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樂訓 巻之中 節序


 一年の内、天地の道、常にめぐり、四時に行われて、萬古よりこのかた止まず。
其の間、霞たつより雪の積もれるまで、其の氣色、折々に異なり。
又、朝夕の景色日々に異なれる、変態窮まりなき眺めなり。
天に在りて象をなされるは、日月の輝き、風雨の潤い、霜雪の清らかなる、雲烟のたなびけるは、天の文なり。
地に在りて形をなせるは、山河のそばたち流れ、江海の深く廣き、鳥獣の鳴き動き、草木の生茂れるは、地の文なり。
此の如く、天地の内、四時の行われ、百物のなれる有様、目の前にみちみちて、人の見る事を喜ばしめ、心を感ぜしむる事、大なる楽しみなるかな。
これを楽しまん人は、眼力を以て境界とし、四時を以て良辰として、其の楽しみ何ぞ、唯、人間三公の貴き萬戸候の富に比べんや。
よく心を留めて翫ばん人は、其の楽しみ極まり無かるべし。


 いやはや、天地の内にみちたる四時の氣色の、極まりなき楽しみを言わん。
春はまず、一夜の程にあらたまの年立ちかえる朝の空の光、心づからにや、舊年にかわりて長閑けし。
睦月は事たつとて、貧しき家にも、春盤などいうものをまうく。
又、かわらけとりいで、おおみきすすめて、先づ、つとめて父母に寿きし、次に自ら祝し、賓客にも、もてなす様など、常にかわりて、いとなんいみじう珍かなり。
時は今は、四の始めなれば、そらの氣色ようよう引きかえ、こち風ゆるく吹きて、氷とけ、遠き山辺に霞の薄くたなびける、様々に物けざやかに見えて、冬の空に立ちかわれる粧、まず、春の来れるしるしあらわなり。
かきねがくれに、冬より残れる雪の、ところどころは、誰に見ゆるも、去年の名残おしむべし。
まちわびし梅の匂い、百花に先立ち、春の生息を得て喜ぶべし。
谷をいで、高きにうつる鶯の、春を迎えて物わかき聲、はつ春の初音の今日にあえる、耳とまりてこほしく、花ならで身にしむものならし。
花をめで、鳥をうらやむは、是れ先づ春のたまものなり。
是れをはじめとして、猶、行く先遥かに榮える春の豊かなる惠たのもし。
千年を経べきみどりの松も、今一入の色をまして、常に見なれしも、彌めずらしくなづさわれぬ。
韓文公が、最も是れ一年春好き処と云りしは、早春の景色、一年の内にて、事に珍かに優れたる故なるべし。
きさらぎの程より、よろず皆、冬の心盡きて、空の色うららかに、景色だちて、四方山も霞こめたる装い、事に曙の景色、譬うべき物なく、あわれむべし。
古の人、春は曙と云いけんも、むべなるかな。
日の光やぶしわかねはわ、かずならぬ垣ねの内も、冬にかわりて輝きいで、草木おいて、皆、顔色を生じ、花まち顔になごやかなる氣配嬉し。
日影もようやく長閑になりもて行けば、人のわざも舊年より暇あきありて、忙わしからず。
日ながくして少年の如く、心閑かに豊けし。
海の面、日和よく、うら山も麗らかに霞渡りたる景色、いと、遥けし。
夕つけて日は既に入りぬれど、残れる光、猶、久しきは、日の長きしるしなるべし。
此の比は、陽氣ののぼるけにや、童ども紙鳶というの造り、長き絲つけ、風にまかせて放てば、高く上がり、雲の上まで遥けくたなびくを戯れとすれば、おいみいわけみ、空をあおぎ見るもおかし。
野には又、陽烟と云うもの、霞の如く、地より立ちのぼれり。
又、陽炎とも云う。
荘周は之を野馬と云う。
老杜が詩に、落花遊絲白日静かなりと云るも、是れならし。
是れ皆、常には無き物なるが、春めきて、いと、珍し。
又、垣根の草、早く萌え出づるを見るにつけても、春の氣は下より登るけじめ、いと明けし。
花もようよう咲き続きて、梅花すでにうつろいて後の新なるは、我が國ならぬ唐桃の花なるべし。
桃紅なるはたなびく雲の面影のたつ心地す。
季白きは、きえがての雪の、梢に残れるかと見えていと麗し。
