うべし。

二十三
 博く書を讀み学問しても、精しく思わざれば、道理に通ぜずして、明かならず、心に得がたし。
孔子も、学んで思わざれば罔しとのたまえり。
古今、書を讀む人は多けれど、道を知る人稀なるは、書を讀みたるのみにて、思わざればなり。
思えば、よく深き理に通ず。
萬の芸能も、只、つとめたるばかりにて、思案の工夫なければ、其の芸進まざるが如し。
思いの工夫、其の益大なるかな。

二十四
 凡そ、人となりては、常に、愛敬の心を保ちて、少時も失うべからず。
愛とは、人を憐むをいう。
人を憎み疎んぜざるなり。
其の交の親しき疎きによりて、愛の厚薄、品はかわれども、すべて、疎きも親しきも、愛せずということ無かるべし。
敬とは、人をうやまうをいう。
人を侮り軽んぜざるなり。
其の位の尊き卑き品によりて、敬の浅深はかわれども、すべて、敬い侮るべからず。
愛は、親しきより生じ、敬は貴きより生ずれども、疎きをも愛し、卑しきをも敬するは、眞の愛敬なり。
親疎貴賎、すべて愛敬するは仁なり。
親疎貴賎の品によりて、厚薄浅深あるは義なり。
愛敬の二は、善心なり。
善を行うとは、愛敬を行うなり。
是れ、人倫を親しむの道、即ち、天地につかえ奉る道なり。

二十五
 人を誹るは、わが同類を疎んじ憎みて害うなり。
是れ、不仁にして愛なきなり。
同類を侮り軽んじて、蔑ろにするは、不敬なり、不禮なり。
不仁不禮は悪なり。
尤も戒むべし。
人を誹りて、たとえ、理にあたるとも、厚き道にあらず。
況や、實に過ぐるをや。
人を誹るは、道理に背くのみならず、必ず、身の禍となる。
人を誹れば、人も亦、我を誹る。
天に向て唾を吐くが如し。
誹られる人は、一生の恨みとなる。
人を誹りて、人知るまじきと思うは愚かなり。
悪事千里を行く理あり、壁に耳ありと思うべし。
なかにつきて、君上を誹るは、大不敬にして、其の罪大なり。
古語にも、臣の悪は莫大於誹君といえり。
もし、人ありて、君上を誹らば、わが身は、口を噤んでいうべからず。
わが身、政道に預らずんば、國家の政事を議することなかれ。
君上の僻事ありとも、臣たる者は、かくして言うべからず。
古語に、其の國に居ては、其の大夫をも誹らずといえり。
是れ、忠孝の道なり。
況や、君を誹るべからざる事、いうに及ばず。

二十六
 世に交わるには、勢を知るべし。
勢つよきには、我に理ありても勝ちがたし。
勝ちがたきを知らば、争い難かるべし。
されども、時めける勢ある人にしたがいて屈するは、諂えるなり。


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