見出し画像

大和俗訓 巻之三 心術上


 心は、身の主にて、萬事の根本なり。
此の故に、心正しからざれば、身修まらずして、家を調え、人を治め難し。
譬えば、草木の根、堅からざれば、枝葉栄えず、家の主不徳なれば、家治まらざるが如し。
心を正しくする道は、先づ、善を好み、悪を嫌う事、眞實なるを本とすべし。
心の内に、善を好む誠なく、悪を嫌う事、忠實ならずんば、猶、悪人の境界を免れ難き故、心を正しくすべき用なかるべし。
是れ、大学の道、心を正しくせんと欲しては、先ず、其の意を誠にするに有り。
既に、善を好み悪を嫌う事、誠あらば、心を正しくする事、易かるべし。
心を正しくすとは、心より起る所の喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲の七情、よき程に過不及無くして、片落ちざるを云う。
喜ぶべくして喜び、其の喜び過すべからず。
怒るべくして怒り、其の怒り過すべからず。
自余も亦、此の如くなるべし。
七情過不及無くして、片落ちざれば、心の内滞りて、常に和平なり。
是れ、心正しきなり。


 尚書に曰く、人の心惟危く、道の心惟微く、惟精惟一、允に厥中を執る。
是れ、古の大聖ぐ舜の帝の、天下を禹王と申せし聖人に譲らせ給う時、天下を治め給う心法を傳え給う御教えなり。
人心とは、人の身の耳目口體の形氣の好む所によって起こるを云う。
形氣の好む所とは、目に色を好み、耳に聲を好み、口に味を好み、形には安らかなるを好むを云う。
又、喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、好み、憎み、願うの七情も、是れ、形氣より起こる人心なり。
飢えて食を好み、寒くして衣を求め、疲れて形を休めるの類。
又、七情も、皆是れ、人情の、無くて適わなざる事なれば、聖人と雖も、人心無き事、能わず。
然れども、衆人は、耳目口體の好むに任せ、七情の起るに任せぬれば、程よき事を忘れ、忽ちに、私欲に流れ、悪に陥る。
故に、人心はこれ危うしとのたまう。
危うしとは、譬えば、小児を火の側に置きたるが如く、酔える人の崖、掘に落ち入らんとするが如し。
道心とは、仁義禮智の本性より起こる善心なり。
道心惟微とは、微は、少しきにして、隠れるなり。
人心は、形氣より起こる故、外に現れ動きて、其の勢盛んになり易し。
道心は、心底に隠れ、微かにして現れ難し。
故に、道心は惟微なりとのたまう。
人心は、盛んになり易く、道心は、隠れ易し。
二の者、胸中に相混じりて、其の治めようを知らざれば、人心は、いよいよ危くして、人欲にながれ、道心は、彌微にして、ついに、人心に蔽われて亡ぶ。
ここに於いて、人心抑え、道心を保つ道無くんば在るべからず。
惟精とは、人心、道心、二の間を分かちて、明らかに精しく知るなり。
惟一とは、すでに、人心道心を分かち知れば、専一に、道心を主として、人心の危き方に任せざるを云う。
此の如くなれば、一の心の仕業、皆、道心より出で、人心は、道心の下知に従う。
允に厥中を執、の中とは、人心のなす所、耳目口體七情のわざ、皆、過不及の誤り無きを云う。
是れ、道理の至極にて、目當にする所なり。
惟精惟一なれば、萬の身の業、皆、過不及の誤り無くして、よき程の中に適うなり。
飲み食う業を以て言わば、酒食を好むは人心なり。
酒食を過すべからずと思うは道心なり。
酒食を好む心に任せぬれば、忽ち、威儀を失い、脾胃を害うに至らんとす。
是れ、人心は危きなり。
酒食を過せば、身の害にならん事を恐れる道心は有りと雖も、人心盛んなれば、恐れる心は、自ずから微にして、現れ難し。
是れ、道心惟微なるなり。
此の如くに、酒食を好む心に任せ、恐れる心微なれば、たちまち、酒食を恣に過ごし、恐れる心は無くなりて、ついに、人欲に克たず。
然るに、人心のわがままなると、道心の愼み在るとの二を明かに知りて迷わざるは、惟精なり。
すでに酒食の過ぎて損あり、節にして益ある事を精く知れらば、専一に愼みて、道心を主とし、人心の貪り好む欲を戒め抑えて、自ら過不及の誤り無からしむべし。
すべて論ずるに、人心惟危、道心惟微は、人心・道心、二の者の有りさまなり。
惟精惟一は、心をあきらめ、道心を主とする工夫なり。
允に厥中を執は、中は、過不及なき至極の道理なり。
必ず、惟精惟一の工夫ありて、過不及の過なき道理を失わざるべしとの意なり。
是れ、大聖人の、天下を譲り給う時、傳え給える大事の心法なれば、真理至極せるなるべし。
此の十六字は、萬世心学の教えの根源なり。
王公より以下庶人に至るまで、皆、尊んで、よく心得、受用あるべき事なるべし。