櫻のほころび出でたるこそ、花に心は無けれど、人の心を動かして、えならぬ眺めなれ。
是れ我が日の本にて、四時の花の多き中にも、第一の見ものなれば、梅ちりて後、この比の異花は、皆けおされぬ。
されども日頃待たせ待たせて、ようよう咲けるが、あくまで見る程もなく、疾く散るは、又、うらめし。
  よしさらば散るまでも見じ山櫻、花のさかりを面影にして。
と、古の人の読みけんも、後の思い出にせんとにや、情け深し。
此の折りから、春雨のしきしきふれば、我が宿の園の櫻は、如何に有らんと、うしろめたし。
柳緑に花紅にして、春の色を描き出せるは、いと麗しき眺めなり。
春ようよう深くなれば、風和らに、日暖かに、百草芳をあらそい、群花艶を競う折りなれば、いずれの処か春の無からんや。
かかる景色にふれては、人の心も浮き立ちて、思うどちかい連ね、春を尋ねてあこがれありき、ひねもす花を眺め暮らすこそ、目を恣にし、心を快くするわざなれ。
世の中の、いみじく嬉しき事の、あるが中なる其の一つなるべし。
我が心の楽しみを知らざる人は、無賴の少年の、閑をぬすみて、そぞろに行樂するに似たりと思うべし。
芳草雨後に秀で、好花風裏にむなしきも、此のおりなり。
杜が詩に、鶯の歌暖かにして、正にしげしと云い、陳希夷が野花啼鳥一般の春と詠せじも、皆、此の時なり。
花の夕映えを、すこし醉にのりて見るも、事に色まされる心地ぞすなる。
花に坐し月に醉いて、二つながら兼ねたる楽しみ、春宵一刻値千金、花に清らかな香り有り、月に陰あり、という詩を思い出でられぬ。
また、花を惜しみて春くる事早く、月を愛て夜遅く眠る如しといえり。
古人はかくこそ、月花をめでしに、今の人の、あたら夜の月と花とにそむきて、空しく臥すは、いと惜しむべし。
又、夜の間の風の後ろめたきをも知らず、朝起きる事遅きは、花を惜しまざるなり。
此の比、夕暮れは、遠き山邊の焼けぬるも、目立つべき見ものなり。
されば春入焼痕青と云う。
又、野火焼不盡き、春風吹いて後生ずといえるも、やけ野の草を詠ぜしなり。
古詩に、地塘春草生ずといえりしは、此の比の眼前の景色を、唯、ありのままに云えるなるべし。
いやよいも半ばなる比、八重山吹の風にひるがえるは、井手のわたりも見る心地して、賑やかにしけれは、めかれせず眺めがちなり。
春の花の多かる中に、唯、山茶のみ異花にかわり、さかり久し。
殊更列をなして植えたるつらつらつばき、つらつらに見れどもあかず。
階のもとの薔薇も、夏を待顔なり。
すべて春は、草木の花先き立ちおくれて、いやをちにいどましく、遅く迅く咲き続き、酴釄にいたりて、花の事終わりぬるは、名残おしと見ゆ。
春の花は、いすれとなく開け出づる色、事に目おどろかれぬるに、心短くて早く散りぬるは、うらめし。
九十の春光はいとながけれど、何くれと紛らわしく、風雨も亦、しげければ、為す事なく、儚く過ぎて、止めあへぬ春のかぎりの、けふの日の夕暮れにさえなりぬ。
落花寂々たる黄昏の時は、春の名残いと、惜しむべし。
蘇子瞻が、青雲還一夢といえる、むべなるかな。
吾がともがら、浮世のちりも、吾が心のきたなきも、花見るほどは、忘られしに、今より後は如何せん。
かかる折りにふれては、殊更時の早く過ぎて、失い易き事、思い知られぬ。
老いぬれば、今幾年か花もあい見んと思えば、春の惜しさはいやまさりぬ。
いとせめて、樽酒余春を楽しみて、この憂いを忘れるべし。
すべて春の景色は、一年の内、優れていと艶なり。
其の麗しき有様、言い尽くすべきもあらぬれば、かかる拙き詞には、この片端だにかたはらいたし。
雨風に花は跡なくなり果てて、空しき枝をのみ形身と見ぬれど、猶、春の色は、空に残りて、面影去らぬも、情け深し。
藤は又、春にひとり立ち遅れ、夏に咲きかかりて、傍らに並ぶ花なければにや、一重に興ある様に見えて、春に別れし物思いも、少し忘られる心地ぞし侍る。


