見出し画像

大和俗訓 巻之四 心術下


 心は、天君と云う。
身の主なり。
思うを以て、職分とす。
耳目口鼻形は、五官と云う。
官は、司るなり。
役を務めるを云う。
耳は、聴く事を司り、目は、見る事を司り、口は、物喰い、物言い、鼻は、香を嗅ぎ、手足の形は、動く事を司る。
此の五官は、各々、一つづつの役ありて、他事に通ぜず。
心は、天君なれば、五官を指し使う主なり。
五官の所業、見る事、聴く事、言う事、嗅ぐ事、動く事に付きて心によく思案して、義理に當るか、當らざるかを考え行えば、五官の所業、誤り無く、後悔なし。
もし、心、其の職分を失いて、思案もなく、耳目口鼻形の欲に任せて、義理の當否を察せざれば、人欲、恣にして、天理亡ぶ。
是れ、心の官を失いて、よく思わざるによれり、人欲とは、他にあらず。
五官のしわざに任せて、我儘なるを云う。
目に非禮を見て、色に染み、耳に非禮を聴きて、淫聲に迷い、口に非禮を言い、飲食を恣に貪り、鼻は香を愛で、形は怠り、或いは、なすまじき所業を為すは、皆、是れ、人欲なり。
又、天理と云うも、他にあらず。
五官の為す事、よき程の道理にあたるを云う。
心は、天君なれば、耳目口鼻形の五官を使うは、君として臣を使うが如く、順なり。
もし、心の役を失い、思案なくして、五官に任せ従えば、かえって、形より心を使う。
譬えば、君として臣に、使われるが如し。
是れ、逆なり。


 人の為に、計りて心をつくし、或いは、其の才能を君相に進め、人の為、害を除き、貧困を恵み救い、人の恩を施す事、唯、一筋に仁心より行うべし。
人の悦びて、其の返報せん事を望むべからず。
我が名聞の為にすべからず。
是れ、陰徳なり。
若し、名聞の為に善を行い、又、人に施して、其の報いを望めば、仁心空しくなる。
此の如くすれば、力を用いて、善を行へども、其の事は、是にして、其の心は非なる事、惜しむべし。
誠の道にあらざればなり。


 不知の人は、義理をわきまえざるのみにあらず。
又、利害・損得をも知らずして、わが身の禍となる事を顧みず、僻事を為して、身を立てんと思い、かえりて、身を亡し、家を破るに至る。
悲しむべし。
これ、我が身の悪を止めずして、天の責めを待つ者なり。
我が身を利せんとて、悪しき事を行い、人を苦しめて、身を楽しむ。
是れ、皆、わが身の害となる事を知らず。


 道を主とせざれば、わが心の怒り・喜び・好み・憎むに任せ、我が私欲に従い、利欲・損得に拘り、或いは、人の僻事言うに迷いて、悪を善とし、善を悪とす。
親類・朋友に私し、或いは、人の請托を受けて、私する故に、道に適い、公に従う事なし。
是れ、無学にして、道を知らざる故、何を、據所として、理非を辨うべきようなし。
唯、わが身の私意を主として、わがままに行う。
或いは、書を読めども、私多き人は、道を主とせずして、欲に従う故、学べども益無し。


 家の内、妻子・家人の、我に仕える勤め、十分に我が心に合わざるとて、責め怒るべからず。
人に交わるには、恕を以て、人の非を宥すべし。
又、わが衣食・家居・器物・財用など、事毎に、我が心に、十分に足りなん事を求むべからず。
常に、不足の事あるがよし。
十分心に適えば、禍あり。
家の甍をふきて、三瓦をおおさず、衣の襟を缺くも、此の意なりと、古人云えり。


 世は海なり、身は舟なり、志は舵なり。
舵を悪しく取れば、行くべき方に行かず、風波に遭えば、舟くつがえるが如し。
志の持ちよう、肝要なり。
悪しく志を持てば、身を覆す。
舵の取りよう悪しくして、舟を覆すが如し。