 天地の、人を憐れみ恵み給う事、限り無し。
食物・衣服・居所・器物、もろもろの、人の身を養う物を生じて与え給う。
もろもろの人、是れを取りて用い、我が身を養う。
天下の人、高きも低きも、一人も、其の恵みを受けざる人なし。
其の恩の深く高き事、海山にも比べ難く、言語にも述べ難し。
又、薬物を生じて、生を救う。
凡そ、世にあらゆる萬の物、人の身を養い助ける品々多き事、挙げて数えるべからず。
是れ皆、天地の、人を厚く恵み給う所なり。
天地の禽獣を養う事は、人を養い給う百分が一にもあらず。
其の上、禽獣は人に殺されて食と成り、草木は、伐られて用となる。
然れば、人の萬物より貴くして、天地の厚き恵みを受ける事、思い知るべし。
此の如く、天地の恩を厚く蒙りても、愚かなる人は知らず。
平生、一の善事をも為さずして、天地に仕え奉り、恩を報ずる道を行わず。
況んや、不仁にして、天地の産み養い給う人物を損ない悩まして、天地の生理を妨げ、天地の物を費やし、天地の御心に背くをや。
是れ、天地の恩を知らず、天地に不孝にして、人道を失えりと云うべし。
天道恐るべし。
我輩愚かにして、天地の大恩の萬一を報ずる程の力こそ無くとも、せめて、天地の道に背かず、天地の生じ給う物を損なわざるべし。
古人は、天道の、眼前にある事を知りて、朝夕恐れをなして背かず。
今の世の人も、亦、此の如くなるべし。
詩に曰く、天の威を畏て、ここにこれを保つと云り。
学者は、常に天道を恐れるを以て、心とすべし。
人道は、必ず、此の如くなるべし。


 常に、心の内を省みて、一點の私欲・邪念あらば、早く去るべし。
私欲とは、名利・色貨の欲とて、名聞を好み、利分を好み、色を好み、貨を好むの類、並びに耳目口體の好む所の、身に私する欲を云う。
邪念とは、人を虐げ、人と怒り争い、我が身に誇り、人を侮り、人を嫉み誹り、人に諂い、人を欺き偽る類を云う。
皆是れ、邪悪の心なり。
もし、是等の事、露ばかりも有らば、速やかに去るべし。
心を害する事、甚しければ也。
又、氣質の偏あらば、勝つべし。
氣質の偏とは、生まれつきに片墜ちたる所あるを云う。
氣の荒きと騒がしきと、又、柔らかすぎて弱きと、或は、敏すぎると、鈍く緩すぎたるの類、或は、生まれつきて、怒り多く、慾多きの類を云う。
是れ皆、氣質の偏なり。
心を害す。
凡そ、氣質の悪しき所を変化する事、極めて難し。
平生、心を用いて、是れに勝たずんばあるべからず。
又、過ちあらば、速やかに改むべし。
過ちとは、巧みて悪をするにはあらず、是非を知らずして、不意に道理に背くを云う。
氣質の偏により、私慾の妨げによりて、過ちを為す事、多し。
人聖人にあらず、誰も過ち多し。
過ちと知れば、速やかに改めて、善に移るべし。
吝かなるべからず。
吝かなりとは、過ちを惜しみて、改めかねるを云う。
凡そ、私慾・邪念と氣質の偏と、過と、此の三の者ありては、心術を害す。
心を正しくし、道を行わんとすれども、是等の過悪ありて去らざれば、徳に進むべきようなし。
譬えば、田を作るに、莠を去らざれば、水を注ぎ、肥ししても、莠のみ茂りて、苗に益なし。
先づ、莠を去りて、水と肥とを用いるが如し。
又、身の病を去りて後、補養するが如し。


 人にまじわるに、愛敬の二を心法とす。
是れ、簡要の事なり。
誰も知らずんばあるべからず。
愛とは、人を憐むを云う、憎まざるなり。
敬とは、人を敬うを云う、侮らざるなり。
人を憐むは、仁なり。
人を敬うは、禮なり。
仁禮を心の内に保ちて、人を憐み、人を敬う事、忘るべからず。
是れ、人に対して行うべき善なり。
父母を憐み、主君を敬うは、言うに及ばず、疎き人、賤しき人に対すとも、其の位に従いて、よき程に敬愛すべし。
侮り疎かにすべからず。
是れ、人に交わる道なり。


 凡そ、人の心、必ず、仁義禮智の性ある故に、良心時に起る。
其の良心を空しくせずして、擴め充つべし。
擴め充つとは、善心の僅かに起こるを損なわずして、育て養い、盛んならしめ、其の分量を十分に充て、何処にも行きわたらしむを云う。
譬えば、水の初めて、流れ出ずるを、せき止めずして流し、火の初めて燃え出ずるを打ち消さずして、熾んに起こらしむるが如くすべし。
此の良心を擴めば、遠き四海を治めて余りあり。
擴めざれば、近き父母に仕えるにだに足らず。
是れ、孟子の説、殊に親切なる教えなり。
学者、必ず服用して、努め行うべし。