 惜しめども止まらぬ春、既に去りぬれば、呼ばぬに来る夏衣のうら珍しく、今めかしう改まれる比おい、大かたの空の景色、心地よげなるに、青葉の木ずえ若やかに、物ごとに春に立ちかわりて、又、世異なる有様なるも、いとなんめでたき。
緑陰晝寂を生ずれども、わびしからず。
閑談にふける人は、繁花にも優れりとす。
折りまち得たる杜鵑の初音、先づ、懐かしくて、鶯のなく音、すでに老いにたるに、代われる心地ぞすなる。
もろこし人は、杜鵑の聲聞く事を悪めども、我が日の本にては、昔よりこれをあわれみて、歌にも多く読めり。
夜もすがら、空もとどろに鳴きわたれども、聞く人みなあなかまとは、思わず。
多からぬ所は、今一聲だに聞かまほし。
又、鳴き行く方の人も待ちなんと思えば、過ぎ行くも、更にうらむべからず。
卯の花の、垣根のの雪にまがえるも、ひとり此の月の名をおいて、美を専らにすと云うべし。
凡そ卯月の景色は、清く和らかにして、空晴れ、雨久しくふらず、余寒盡き、日、彌永くして、暇多ければ、出て遊ぶによし。
朝まだき起きて、園をうかがうにも、風暖かにして、なやみなければ、日々にわたりて、見所多く、草も木も皆、緑の色をあらわして、各々其の趣きをなせるは、天地の惠を受けしまにまに、生きる類より更に私無くして、いぶかしみ無くなづさわれぬ。
韓渥が詩に、四時最も好きは、是れ三月といえる、誠に然り。
されど年たかくなりぬれば、暑さ寒さをわびて、一とせの内いと心にかなえる時は、卯月にしくは無し。
さればにや、明の李夢陽が、四時の景初夏にしくは、無しといえるも、先輩にかわりていみじく、むべなるかな。
卯月はかく空晴れやかなれど、やがて五月になりぬれば、大空の景色、さいつ頃に引きかえて、さみだれ久しく続き、折々は、なるかみ、おどろおどろしくして、降らぬ時だに雲らわしく、物のあやめも知らず、園をうかがうべき隙まれにして、常にたれこめて日数を経るもわびし。


 夏もようよう深くなりぬれば、木として繁らざるはなく、草として榮えざるはなく、日々に物を引き延ぶるように見えて、ひたすらに緑の色深き夏木立ちこそ、花にもおさおさ劣るまじけれ、春の花は、所々に咲きて稀なり。
夏は、山も里も、あるとしある草木ごとに打ちはえて、皆、緑の色なれば、春に異なる眺めなり。
八千草に植集めてなづさいし前栽の草木ども、雨をおびて、各々其の梢をあらわし、所得顔に、心にまかせて生茂れるも、うれしと見ゆ。
昔おぼえる花たち花の香れる夜は、追い風もいとなつかし。
早苗とる比、田家は雨を待ち得て、忙しく賑わし。
此のころ遣水のほとりに飛ぶ蛍の、音もせですだくを見れば、鳴く蟲よりいとあわれむべし。
夏山の景色、青みわたりたる高き峯、大空につらなりて、雲の外にそびえたるを、あくまで見るこそ、殊にすぐれて、心を快くする眺めなれ、白楽天が、眼を放にして青山を見るといえるが如し。


 みな月の比になりぬれば、端居の風したしく、わらうだ敷きて居るも心よし。
池の心深く、蓮葉の濁りにしまずして、花ならで、夕風に匂いわたるだにも、異草にすぐれたり。
事に花の笑の唇ひらけたるは、所せきまで薫りみちて、世に似たるものなく清らかなり。
涼を逐って木陰にやすらい、木々の下風のなつかしきに、清き泉をむすび、夏を忘れる心地するも、いさぎよし。
光明けき夜半の月を、清き水に宿して見るは更なり、遣水の音など聞くも、いみじう心ゆくばかりなり。
日ごろえて、暑さたえがたきに、夕立のしぐれわたりて、名残りすずしきも、いと心よし。
清少納言は、夏は夜といいつれど、夕べは蚊と云う蟲人をさして、年老いては、殊更いみじうたえがたければ、唯、このねぬる朝けの風の涼しきこそ、清くして心にかない侍りつれ。