 わが身に、事足る事を知れば、貧賤にしても、亦、楽しむ。
足る事を、知らざれば、富貴なりと雖も、楽しまず。


 我が身の行いの善悪は、世人の誉め謗りを、強ちに、矩にして喜び畏れるべからず。
ただ、道理を以て法とすべし。
わが行い道理に適わば、世こぞりて誹るこも恐るべからず。
わが行い道理に乖かば、世こぞりて誉めるとも喜ぶべからず。
よき人に誉められ、悪しき人に誹られるこそ、君子とはいうべけれ。
人毎に誉める者は、却りて疑わしい。
多くは、巧にして、飾れる人なるべし。


 わが身を修めるには、誉められんとすべからず。
唯、過ち無からん事を思うべし。
我が身に道理に適わば、人の毀誉は、思いのままに、喜び憂いとするにたらず。
但し、士の節義・武勇の道と、また利欲の穢れなく、廉潔にして貪らざると、此の二は、一般の人の誹らざるように、心がけて力むべし。
名を惜しむも、義に於いて害なし。
此の二の事缺けなば、其の余は、見るに足らず。


 善をなすに、人の誹りを恐れて止めるは、善を好む事誠あらざるなり。
小人、財と色とを好むには、人の誹りを顧みず。
是れ、好む事誠あればなり。
学者の善を為す事も、亦、此の如くなるべし。

十一
 凡そ、わが身にある事を恃めば必ず、身の禍となる。
才を恃めば、人を蔑ろにして、人に破らる。
勇を恃めば、人を侮りて、人に滅ぼされる。
氣力を恃めば、慾を恣にして、病起こり、命を失う。
勢を恃めば、驕りて滅ぶ。
智を恃めば、身に誇りて誤る。

十二
 心も事も、天理に専一にして、人欲を少しも混ぜるべからず。
是れを、至善と云う。
君子の心事、必ず、此の如くなるべし。
もし、十分の天理に、一分の人欲、相交わらば、譬えば、黒白の相交わり、香臭の一器にあるが如し。
十分の白き物に、一分の黒き物まじわれば、白きとは言い難し。
香ばしき物も、少し悪しき臭を加えれば、香よからざるが如し。

十三
 上代よりこのかた、誠は日々に衰え、飾は、日々に盛んなり。
奢りは、彌増さり、倹約は彌すたる。
質朴をば卑しみ、華美をば誉める。
今の世に、道を行わば、偽り、飾りを止めて、古風に立ちかえり、素直にして、眞實なるを尊び勤むべし。
眞實なれば、人も感じて、従い易し、時俗に移り行くべからず。

十四
 我が身、不幸にて、災に遭い、讒言に遭い、或いは、主君・父母・兄弟・朋友の不仁・無禮に遭うとも、古来、和漢の内、猶それよりも、甚しき災に遭える人を思い比べて、自ら、心を慰め安んじて、憂うべからず。
是れ、古人の説なり。
君子の、天命を安んずる工夫は、別に有るべし。
されど、これは一の易き手だてなり。
知るべし。

十五
 凡そ、世間の、計らざる不意の災い出来たるとも、是れ、古今の人間に、ある慣いぞと思いて、心を苦しめ憂うべからず。
兼好が歌に、慣いぞと思いなしてや慰む、わが身ひとつの浮世ならねば。

十六
 人の、我に対して無禮・横逆あり。
又、事不順ありて、わが心に適わざる事あらば、是れ、則ち、善心を起こし、私欲を堪える学問の勤め、徳を進む所なりと思い、人の不順なるを堪忍し、我が身を省み、心を責め抑えて、怒りを懲らし、欲を塞ぎ、善に移り、過ちを改むべし。
かようの我が心術を努むべき折節を、仇に思いて、徒らに過ごすべからず。
かく心に適わざる所を、よく堪え勤めてこそ、わが心の徳も、学問も、進むべき理なり。
かかる事にあわざれば、心を治め、欲を忍ぶ工夫、進まず。