 仁は、人を愍み、物を育てる善心なり。
是れ、天地の恵みの心を受けて、人の心とする所なり。
故に、孟子に、仁は人の心なりと云り。
人毎に、生まれつきたる本心なり。
君子は、此の本心を失わず。
己を愛する心を以て、人を愛し、人我の隔て無し。
小人は、偏に、我が身を愛して、人を愛せず、人我の隔て深し。
是れ、私慾あればなり。
是れを、不仁と云う。
人たる者は、仁を以て心とすべし。
不仁の人は、本心を失ない、人道を亡ぼし、天道に背く。
此の故に、人の最も戒むべき事、不仁より先なるは無し。
不仁は、天地人の背く所なり。
故に、ついに天罰を蒙りて、災いあり。
其の上、子孫までも報える物なり。
天道恐るべし。
此の道理、古今、唐・大和、験し多し。
違う事無し。
疑うべからず。


 易に、天地の大徳を生と云う。
此の理、よく味わいて知るべし。
生とは、生きて死なず、活かして殺さず、生々してやまず。
此の故に、天地は、萬物を生みて育て給う。
萬物の父母なり。
物を憐れみて、活かす事を好み、殺す事を嫌い給う。
是れ、天地の大徳なり。
生の理なり。
人は、天地の子なれば、其の心に、天地の大徳、生の理備わりて、天地の恵みの心を生まれつけたり。
是れを、仁と云う。
仁は、人物を憐れみ、愛するの心にして、是れ即ち、天地の生物の心なり。
萬物は、皆、天地の生める所なり。
其の中に取り分け、人倫は、尤も天地の恵み厚し。
萬物の内にて、いと貴くして、天地の子とする所なり。
此の故に、天地の御心に従い、仁心を以て、物を愛するには、人倫に於いて、殊更厚くすべし。
人倫を厚くするは、是れ、天地の御心に順うなり。
人倫を愛するにも、次第あり。
先づ、父母・兄弟を愛するは、仁を行う本なり。
主君は、父母に等し。
次に、親類・臣下・朋友、次に、萬民を愛すべし。
又、其の次に、鳥獣蟲魚を愛して、妄に殺さず。
次に、草木を愛して、妄に切らず。
是れ、人を憐み、物を愛する次第なり。
されど、又、悪人を殺すも、是れ、義にして仁にかなえり。
又、樹木も、時を以て伐り、鳥獣も、道理を以て殺すは義なり。
鳥獣草木なりとて、妄りに殺し伐るは、不仁なり。
仁者は、萬物を一體とす。
故に、人倫は云うに及ばず、物として、愛せざる事なし。
孔子も、一樹を伐り、一獸を殺すに、其の時を以てせざるは、孝にあらずとの給えり。
されば、禽獣も、草木も、皆、天地の生ずる物なれば、妄に是れを害うは、天地に対し、不孝なりと知るべし。
人物を愛するに、親しきより疎きに及び、重きより軽きにいたるべし。
軽重・親疎の差別なく、平等に愛するは、義にあらず。
墨子が兼愛とて、天下の人を一様に愛するは、父母をも、路人と同じくする也。
是れ、仁の道を知らずして、義に適わざる也。


 人は、天地の子なり。
天地を法として行うべし。
天地は、別に心無し。
萬物を憐むを以て心とせり。
別に所業なし。
萬物を生み出し、養うを以て業とせり。
人も亦、この心を受けて、常に、人に恵み憐むを以て心とすべし。
別の念あるべからず。
人を助け救うを以て、業とすべし。
別の業あるべからず。
故に、天下の人、王公より以下、庶人に至るまで、日々行うべき善事あり。
善を行うべき位にあり、時にあたらば、空しく過ごすべからず。
是れ、天に仕え奉りて、天職を勤むるなり。


 仁者は、人を愛す。
人我の隔て無し。
人を愛せずして、一重に、我を愛するは、人我の隔てなり。
是れ、私なり。
仁者は、私なし。
我を愛する心を以て、人を愛し、わが嫌う事は、人に施さず、我が身を立てんとして、又、人を立つ。
此の如く、人我を忘れて分たざるを、公と云う。
公とは、私無きなり。
仁者の心、努めずして、自ずから、此の如し。
学者は、いまだ仁に至らず、努めて、仁を行うべし。
我が心を以て、人の心を推し量るに、人の心も、亦、我が心に変わらず。
我が好む事は、人も好み、我が嫌う事は、人も嫌う。
ここを以て、仁を人に施し行わんとせば、先づ、我が心を以て、人の心を推し量り、わが好む事は、人に施し与え、我が嫌う事は、人に施さず。
此の如くすれば、人の心に適わざる事無くして、人々、各々、其の所を得て安んず、是れ、仁の行われるなり。
是れを、己を推して人に及ばず、と云う、恕なり。
恕は、仁に至らんとする人の行うべき工夫なり。
仁者は、努めずして、自ずから人を愛す。
恕は、努めて仁を行う。
是れ、仁恕の分ちなり。
恕の一字は、人の身終る迄、努めて行うべき道なり、と聖人宣えり。

十一
 人となる者は、天地の心に従い、仁愛を以て、心とし行うべし。
己を愛する心を以て、人を愛す。
是れ、仁なり、人の心なり。
禽獣は、己が身を愛する事のみ知りて、物を愛せず。
人もし不仁にして、唯、わが身を愛して、人を愛せずんば、人の心にあらず。
禽獣と何ぞ異ならんや。
不仁なれば、人心を失う故、其の余の才能の善き事は、見るに足らず。