 志士は、日の短きを惜しむと、傳玄いえり。
然れば、人は皆、炎熱を苦しみ、我は夏の日の長きを愛すと柳公権がいえるも、むべなるかな。
暮れがたき夏の日は、もの学び、わざを勤める人のために、誠に愛すべし。
されども、炎暑のさかんなる時は、萬國紅爐の中にある如く、すずろに汗あゆるばかりにて、身の力弱りて、いと堪えがたければ、夏の過ぎ行くは、春秋の盡きる日、冬の終わりなど、名残惜しむには変わりて、みな月祓する比になれば、心よし。
唯、年の半すでに過ぎ行くこそ、いと惜しむべけれ。


 秋来ぬれば、はつ風涼しくうち吹きて、草木のそよぎ、秋の聲の、何処にも打ちなびきて聞こえるこそ、はつ春の風にかわり、心をいたましめ、身に沁みて、金氣の至れるしるべとおぼゆれ。
きりぎりすの、きざはしのもとにすだくも、折知り顔に聞こえさす。
阮籍が懷を詠ぜし詩に、開秋兆涼氣、蟋蟀鳴床帷と云いしも、此の比の景氣をいえるなり。
大暑ようやく退き、新涼すでに来たりぬれば、あたかも酷吏の去りて、故人のここに来れる心地ぞすなる。
この比は、人の形氣力を得て、燈も親しくなりぬれば、古き書どもまきのぶるに、時を得て、萬の楽しみにまさり、こよなう面白し。
萩のうは風、萩の下つゆ、さまざまの蟲の音、皆、秋のあわれを催して、身にしむ事かぎりなし。
門田の稲葉朝露にうるおい、夕の風おとづれてそよぐけしき、殊更早稲晩禾の先立ちおくれて、穂に出でたるありさま、皆、見るに堪えたる眺めなり。
秋の最中になりぬれば、一年を経て待ち得たる月明けきは、凡そあめつちの間に竝なきついで一つの見ものなれば、よろずのうるわしき景物は、皆、其の下なるべし。
この夕べ比の景にあえるそ、浮世の中の面白さもあわれさも、残らぬ折なれ。
年のはに、一とせの内、月ごとに上の弓張りより、居まちの比まで、空晴れぬれば、夜ごとに心を楽しましめ、目を悦ばしめる事、さらに数なし。
殊更、三秋の間、折々のいみじき光を、年ごとに心にまかせて見る事、誠に福多き此の世なり。
凡そ天が下の君は、八すみをしろしめして、天地は皆其の領し給える國の内なれど、賤しきわが輩まで、天つみ空に唯、一つかかれる月を、己がものとして、恣に仰ぎ見るも、いともかしこく、身にし余りて、いみじき幸なり。
宿わかず、賤しきちまたをも、同じく照らせる、いとめでたし。
年々に、月と花とをあくまで見るは、誠に思い出多きこの世なりと云うべし。
あたら夜の月なれば、同じくは、心知れらん人と共に見んこそ本意なれど、同じ心に見える人稀なれば、西行が、ひとりぞ月は見るべかりけるとよめるも、むべなり。
もろこしの人も、秋月は俗士と見るべからずといえり。
李白は、今人は古時の月を見ずといえれど、むかし世々の人の眺め来しも、此の月なれば、古人のかたみとなれるも、昔おぼえて忍ばし。
古今の人の世をさり行くは、流水の行きてかえらざるが如し。
唯、月の光のみ、古今かわる事なきこそ、こよなうめでたく貴ぶべけれ。
月の梧桐の上にいたり、風の楊柳の辺に来るは、心を洗い興をもよおして、えもいはぬ快き折ふしなり。
四時ともに思い出おおき此の世なれど、取りわき秋の月は、見ざらん後の世の光までも思いやられ侍る。
秋も半ばすぎ行けば、大空に、はつ雁がねのつらなりて鳴き渡るも、亦、珍し。
花は春とこそいえれど、秋もまた花多かめる。
殊更、野べにたてる秋草の、名も知らぬ花ども、多く草むらにひもとき、錦をさらすが如く見えれば、秋の野いとましめずらし。
秋の花の、久しき堪えて散りがてなるは、春の花の見る程もなくて、早く散りぬるにまされり。
凡そ花のいとけやけきは、春は梅、櫻、桃、李、海棠など、木々の花多きは、陽氣は先づ空にのぼれる故にや、秋は萩、女郎花、尾花、葛花、なでしこ、ふぢばかま、朝顔、此の七草の外、桔梗、りんどうなど、くさぐさの花猶も多かり。
秋は先づ陰氣下へくだれる故ならずや。
なでしこ、春は、唯一つ草とのみ見えれど、夏より咲きそめて、秋の色をあらわせるは、唐の大和の、いろいろの花ぞ咲くめる。
長月の比は、秋の花も過ぎ、紅葉もまだしき折りなるに、菊は百花に遅れて、一人晩節をたもち、霜にほこりて、操の色をあらわし、なべての花に、時を異にするのみにあらず、色、形ち、匂いともに、殊にすぐれてあてやかなれば、此の時もし花多くとも、わきてあわれむべきに、秋の末に一人盛りなれば、折りにあいて、いとめでたし。
元稹が菊を詠じて、不是花中偏愛菊、此の花開盡更無花といえりしは、菊をめでし心猶うすし。
此の花萬葉集にのらず。
古今集には詠じたれば、奈良の御時まで、いまだ唐より来たらざりし事、今さら古を思いやるにも、猶事たらず、恨み多し。
屈子が離に、梅を忘れし類なるべし。
老杜が海棠を詠ぜざりしは、禮にかなえれば、恨み無し。
菊は品たかくて、世はなれたる花なればにや、これを好む人、少なし。
牡丹は富貴なる物なれば、近俗のますます耽る事、むべなり。
歐陽子が、人の心は、其の好む事ろを以て知るべしといえる、げにさる事ぞかし。