十七
 天道は、春は生じ、夏は長じ、秋は收む。
三時は、皆、事あり。
冬は、ただ、生氣の隠れ静まるまでにて、所業なし。
夜更けて、人の寝入りたる時、無事にして休むが如し。
冬の氣、閉蔵するは、即ち是れ、来春発生の本なり。
冬、寒氣烈しくて、陽氣収まり隠れれば、来春の陽氣熾んになり。
故に、冬暖かに、雷なりて、陽氣動き漏れれば、来春の発生の氣弱く、秋穀の実りも薄し。
人、夜半の後、寝ざれば、血氣鎮まらずして、明日力弱し、人心も、静かなる時に養いて、動く時の本とすべし。
心静かならず、動き騒げば、業を勤めるに力なく、迷いて、誤り多し。

十八
 劉行簡が曰く、天下の事、下人心に合い、上天意に合い、中大道に合う。
惟、一言あり。
曰く、公のみ。
公とは、私無きを云う。
私とは、ひたすら我が身を利せん事を好みて、人の為を顧みざるを云う。
是れ、人我を隔てるなり。
公とは、人我の隔てなく、我と人と、ともに同じく利するを云うなり。
公にして私なければ、道理に適い、天意に適い、人心に適う。
故に、其の心の誠自らあらわれて、人の誉れも喜びも厚く、人の疑い憎む事無く、求めずして、天道の恵みも、人の愛敬もこれあり。
また、一言にして、上天道に乖き、下人心に違い、中大道に適わざる事あり。
私の一字なり。
たとえ、天下に聞えるほどの善事を行うとも、心に私あらば、誠の道にあらず。
およそ、私を行いて、たとえ、一旦利を得て、災い無くとも、天の怒り、人の恨み憎み、身に報いて、必ず、災いに遭い、身恥しめられ、名を汚す。
天道は、誠に畏るべきかな。
是れ、唯、道理を知らざるのみならず、愚かにして、わが身の損得をも知らず、私を行いて、福禄を得、身を立てんと思えど、かえりて、災いに遭い、身を亡すは、我が身の損得をも知らざるなり、至て、愚かなりというべし。

十九
 人の心の内、道徳の至りて尊く、至りて楽しむべき理あり。
君子は、これを知りて尊び楽しみて、外に求めず。
小人は、これを知らず。
徳を害い、道を失いて、これを尊び楽しまず。
ただ、俗楽の賤しき業をのみ楽しみとし、利欲を専らとし、長く憂い苦しみて、楽しみを失う。
人となる者は、此の楽しみを知るを貴しとす。
是れを知らずんば、人となれるかい、無かるべし。
此の楽しみを知らんとならば、誠の学問をよく勤めて、其の理を知るべし。

二十
 後悔は、前に懲りて、後の誤りを戒める益あれば、誠にこれ善事なり、されば賈誼も、前事を忘れざるは、後事の師なり、と云り。
然れども、永く心の内にとどめて、苦しめば、滞りて、必ず、心の病となり、和楽を破る。
一旦戒めて後、其の事を捨て、重ねて、しばしば後悔して、心を苦しむべからず。
ただ、後日を戒めて、かかる誤り無からん事を思うべし。

二十一
 人の心の内は、常に恭敬・和楽なるべし。
恭敬は、愼み敬うなり。
恭敬ならざれば、心恣にして、悪しき方に流れて、禮の本たらず。
和樂は、和らぎ楽しむなり。
和樂ならざれば、心憂い苦しみ、道理に従わずして、楽しみの本たたず。
此の二は、車の両輪、鳥の両翼の如し。
並び行われて、乖かざるべし。
いかなる悪しき俗人に交わるとも、流れて恭敬を失うべからず。
いかなる不幸なる事に遭うとも、心を苦しめて、和樂を失うべからず。
禮経に、禮樂は、しばらくも身を離るべからずと云り。

二十二
 富貴を極むと云うとも、人欲だにあれば、其の願い尽きる事なくて、貧賤にして慾、少きに劣るべし。
理義の楽しみは、位なくして貴く、祿無くして富めり。
其の楽しみ極まり無し。
いかんとなれば、内に楽しみありて、外に願いなけばなり。