十二
 我が身を謙り、人に高ぶらざるを謙と云う。
謙なれば、我が身に誇らず、人にくだりて、問う事を好み、人の諫めを聞きて、我が過ちを改める故、智を開き善に移る事、窮まりなし。
此の故に、古人、謙を以て天下の美徳とす。
謙の反は、矜なり。
矜は、誇ると訓む。
誇るとは、我が身に自慢するを云う。
誇れば、自ら是として、人に求めず。
此の如くならば、悪に移る事、極まりなし。
此の故に、古人、矜を以て、天下の悪事とす。
謙と矜との善悪の事、前に既に解けりと雖も、繰り返して、初学の人に知らしめんが為なり。

十三
 敬は、愼むと訓ず。
愼むとは、心に戒め畏れるを云う。
和語の意は、包むなり。
しは、休め字なり。
内に包んで、妄りに外に出さざるなり。
敬めば、本心を保ちて失わず。
行い成す事、理に適いて、誤り無し。
ここを以て、敬は、一心の守り、萬善の根本なり。
故に、敬めば身修まり、敬しまざれば、亂る。
萬の事、敬まざる事勿れ。
萬善、皆、敬みによって行われ、萬悪、皆、敬ま不より起こる。
故に、五常の徳、是れによって立ち、五倫の道、是れによって行わる。
ここを以て、聖学は、敬を以て要とす。
故に、聖学の始終、皆、敬を以て宗とす。
古来の聖賢の心法、皆、敬の一字を要とす。
学者の、最も努むべき所なり。
又、よく敬めば福あり。
敬まざれば、禍あり。
白楽天も、禍興と福在とは愼興と愼不と云り。
身の禍は、皆、愼まざるによれり。
故に、愼みは、禍に克つと云り。

十四
 古語に、人聖人にあらず、誰か過ち無からん。
過ってよく改む。
善、これより大なるは無しと云り。
程子も、学問の道他なし。
其の不善を知れば、速に改めて、善に順うのみと云り。
不善とは、即ち過ちなり。
過ちを知りて、改めるは、学問の要なり。
されども、我が過ちを知る人少なし。
すべて、凡人は、我が身に私して、其の身の過ちと悪とを知らず、よろづ外の事は、事毎に知らずとも、さほどの憂いにあらず。
我が身の悪を知らざるは、甚だ愚なるかな。
是れ何よりも憂うべき事ならずや。
身を省み、人の諌めを聞きて、我が過ちを知るべし。

十五
 何事も、好き好む事を愼むべし。
好みて止まざれば、道の志を奪われ、財を費やし、隙を費やす。
此の故に、勝れて好き好む事は、禍の基なり。
其の大なるを挙げて言えば、酒食と、色欲と、財利とを好みて止まざれば、徳を損ないて、後は身を失う。
其の余の事を好むも、亦、しかり。
凡そ、好む事は、多きを忌む。
少なけれども、過ぎて深く好めば、又、禍となる。
古人の言に、好む事を見て、其の人の善悪を知ると云り。
好む事、愼むべし。

十六
 方孝孺が、楽しみ未だ既ず、而憂継之者に、人之欲也、といえる事、豈、然らずや。
酒食・好色などを貪り楽しみて、其の楽未だつきざるに、早、其の禍・憂い忽ち出で来て、酒食に破られ、色欲に損なわる。
皆是れ、人欲より起こる。
欲を少なくするの工夫は、欲を耐えて、好む所、十分に至るべからず。
唯、六・七分、或いは、七・八分に至れば、早く止むべし。
十分に至れば、必ず、禍出で来て、後悔すれども益なし。
古語に、酒は微酔に飲み、花は半開に見ると云えるが如くなるべし。
善誘文にも、一時、我が心に快き事過ぎれば、必ず、身の禍となる、と云り。

十七
 民を司る人は、民の父母なれば、民を憐れむ心を本とすべし。
民の心を以て心として、民の好む事を好みて施し、民の嫌う事を嫌いて施さず。
父母の子を思うが如くする故、是れを民の父母と云う。
民の上に立つ人は、民を養う職分を、天より授け給う事を知りて、天道に従い、民を苦しましむべからず。
我一人の楽を究めんとて、多くの人を苦しめるは、天道の御心に背けり、天道おそるべし。
すべて、人は高きも低きも、同じ人なれば、民の楽しみ苦しみも、我と同じ。
我が心を以て、民の心を推し量るに、違わず。
民の憂い・苦しみを思い量りて、憐れむべし。
不仁なる人は、民を憐れまずして、民を愛すれば奢りて、上を侮るとて、民を憐れまず。
是れ、不仁の云う詞なり。
すべて、民は素直なる天性あり。
上なる人、誠を以て民を愛すれば、民も、亦、必ず、感悦して、わだかまらず、誠を以て上に仕う。
上より、不仁にして、偽りを行えば、民も、亦、必ず、偽る。
此の感応の理、唐も大和も、古も今も変わらず、疑うべからず。
民を慈しみ、其の上に法を厳にして、民の僻事を禁ずれば上を侮らず驕るべきようなし。