 凡そ一とせの内、梅の咲きそめしより、菊にうつるまで、いく色の花の盛りにあいきつつ、なれて見しや、数知れず。
此れ、折々の楽しみも、亦、思い出少なからず。


 秋は陰氣のなれる初めなれば、空きよう澄みわたり、高くほがらかにして、月日の光明けく、四方にかえり見るに、茫々として廣く風いとはだ涼しく吹き、其の景色人の心にしみて、感ぜしむる事深し。
  春は唯、花の一重に咲くばかり、物のあわれは秋ぞまされる。
と読みしも、時にしたがいては、理にこそ聞ゆめれ。


 陳眉公が、世の人は、皆、秋の月をめでて、秋の日の妙なるを知らずといえり。
此の事、世の人も心づきなかりしに、先づ、我が心の同じく然る事を得て、げにもとぞ聞ゆめる。
心をつけて、秋の日の光草木にかがやき、いさぎよく妙なる事を知るべし。
未くだる程より、其の景色いやましなり。
殊に夕陽の西にかたむき、山に入り海に沈まんとするこそ、世に又類なく、えもいわぬ眺めなれ。
日と月は、大空に二つ懸け並べたる光なれば、萬物にすぐれたるは、むべなるかな。

十一
 秋は又、夕暮れの景色こそ、ただならず見ゆれ。
薄霧のまがきに立ちのぼるよそおい、風の音、蟲の音、いづれとなく人の心にしみて、春にも優り、あわれ深し。
秋は夕と、誰か言わざるべきや。
夜長ければ、暁のかね人を驚かし易く、寝覚めがちなり。
事さら老いの眠りは早くさめて、常に夜を残せば、いのねられぬままに、懐古の心残、夜に生じて、来したか行くすえの事、思い続けらる。
老いては、常に昔の事のみぞ忍ばしき。

十二
 もろこしの人は、一とせの内、事に春をめでて、ふみにも春を賞せし詞多し。
我が國の人は、昔より秋に心を染めける。
此の争い、古の我が國の人、ふみにも多くあらわせり、春秋の理、陰陽ことなれど、其の景色は、何れも優れてめでたければ、此の争いは、いみじき賢哲というも、わかちがたかるべし。
況や人の心同じからざる事、其の面の如くなれば、其の本性の好みにょって、春秋のおとりまさりありぬべし、我が輩の心は、時につけつつ移り行けば、いづれおさまりと定め難し。
花紅葉の散れるも、いづれまさりて惜しと云い難し。

十三
 長月の末になりぬれば、秋の花みな衰え、蟲の音も鳴きかれて、紅葉ようよう色づきぬれば、秋の暮れ行く物思うも亦ふかし。
秋は、唯、今日ばかりぞと眺めるも、名残いと惜しむべし。
春の盡きるに比べれば、草も木も、ようよう枯れはてて、行く末の景色まで思いやられて寂し。