二十三
 我が愚を知らず、我が誤りを知らずして、自ら是とし、自ら知とすると、吾が芸能の拙きを知らずして、自ら誇る事は、皆、心明かならざる故なり。
人を知るは、誠に難し。
人の胸中に、善悪かくれて見えざればなり。
わが心中にある善悪は、わが身の事なれば、知り易かるべくして、却って、人を知るよりも難し。
いかんとならば、我が身に私して、其の悪しきを知らざればなり。
故に、古語に曰く、人を知る之を知と謂、自ら知る之を明と謂。
人を知るは、誠に難しといえど、我が身を知るは、人を知るよりもかたければ、是れを明と云う。
明は、知より猶、優れり。
吾が心明らかなれば、我が身の悪しきを知る者なり。
故に、我が身に自慢して、人に誇る者は、其の心昧き故、わが悪しきを知らざるなり。

二十四
 言を聞きて信ぜざるは、聞く事明かならざるなり、と易に云り。
人の善言と諌めを聞きながら、其の言を信ぜず、唯、益も無き仇事のように思うは、其の心昧くして、善言を聞きわけざればなり。
心明らかなれば、能く其の言の道理ある事を聞きわけて信ず。
又、世俗の、才辨ありて言巧なる者の言う事は、理も無き事を聞いて信じる。
其の言、貌ふつつかなれば、其の言に道理あれども信ぜず。
是れ、聞く人の昧き故なり。

二十五
 わが身の飲食・色欲・財利などの慾に克つには、譬えば、強敵に対して、我が十分の力を尽くして、防ぎ戦うが如くすべし。
此の如くせざれば、私慾に克ち難し。
是れ、欲に克つ良法なり。
もし、少しも弱げなれば、欲に克ち難く、ついに、欲克ちて、防ぎ難し。
人欲は、人のため大敵なり、油断すべからず。
いかにもして、克つべし。

二十六
 人の過ちは、氣質の偏なる所より起こる。
我が氣質の悪しきを変ずる道は、己が過ぎたるを抑えて、足らざる所を努むべし。
強過ぎたる人は、柔和なるべし。
弱き人は、努めて励むべし。
早過ぎたる人は、緩やかなるべし。
鈍き人は、努めて鋭く行うべし。
其の余も、皆、此の如くすべし。
むかし、西門豹といいし人は、性急なり。
常に、韋をおびて、戒めとす。
韋は、柔軟なる物なり。
董安于といいし人は、生まれつき緩し。
常に弓の弦を帯て、戒めとす。
弦は、急なる物なり。
かように我が悪しきを改めるに志あらば、いかに偏性なりとも、などか氣質を変ぜざるべき。
学問は、氣質の悪しき所を知りて、克つを要とす。
是れ、誤りを少なくする道なり。
此の如くならざれば、学問の益なし。

二十七
 事、急にして多しと雖も、心は、急しく忙がわしかるべからず。
心迫り忙がわしければ、和楽を失いて、心を苦しめるのみならず、思案も詳らかならずして、誤り多し。

二十八
 君子は、人を責める心、常に少なく、己を責める心、常に多し。
人を恨み憎む心、常に少なく、人を宥し、堪忍する心、常に多し。
小人は、此の裏なり。
この故に、君子の心は、常に平和にして、楽しみ多し。
小人の心は、常に険しくて、憂い多し。

二十九
 萬の事、倩々思案して、後の誤り無く、悔なからん事を計るべし。
思案なくして、怒りと慾を去らざれば、後の禍となる。
是れ、智者の所業にあらず。
事を思案せずして、軽々しく行えば、必ず、誤りあり、後悔あり。
もし、急なる事あれば、殊更、よく思案して、詳に行うべし。
此の如くせば、後の誤りもなかるべし。
急ぎて、心騒がしく、静かならざれば、思案なくして、必ず誤りあり、悔あり。

三十
 怒りと慾とによりて、少しの間、少しの事を堪忍せずして、莫大の誤りとなり、一生の禍となる。
はては、身を失うに至る事あり、愼むべし。
少しの間、愼まずして、禍に至るは、至て愚かなり。