十八
 民の司となる人、我一人の楽しみを好むべからず。
民と共に、楽しむべし。
是れ、誠の楽しみなり。
天下の人は、高きも低きも、皆、我が兄弟の理ありて、本は一體なる事を知り、我が心を推し量り、聊か人の憂い・苦しむ事を為すべからず。
貧窮にして、飢え凍える者、病者、不具なる者、世を渡りかねて、憂い・苦しめる鰥寡孤獨の類をば、我が力を以て救うべし。
鰥寡孤獨とは、老いて妻なきを鰥と云い、老いて夫なきを寡と云い、幼うして、父なきを孤と云い、老いて子なきを獨と云う。
この四つの者は、世の中の困窮せる民にて、人の恵みを受くべき便りなく、飢え凍えする人なり。
いと憐むべし。
古の聖人の政は、先づ、かようの不憫なる民を、早く恵み給う。
かえすがえす、我が身一つを愛して、人を愛せず、多くの人を苦しむべからず。
仮にも、人に妨げなく害なからん事を思うべし。
人の憂い・苦しむ事を救い、人の為に計りて忠あるべし、粗略にすべからず。
位低くき人も、我に財ありて、施す力あらば、貧窮を救い、鰥寡孤獨の、便りなく苦しめる人を、分限に従いて、憐れみ助くべし、財を愛しむべからず。
次には、禽獣・虫魚・草木に至るまで、廣く憐れむべし。
是等は、天地の内にて、我が兄弟の列にはあらざれども、同じく天地の内に生ずる物にして、本は一氣なれば、同類の思いをなして、妄に害うべからず。
但し、人に妨げある禽獣をば除くべし。
是れ皆、仁を行う工夫なり。
下にある賤しき匹夫の、輩、諸人の補いにならん事は、もとより力に及ばざる所なり。
されども、賤しくして、下にある者も、仁愛の心だにあらば、其の分に応じ、其の力に従いて、心を用いて、人を救う事、日々に多かるべし。
然れば、仁愛は、賤しき人も、心にかけて、努め行うべき事なり。
是れ即ち、天地の御心に受け従いて、天地に仕え奉る道なり。

十九
 陰徳とは、善を行いて、人に知られん事を求めず。
唯、心の内に、密かに仁愛を保ち行うを云う。
古人の曰く、陰徳は、耳に鳴るが如し。
我一人知りて、人知らず。
凡そ、人の患いを憂い、人の喜びを喜び、人を憐れみ恵むに、鰥寡孤獨の、便りなき人を先にし、人の飢えたるを救い、凍えたる人に、衣を与へ、疲れたるを助け、病者を救い、道橋を修理し、人に害あるを除き、人に利益ある事をなし、人の中を和げ、人の善あるを譽め、人の過ちを隠し、人の小過を許し、人の才芸を用い進め、妄に人に怒らず、人を恨みず、人の怒り争いを止め、仮にも、人を誹らず、人を侮らず、人を奪わず、人を妨げず、人の善を奨め、人の悪を諫め、禽獣虫魚を苦しめず、妄りに殺さず、草木を妄に切らざる、皆是れ、陰徳なり。
凡そ、陰徳は、人知らざれども、天道に適う。
故に、後は、必ず、我が身の福となり、子孫の繁栄を得る道理あり。
かるが故に、福を求めるに、是に勝れる祈禱なし。
天道の、善に福し、悪に禍し給う理は、古今和漢、明白なりと雖も、凡人は、是れを知らずして、善を好まず、悪を行い、僻事をなして、福を求め、我が身の祭るまじき淫祠に諂い祈る。
古を考えるに力無くば、せめて、近き古と、今の世の中を廣く考え見て、善を行いて益あると、妄に神と人とに諂いて、益無きを知るべし。
されども、君子の心は、福を求めん為に、陰徳を行うにはあらず。
陰徳を行えば、求めずして、福は其の中にあり。

二十
 よく、後来の事を豫て知るを、先見の明と云う。
是れ、知者の知る所、尊ぶべし。
我が輩の愚者は、先見の明無くして、ややもすれば、過ち多く、後悔多し。
愚かなりとも、心静かに、よく思案せば、此の患い少なかるべし。
後悔少なからん事を思えば、常に思案を好みて、妄に事を好まざるべし、事多くなり、過ち多く悔多し。

二十一
 我が身の欲を恣にするより、大なる禍なし。
人の非を誹るより、大なる悪無しと、古人云えり。
此の二つは、義理に乖くのみならず、身を亡ぼす道なり。
常に心にかけて戒むべし。

二十二
 凡そ、平生の心法は、眞實にして偽りなかるべし。
中庸に、誠天之道也。之誠者、人之道也と云り。
誠天之道也とは、陰陽の所業、日月の巡環、春夏秋冬の次第、古今変わらず、草木の、春生じ、夏長じ、秋登り、冬収まりて、年々に変わり無きも、皆、是れ、天道の誠なり。
之誠とは、人の力にて、努めて誠にするを云う。
人は、天地の子なれば、天道の誠を法と従いて、行うべし。
是れ、之誠は、人之道なり。
孔子も、忠信主とのたまえり。
此の意は、誠を以て、人の心の主とすべしとなり。
忠信は、卽ち、人の誠なり。
誠と言わずして、忠信とのたまえるは、心に偽り無くするは、忠なり。
言と事とに偽り無くするは、信なり。
誠は、天理の自然を云う。
忠信は、人の努め行える誠を云う。
理は一にして、自らなると、努めるとの分ちなり。
程子も、人道は、唯、忠信にあり。
誠ならざれば物無しと云り。
君父に仕えるにも、誠無ければ、忠孝にあらず。
萬の事、誠無ければ、さばかりの善事を為すといえど、偽りとならば、實事にあらず。
努め行うも、仇事なり。
是れ、無物なり。
善事を努め行えば、名利の為にせずして、誠を以て行うべし。
是れ、誠の善なり。