三十一
 人の身の禍ある事、多くは、私慾より起こる。
私慾を恣にせざれば、禍なし。
およそ人の禍は、思わざるに、不幸にして、天より偶然降るは、稀なり。
もし、あれども、事によって遁れ易し。
私慾を行い、罪を犯して、自らなせる禍は、天より降る禍より多くして、遁れ難し。
それ、わが身を利せんとすれば、必ず人に妨げあり。
人を妨げたる酬は、必ず我が身の害となる。
人を妨げて、たとえ一旦、幸にして、利を得、人の責めを遁れると雖も、必ず、天の責め身に酬て、禍来たる。
凡そ、科を犯して、公に罪せられるは、目に見えて明らかなり。
天の責めは、目に見えずして、いつとなく降れる故、人知らず。
其の禍来たれば、唯、不意にふり来るように思うは、僻事なり。

三十二
 利を求めれば、必ず、害あり。
福を求めれば、必ず、禍あり。
故に、韓詩外傳に曰く、利は害の本、福は禍の先とす。
求めざるに、自然に福来るはよし。
われより求むべからず。
我より求めたる福は、必ず、禍となる。
唯、我が身を愼み、分を安んじ、わが職分を務め、天命に任すべし。
利とは、財利のみにあらず。
一切、わが身の為に便よき事は、皆、利なり。
我が為に便よき事を計れば、皆、人に害あり。
故に、わが利は、人の害なり。
人の害は、又、わが害となる。
譬えば、環の端なくして、廻りて又還るが如し。
よく、此の理を知りて、利を貪るべからず。

三十三
 子曰く、人之己を知ら不を患不 人を知ら不を患也。
人の吾を知らざるは、人の愚かなるなり。
わが咎にあらず。
憂とすべからず。
人の善悪を知らざるは、愚かなるなり。
自ら恥ずべし。
又、我が善事を、人に知られんと求めるは、小人の心なり。
賤むべし。

三十四
 人の過ちを誹り、不善あるを、甚だしく責め恥ずかしむべからず。
必ず、人の恨みとなる。
或いは、科ある人を打ち叩きて、一旦心に快くすと雖も、其の人、もし、堪忍せずして酬わば、大なる禍となる。
怒りを抑えて、後の禍をよく考え、わが心に、十分快きを求むべからず。
賤しき下部に対しても、此の心遣いあるべし。

三十五
 慾少なくして、わが身の足る事を知る者は、分限を安んじて、貧賤にしても、亦、楽しむ。
楽しむ者は、常に慊る。
慾多くして、足りる事を知らざる者は、富貴にしても、分限を知らずして、慊らず。
慊らざる者は、楽しむ事を知らずして、外に求めて止まず。
ついに、禍となる事、亦、多し。

三十六
 抱朴子といえる書に、玄蟬潔饑、蜣蜋の穢飽を羨不といえり。
言う意は、蝉は、清き露を飲み、飢えて腹空しけれど、蜣蜋の糞土を食いて、常に飽きるを羨まずとなり。
しかれば、廉潔にして貧賤ならんは、不義にして富貴なるに勝れり、不義の富貴、羨むべからず。
世に諂い、人を貪りて、富を得るは、楽しむべき理にあらず。
貧賤なるは、却って、富貴にまさる道理もあり。
よく思いて知るべし。

三十七
 萬の事、正あり、中あり。
正とは、横邪ならざるを云う。
是れ、善なり。
中とは、過不及なくして、よき程なるを云う。
是れ、至善なり。
のど渇く時、湯水を呑み、飢えて食するは、是れ、正なり。
横邪にはあらず。
渇くとて、飲み過ごし、飢えたるとて、喰い過ぎるは、中にあらず。
よき程に飲み喰うは、中なり。
是れを以て、萬事を推して知るべし。
正なれども、中ならざれば、至善ならず。
凡そ、萬のわざ、過不及なく、よき程なるは、中なり。
是れ即ち道のある所なり。
過不及ありて、よき程ならざれば、善事なりとても、道に適わず。

三十八
 我が身に才ありとても、誇るべからず。
才に誇れば、必ず、誤る。
其の上、人心信服せず。
小才ありとても、聖賢の書をあまねく読まず。
歴代の史に博く通ぜずんば、古今天下の是非を辨え難し。
経書に昧くして、道を知らず。
古今に通ぜずして、故き跡を考えず、小才を恃み、あながちに世の道理を分たんとすれば、誤り多し。
譬えば、星なき量りを以て、物の軽重を計り、曇れる鏡を以て、物の妍蚩を分たんとするが如し。
唯、へりくだりて、人に向い、古を考えて、義理を明らむべりし。
愚かなる我が心を以て、人を誉め誹り、僅なる才を楽しみて、自ら是非を決すべからず。