二十三
 言うと行うと、心と言と、表裏なかるべし。
萬の事、いみじくとも、誠無くんば玉の盃の底無きが如くなるべし。
吉田の兼好が、偽りても賢を学ばんを賢と云うべし、と云う。
此の言葉、甚だ教えに害あり。
凡そ、人道は、唯、忠信にあり。
すでに偽り有れば、其の余は、見るに足らず。
偽りて賢を学ぶ、是れを小人と云う。
何ぞ、賢と言わんや。
漢の王莽、宋の王刑公など、偽りて賢を学びし故、始めは、君子の名を得ると雖も、ついに、天下を奪い、天下を乱れり。
是れを、賢と言わんや。
君子の道は、純一にして偽り無かるべし。
仮初めにも、偽れる念を心に挟むべからず。
たとえ、外に善を行うとも、内に誠なくば、君子の道にあらず。
故に、身を修めるには、唯一筋に誠の道を行うべし。
もし、凡夫のために言わば、偽りてするも、誠にするも、力を用いる其の労は同じければ、とてもの事に、唯、誠を行うべし。
偽りて善を行うは、表れて悪をするに優れども、誠あらざれど、天道人道に乖きて、其の罪深し。
誠いたれば、天地を動かし、鬼神を感ぜしめ、一心を和ぐ。

二十四
 凡そ、人の一念の不善も、必ず、天に通ずる理あり。
天は、高きに居て、低きに聞くと云り。
上天を欺くべからず。
おそるべし。
人を欺けば、ついに、其の偽り現わる。
内に誠あれば、必ず、外に現ると云り。
下人を欺くべからず、恥づべし。
天を欺き、人を欺くは、共に、我が心を欺くによれり。
我が心に不善と知りながら、これを行う。
是れ、自ら欺くなり。
我が心、欺くべからず。
凡そ、天と人と、我が地と、皆、欺くべからず。
唯、一筋に誠あるべし。
ここを以て、君子の心は、常に、青天白日の如くなり。
小人の心は、常に陰暗にして、計り難し。

二十五
 易に、懲忿窒慾と云り。
忿を懲とは、忿を抑えるなり。
怒りは、陽に属して、火の物を焼くが如し。
起こり易くして、人を害し、我が心の徳を損なう事、甚だし。
忿る時、先づ、忿りを忘れ、心を和平にして後、理の是非を見るべし。
又、忿る時、言をいだすべからず。
忿る時、言い出す詞は、必ず、僻事ありて、後悔多し。
愼み耐えて言うべからず。
人の言う事、行う事、悪しき事あらば、忿らずして、彌、氣を平らかにし、心を和かにして、其の是非を詳にのぶべし。
人従わずとも、忿りて心を動かし、氣を荒くすべからず。
心氣和平ならざれば、たとえ、其の言う事、理に當るとも、其の心は、先づ非なり。
況や、忿りて心を動かせば、其の言う事、理に當らざるをや。
慾とは、唯、財宝を貪るのみにあらず、名利、酒食、好色、或いは、淫楽、器物、酒宴、佚遊を好み溺れて、我が私をなすは、皆、慾なり。
慾を塞ぐとは、慾心起らば、早く、其の慾を抑えるを云う。
すでに、慾盛になりぬれば、心迷いて、慾に勝ち難し。
慾の初めて起る時、早く塞げば、力を用いる事少しにて、其のしるし多し。
慾は、陰に属す。
譬えば、水の人を溺らすが如く、溺れ易し。
およそ萬の悪は、多くは念と慾より起こる。
七情の内の二の者、最も害多し。
我が身を害い、人を害う、恐るべし。
又、怒りと慾との二は、養生の道に甚だ害あり。

二十六
 七情は、皆是れ、人情なれば、無くて叶わず。
過不及なく、よき程あるは、中なり。
過ぎたるは、最も害多し。
不及も、また理に合わず。
人を憐むは、誠に善なり。
されど、我が心に逢えりとて、妻子・従妾などを、一向に愛し過し、飽くまで恩を施すは、道より出たる愛にあらず。
是れ、私の心の甚だしきなり。
愛に溺れては、其の人の悪しきを知らず。
愛過れば、其の人、必ず驕りて、道に乖く故、却って、其の人の禍となり、又、我が禍となる。
怒るべきを怒るは、人の不善を戒めるの道なり。
怒るまじきに怒り、或いは、怒るべき事にも、怒り過ぎては、人を損ない、我が心を損なう。
憎む事過ぎぬれば、其の人の善あるを知らずして用いず。
小の誤りを、大に言いなして責めはたれば、其の人、恨み背く。
是れ皆、情の過ぎたるなり。
また憐れむべきを憐れまざるは、不仁なり。
是れ、最も、不善なり。
哀しむべきを哀しまず、楽しむべきを楽しまざるは、一向、情無しと云うべし。
是等は、みな情の不及なり。
七情起これども、過不及なくして、禮義に留まるべし。
是れ、古人の發乎情止干禮義と云えるなり。
凡そ、天下の道理は、過不及なき中に至るが、至善にして、是れ、道のある所なり。
食する一事を以て言わば、過不及無くよき程食えば、身を養う。
是れ、中なり。
是れ、道のある所なり。
過ぎれば、脾胃を破り、不及なれば、身の養いたらず。
是れ皆、中にあらず。