三十九
 人生、此の日の再び得がたき事を知りて、時々、其の事を努めて、怠らず。
日々、此の生を楽しみて憂えず。
よく努め、よく楽しむ人は、一日を以て一月とし、一年を以て十年とし、十年を以て百年とす。
勤めと楽しみとを以て、身を終わる。
智者の仕業、此の如し。
勤めと楽しみを知らざる人は、たとえ、百歳の長寿を保つとも、常に怠りて、一生の間、何のなし出せる善事なし。
是れ、努めざればなり。
常に、憂い苦しみ多し。
是れ、楽しまざればなり。
此の如くなれば、人と成れるかい無し。
生きるばかりを思い出にす。
生を得たりと言い難し。
飲食・聲色を楽しむと雖も、欲多く節なくして、却りて、身を害い、楽しみ未だ尽きざる内に、憂い早く来る。
愚者の仕業、此の如し。
禮記に、君子は道を得る事を楽しみ、小人は欲を得る事を楽しむ。
道を以て欲を制すれば、楽しみて迷わず。
欲を以て道を失えば、迷いて楽しまずと云り。
君子は、常に楽しみて、日を送り、小人は、常に憂いて、日を送る。
衰老の身は、殊に、余日少なければ、一日を以て一月とし、一月を以て一年とする工夫を成すべし。
一日一時も楽しまずして、仇に時日を送るは、愚かなりと云うべし。

四十
 楽しみは、人の心に生まれつきたる天機にして、本、自からこれ有り。
されども、私慾あれば、耳目口體の欲に損なわれ、喜怒哀懼の情に蔽われて、此の楽しみを失う。
君子は、情慾に破られずして、常に、此の楽しみを失わず。
いかなる患難の事に遭いても、此の天然自有の楽しみを改めず。
又、風花雪月の外境に触れれば、心の内にある本然の楽しみ、外物と相和して、彌楽しむ。
是れ、外物を以て、はじめて楽しみとするにはあらず。
外物来りて、本然の楽しみを助けるなり。
天地の道、陰陽の変化、四時のめぐりは、常に和氣あり。
是れ、天地の楽しみなり。
此の楽しみ、ただ人にあるのみにあらず。
鳶の飛び、魚の躍るも、凡そ、禽獣の囀り鳴くも、草木の栄え、花咲き實のるも、みな是れ、天機の発生する所、萬物自然の楽しみなり。
これを以て、人の心に、もとより楽しみある事を知るべし。
もし欲に引かれて、此の楽しみを失うは、天地の道に乖けり。
いかなる横逆に遭い、不幸に遭うとも、常に、此の楽しみを失うべからず。
聖人、動もすれば、此の楽しみを説き給う。
此の楽しみの、人に切なる事を知るべし。
仲尼顔子の楽しみは、我輩愚者の知るべき事にあらず。
ただ、愚人にも、各々生まれつきたる楽しみ有る事を知りて、楽しみを失わざる工夫あるべし。
我も人も、人慾盛なれば、此の楽しみを知らず。
楽しみと欲と両立せず。
楽しめば欲無し。
欲あれば楽しみ無し。
此の理をよく思いて、辨え知るべし。
楽しみは、常人の事にあらずと言うべからず。

四十一
 心は天君にて、身の主なり。
つねに、楽しましむべし、苦しむべからず。
わが身、貧賤にして、或いは、不意の禍ありとも、これ、天命なれば、憂うべからず。
楽しみを失うべからず。
又、人の我に悪しきをば、忍びて宥すべし、憂うべからず。
此の如くすれば、心の苦しみなく、楽しみ多し。
身の貧しきを憂い、又、妄りに人を怒り憎みて、わが心を苦しめ損なうべからず。
人の無禮にして、我を犯し侮るとも、愚かなる故と思い、怒り憎むべからず。
子弟の輩、我に疎略なりとも、道を知らざる故と思い、怒るべからず。
心を苦しめて益なし。
下部などは、事に、慣わし悪しければ、愚かにして諭し難し。
其の悪しきを、戒め教えるは良し。
怒り責めて、詞と色とを烈しくすべからず。
我が心の和樂を破り、人の恨みをとる。
言と顔色と烈しからざれども、わが行い正しく、言に戯れなければ、人自ら恐れて、侮らず。

四十二
 心に主なければ、事を務める時、早過ぎて騒がしく、又、遅過ぎて怠りとなり、或いは、事に先立ちて過ち、或いは、事に遅れて間に合わず。
主あれば、心常に定りて、遅速なく、良き程なる故、過ち少なし。

四十三
 徐孝節という人、幼少より、物を殺す事を戒め、蟻の集まり居る処をも、踏み殺さん事を恐れ、よけて道を行けり。
其の心、善なりと云うべし。
此の心を推し広めて、先づ、父母・兄弟を愛し、人倫に及ぼし、次に、萬物に及ぼさば、仁愛の道、廣く行わるべし。
善心を推しひろめる工夫、常に、此の如くすべし。
夫れ、生す事を好み、殺す事を憎むは、天の御心なり。
天の物を憐れみ給える御心を受けて、人の心とする所、即ち、仁なり。
不仁の人は、人を恵み、物を憐れむに心無くして、殺す事を好む。
此の如く不仁ならば、他の才多しと雖も、天道に乖き、人道缺けて、見るに足らず。

四十四
 利は、天地より生じて、天下の人に与え養い給う理なれば、天下の公物なり。
我一人の私物にすべからず。
人と共に、同じく利を得れば、人々、各々、其の所を得て害なし。
身に私して、我一人、利を得んとすれば、争い出で来て、却って、我が身の害となる。
義を行いて、自ら来る利は、眞の利なり。
わが益となる。
貪り求める利は、眞の利にあらず。
必ず、身の禍となる。
是れ、利を求めるには非らず、害を求めるなり。

四十五
 一指、目を掩ば、太山も見不と、古語に云り。
人の心は、素明かなる物なりと雖も、私欲の蓋い有りて、心體を塞げば、昧くして道理に通ぜず。
故に、心を明かにして、是非に迷わざらん事を思わば、私欲を去るべし、欲去れば、心明らかなり。
本心日月の如し、食欲之を嗜して既。と山谷が詩にも見えたり。

四十六
 古より、無道の人、其の悪行、誠に、一事に止まらず、其の品多し。
されども、其の内、人の諌めを防ぎ怒るより大なる悪無し、と古人云り。
唐、大和、昔より、人の行い悪しくして、身を喪い、家を滅ぼすも、皆、諌めを防ぐより起これり。
深く戒むべし。

四十七
 世に居るには、人を憎み責める心軽かるべし。
重くすべからず。
いかんとなれば、凡その人、書を読み、古を学ぶとも、道に乖く人多し。
況んや、学ばざれば、世の道理の、善きも悪しきも知らず。
知らずしてなせる僻事なれば、憎むべからず、憐むべし。
頑なるを怒り憎む事なかれ、と尚書に見えたり。

四十八
 我が身すら、我が心に適わず、自らせじと思いし事をも、誤りてする事多し。
況や、人のわざ、我が思う如くなるべきよう無し。
其の上、人心の同じからざる事、其の面の如し。
人の我が心に適はざるを恨むべからず。