二十七
 人の血氣、廻らざれば病とす。
人の心、廻らざれば愚なり。
是れ、古語なり。
心廻るとは、事に當りて、心を用い、思案するを云う。
運動するなり。
孟子に、心の官は、則ち思うと云えるが如し。
思案せざれば、心廻らずして、是非を分つ事なく、愚なり。
事に當りて、心を廻らし、よく思案すれば、是非を分つ故、愚ならず。
人の、善悪を辨えずして愚なるは、思案せざればなり。

二十八
 欲を忍ぶ事、努むべし。
忍ぶとは、耐えるなり。
学者、もし、慾を耐えるに、力を用いずんば、学べる甲斐なし、力無しと云うべし。
平生の学力、ここに於いて用いるべし。

二十九
 子弟及び奴僕に対して、其の過ちを糺さば、教えを本とすべし。
怒りを先だつべからず。
斯の如くなれば、子弟・奴僕の心を得て、恨みなく、従い易し。
是れ、子弟・奴僕を戒めるの要法なり。

三十
 智は、悟ると読む。
心の明かなるなり。
心明かにして、曇りなければ、萬の道理によく通じ、是非・善悪を辨えて迷わず。
譬えば、燈明かにして、よく物を照すが如し。
智なければ、善を好めども昧く、迷いて、行うべき道を知らず。
誤りて、僻事多し。
又、智無ければ、人を知らず、君子を捨てて、小人を用いれば、禍多し。
智あれば、よく道理の是非を辨え、非義を行わずして、身を保つ。
よく人の善悪を知りて、君子を近づけ、小人を退く。
是れ、身を修め、人を治めるに、益ありて害なし。
此の故に、智は、人身の大寶なり。
心、明らかなるは、智なり。
心、明かなれば、よく人の善悪を知る。
樊遅知を問う。子曰く人を知る。
これ人を知るは、智の明らかなる所なり。

三十一
 平生の氣象は、従容と静かに、和楽なるべし。
軽率急迫るべからず。
和楽は、人心に生まれつきたる天機なり。
常に、和楽を失うべからず。
又、益なき事を思いて、心を苦しめ、楽しみを失うべからず。
是れ、不智というべし。
心の軽く速きを抑え、又、怠りを戒め、常に、心を定め、早からず遅からず、よき程なるが、心を治める法なり。
心は、身の主にて、萬事の本なれば、常に、静かに安らかにして、妄に動くべからず。
心、妄に動けば、乱れて明かならず。
萬事に応じて、過ち多し。
事、急がわしき時は、手足の動き、口の物いう事は、速からざれば、事に及ばず。
心は、急がわしかるべからず。
手足と、目口耳鼻は、譬えば、下人の如し。
心は、身の主にて、目口耳鼻手足の事の善し悪しを正す役なり。
故に、心は静かならでは、思案は、為し難し。
凡そ、事を為すに、油断にならざる事は、緩の字を用いて、妄に急がず、よく思案して、詳に、事の是非を分ちて行うべし。
古人、これを待つと云う。
待つとは、事を急がずして、時を待ち、詳に思案して、道理を求め行う事なり。
油断するにはあらず。
妄に、早く決定すれば、必ず、其の事を仕損じ後悔ある物なり。

三十二
 凡そ、勤めに退屈し、久しく勤め難きは、おおかたは、精力の弱きにはあらず。
氣隨にして、事を勤めるを嫌い、心急わしくて、短き故、難しいく思いて、早く退屈する物なり。
事静かにして、心を嫌わず、次第に従いて、一づつ、漸に勤めれば、久しく勤めても疲れず。
怠りなく、弛み無ければ、静かにしても、捗行く物なり。

三十三
 色慾・名利の念、皆是れ、人情なれば、時として、起こり易し。
其のまま措きては、徳を損なう。
其の起こる時に、戒めるには、克己の工夫を用いるべし。
己に克つ事、尤も難し。
十分の力を用いるべし。
疎かにすべからず。
但し、初めて慾の起る兆しに克つ事、甚だ易し。
是れ、克己の要法なり。
平生、学問し、道義を好む志深くば、自ずから、名利・色貨の念は、薄くなるべし。
天理進めば、人欲退く。
人欲進めば、天退く。
凡そ、物は二ながら、一時に立たざる理なり。

三十四
 心の中は、灑落にして、青天白日の如く、明白なるべし。
心の中に物を蓄え、蔽い晦ますべからず。
思慮は、深く精しくすべし。
浅く粗くすべからず。
事を為すには、深く思案を好みて、捗々しく、早く決定すべからず。
思案は、静かにして、急がざるを善しとす。
早く決定すれば、必ず、誤りあり。