四十九
 人の心は、時により変わり易し。
人の心も、我が心も、皆、恃むべからず。
是れ、後悔無き道なり。

五十
 楽しみを知る人は、天を恨まず、人を咎めず、世に求め無くして、其の分を安んず。
楽しみを知らざる者は、是れに反す。

五十一
 人倫に交わり、萬事を行うに、心平かに、氣和して、静かなるべし。
静かならざれば、氣、騒がしく荒くして、道理明かならず。
道を行う事、難し。
故に、先づ、心氣を治め、和平にして静かなるべし。
血氣盛んなる時は、氣逆上りて、心も共に定まらず。
譬えば、氣の上る病あれば、心氣、収まらず、酒に酔いたる時は、氣上りて心乱れる。
家を新たに作りて、棟木・杈首・梁・柱など、いまだ落ち着かざる時、大風に遭えば、倒れ易し。
材木、折り合いて後は、大風吹きても、倒れ難し。
人も血氣治まざれば、人に対するにも、心定かならず。
浮氣にて落ち着かざれば、言も行いも、理に當らず。
戦場にて、敵と戦うにも、氣上りて心静かならざれば、動き騒ぎて、敵に勝ち難く、退き易し。
文字を書くにも、字毎に、其の所に落ち着きて、豊かに見えるは、能書なり。
文字、落ち着かざるは、悪筆なり。
萬の事、皆、氣の下に降り合いて、静かなる時ならでは、道理に適い難し。

五十二
 心氣和平にして、人を咎めず。
我が身にかえり求め、己を責めれば、身修まりて、楽しみ多し。
此の工夫、甚だ益あり。
常に、これを以て、我が心を修むべし。
もし、此の工夫を忘れれば、必ず、道を失い、楽しみを失う。
古語に曰く、君子は己に求む、小人は人に求むと云り。

五十三
 心の器物、狭き人は、わが智一つを用いて、萬の事に通ずと思い、人の智を用いず。
古語に、自ら用いれば、小なりと云り。
我が智一つ恃みて、人の智を用いざれば、世間の萬事、我が一人にて知り難し。
知らざる事、多ければ、小智と云うべし。
心の器物の廣き人は、わが一人の智を用いず、廣く人に問いて聞き、其の良きを取り用いる故、諸人の知を合わせて、わが智とす。
是れ、大知とすべし。
凡そ、人は、各々、得たる所あり、慣れたる事あり。
十人には、十人の知あり。
百人には、百人の知あり。
各々、其の人の長所を取り、用いるべし。
ようするに、才ある人も、天下・古今、もろもろの事、われ一人の知にては、知り難し。
一人の知は、限り有り。
衆人の知は、極まり無しと云り。

五十四
 天命は、天の降す所、人の受ける所なり。
命は、猶、令の如しとて、下知の意なり。
天より下だる故に、天命という。
天命に、常あり変あり。
善を行えば福あり。
悪をすれば禍あるは、常なり。
善人に禍あり、悪人に福あるは、変なり。
人の吉凶、禍福、寿夭、富貴、貧賤、萬の幸不幸、皆、天の命ずる所なり。
人間の萬事、天命にあらざる事無し、或いは、生まれつきて定まり、或いは、時により、不慮に命下りて、偶然として、福に遭い、禍に遭う。
求めても、命無ければ得難く、求めざれとも、命あれば得易し。
唯、人の法を行いて、天命を待つべし。
善を行いて、福来るは、常の理なれども、もし、禍あるは、是れ亦、天命の変なれば、憂うべからず。
凡そ、人、天命を知りて、命に任せ、憂い無き工夫を為すべし。
天命を知らざれば、命の定り有りて、福の求め難く、禍の去り難き事を知らず。
利に就き、害を避けんとし、人に諂い、神に諂うは見苦し、愚かなりと云うべし。
故に論語に、命を知不を以て、君子と為は無し也、と云り。

五十五
 人の心、平生無事なる時、常に楽しみ多ければ、いかなる禍、出で来ても、苦しまず。
譬えば、富める人は、凶年に遭いても飢えず、血氣に強き人は、烈しき寒暑に中ても感ぜざるが如し。

五十六
 もし、無事なる時、楽しみ無ければ、俄に、事出来、禍来る時、憂い苦しみ、心を動かし、乱して取り失う。
常の時、よく工夫して、心を養いて、楽しみを深くすべし。
心は、天君なり。
常に、楽しましむべし。
外事に煩わされれて、苦しむべからず。

五十七
 不意なる禍に遭いて、すべき用無くとも、心を苦しめて、楽しみを失うべからず。
心静かに思慮すれば、其の禍を免れる慮りも出来る事あり。
行きづまり、心忙しかるべからず。
心廣くして、よく思いを延ぶべし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?