三十五
 人の、我に不義・無禮なるをば、怒り恨むべからず。
それは人の誤りなれば、我が心に預からず。
是れ、小人の常情なれば、責めるに足らず。
何ぞ、怒り恨みて、彼と其の是非を争うべけんや。
唯、我が身を省みて、我が不義・無禮なるを、自ら責むべし。
人を咎む可らず。
我が身を省み、修めれば、人の上を咎めるに暇なし。

三十六
 尚書に曰く、必ず忍こと有れば、其れ乃ち済ますこと有り、容れること有れば徳乃ち大なり。
忍ぶとは、堪忍するなり。
堪忍すれば、怒りを抑え、事を破らずして、禍なし。
人我の間、和平にして、萬事調う。
故に、済ますこと有りと云う。
古語に、忍過ぎて、事喜ぶに堪えたりと云り。
堪忍し済ませば、必ず、喜び有りとなり。
人の悪しきを堪忍せざれば、怒り起り、人に争いて、人我の間和順ならず。
世に立ち難し。
堪忍すれば、争い出来ず、口論にも及ばずして、恥辱なし。
心中平かにして楽しみ多し。
容れること有りとは、心廣くして、人の善をば取りて用い、人の過ちあるをば宥すを云う。
容れる事あれば、其の徳の器、大なり。
譬えば、大なる器の、其の量ひろければ、物を入れる事多きが如し。
古人の詩に、海濶徒魚躍、天空任鳥飛といえるが如し。
忍は、力を用いて堪えるなり。
容は、其の徳ひろくして大なれば、忍ぶは言うに及ばず、先づ、務めて忍びて、其の工夫熟して後、有容にいたるべし。
忍は、生しきなり。
有容は、熟するなり。
されど、初めより、容の工夫も有るべし。
人の善を取り、人の過ちを宥す事、初めより無くんばあるべからず。

三十七
 昔、二人、同じ船に乗りて行くに、一人は性急なり。
日和あしく、船の遅きを苦しみて、昼夜、心を悩まし、形かじけたり。
一人は、性穏なり。
船の遅きを苦しまず、よく食し、安く寝て、顔色美し。
其の所に着きしかば、二人、一時に陸にあがる。
此の間、船の遅きとて、心を苦しめし者、何の益あるや。
唯、自ら苦しめるのみ。
是れ、心短き人の勤めとすべし。
天下の事、我が力に為し難き事は、唯、天に任せ置くべし。
心を苦しめるは、愚なり。

三十八
 世に交るに、言少なく、業をよく勤め、へりくだりて、我が才に誇らず、人を敬いて侮らず、人を誹らず、人情を知りて、人を恨み咎めず、世変を知りて、時宜に応じ、信義を固く守りて、約束を変ぜず、身を潔くして、財利の穢れ無し。
此の如くなれば、過ち少なくして、何処にても、人の憎み誹るべきようなし。
詩に曰く、彼処に在っても、憎まれる事なく、ここに在っても、厭われる事無しとは、是れを云うなり。
厭うは、飽きるなり。

三十九
 人の我に疎きを恨むるは、人情を知らず。
又は、世に慣れぬ人というべし。
我が身はわがままなれど、それだに心に任せざる事多くして、わが道を盡し難し。
いかんぞ、人の方より、我が心に適うように、わが為に、道を盡さんや。
また世には、いかなる障りも有りて、心に任せざる事も有りぬべし。
何事も、定めて故あらんと思いやりて、人を容易く恨み咎むべからず。
我が心に適わざるとて、誤り無き人を恨み誹るは、いと罪深し。
此の如く思い量りて、人を恨み誹らざる人は、世変と人情をよく知れる人なるべし。
詩経に曰く、何ぞ其れ久しき也、必ず以有る也。
言う意は、人の、我がもとに、何しに久しく来たらざるや。
必ず、隙無きか、病あるか、故有りて来たらざるなるべしとなり。
是れ、人の久しく音信ざるを恨みずして、いかさまにも、障り有りて、来たらざるなるべしと思い定めしなり。
朱子の詩傳にも、此の詩は、人情をよく知れりとて、誉め給う。
心狭く、智浅き人は、人情・事変を知らで、少しわが心に適わざる事あれば、早く人を恨み怒りて、心を苦しめるは、心狭く世慣れぬ人というべし。

四十
 人われを誹れば、わが身の悪しきを省み咎めて、人を恨むべからず。
もし、わが身に誤りなければ、誹りありても、我が徳に害なし。
もし、わが身に過ちあらば、誹られるは、もとより、其の理なれば、恨むべからず。
況や、誹りを聞きて、身の過ちを改めれば、わが幸甚し。
怒るべからず。
孔子曰く、丘幸あり。
もし、過ちあれば、人必ず之れを知る。
わが過ちを人に知られて、咎められるは、わが幸なりとのたまえり。
聖人の言、尊ぶべし。

四十一
 近き頃の俗語に、用心は臆病にせよと言う事、誠に道理によく適えり。
これほどの小事は、何の憂いなからんと思いて、健気にして懼れざるは、過ちの初め、禍の本なり。
莫大の過ち、禍は、必ず、しばしの間、少しなる事を畏れずして、愼まざるより起る故、小事を畏れ愼みて、健気ならざるが、禍なき道なり。
武王の銘に、勿言何害、其禍將至。とのたまいしも、此の意なり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?