十四
 冬も来ぬれば、今朝よりなれる埋み火のもと、ようよう立ちはなれ難し、露と霜とおきかわし、紅葉いろ濃く、木々のこずえ、浅茅が原も、冬枯れの景色となり、おもがわりするも、秋に事なる眺めなり。
神無月の液雨もすぎて、日あたたかなれば、すこし春ある心地す。
むべ此の月を小春とぞいえる。
されど一の日、ニの日、ようやくかさなれば、風氣いよいよはげしく、木の葉ふりて、山もあらわに見え、残れる松も峯にさびし。
春夏秋のえんなる景色、よそほしかりつる有様、皆、此の時に至て盡きぬれば、事の外にもかわれる空かなと、目おどろかれぬる。
日頃、雪いみじう降りて、いかめしゅう積りたる暁は、山も里も、ひたすら銀世界となりて、世かわり、景色異なるありさまなり。
冬ごもりせし梢の枯れたるも、ふたたび花咲けるが如し。
事さら冬の夜のすめる月に、雪の光りあいたる空こそ、見る人なく、ひとり身にしみて、あわれも深けれ。
空霽れて後まで、友待つばかり所々に消え残りたるはだれ雪も、いと心にくし。
かかる時、するわざなく、唯、袖くくみして、いららぎ居る人は、いとわびしげに見ゆ。
或いは、埋み火に向かい、文をまきひろげるを以てわざとする人は、楽しみ深くぞありぬべき。
凡その事、年に先立ちて早くはかるべし。
若き時つとめて文を読み習えば、かかる時もわびしかるまじ。

十五
 冬の末つ方にも至りぬれば、今年の日かず残りや少なく、暦の軸あらわれるばかりにて、春のとなり既に近し。
年の終るは惜しむべく、齢のかさなるはうれわしけれど、新しき年を迎えるは、珍しかにて喜ぶべし。
此の頃は、世の中の人何くれといそがわしく、せきあえず、おおくののじりて、走りまどうを、ひとり静かに見る人は、楽しむべし。
一年は、儚き夢の心地して、過ぎぬれば、あとをかえり見て、せちに名残惜しむべし。
老いの身は、月日もいとどたちやすく、なほどもなき一年なるを、数へ添えるもうらめし。
されど人の世をふるは、思わずも変多き事なるを、一年の内、禍いなくて過ぎぬる人は、また楽しからずや。
春秋の暮れ行くだに、名残惜しむべし。
まいて一年の終わりの今日の日の夕暮れになりぬるをや。
もろこしの人は、歳を守ると云いて、今宵はよもすがら寝ねずとかや。
是れ、ふるきを送り新しきを迎える心なるべし。
送り迎えにつきて、憂い喜び一かたならず。
凡そ、四つの時のおし移る折々につきて、感をおこす人は、情け深し。
愁人は、是れによりて悲しみ、達士は、是れによりて楽しむ。
景氣は同じけれど、唯、見る人から、えんにも凄くもおもほゆるなるべし。

十六
 一年の内をすべて思うに、春は陽氣はじめてのぼり、萬物生ず。
空の景色のどかに、人の心もうららかにして賑わし。
夏は陽氣事ごとく上り、宇内にあまねく満ち、天地交わりて、草木しげく、萬物長す。
秋は陽氣はじめて下り、陰氣のぼり、萬物蔵まりて、景色いさぎよく、人の心にしみて、感じる事深し。
春に対して、はた裏表となれり。
冬は陽氣事ごとく下り、陰氣専らにして、萬物かくる。
夏に対して、又、裏表となれり。
凡そ、一年のめぐり。
冬に至て天地交わらず、閉じ塞がりて品物かくれぬれば、春生じ、夏長じ、秋おさめる如くなるしわざは無くて、月日多くうつろい行けど、何の麗しき景氣も見えず。四時の内にて、為す事なくて、いたずらなる時ぞと見えれど、春夏秋の麗しき景色と、なし出せるしわざと、此の時に至り留まり、一年の大なる功をなしおしはかりて、そこばくの元氣を深く貯えかくして、来たれる春の本となる理をふくめるは、此の時にぞあんなる。
されば冬の氣の一方に閉じ隠れて、為す事なきは、一年の功成り、事遂げて、終わりをなせるのみならず、又、来る年の発生の惠をふくみたんめれば、始めをなせりと云うべし。
人の夜な夜な寝入り氣しずまれるは、終日のいたわりを休め、明日のうごきなせる仕業の力の本となれり。
もし夜よく寝ぬざれば、今日のいたわりを休め難く、明日のはたらき力なきが如し。
冬にあたりて、人も亦、天の時に従いて、静かに精神を養うべし。

十七
 すべて一年の内、月日のめぐり、四時の行われ、百物のなれるついで、年ごとにたがわず。
萬古より末の世まで変わらざる事、天道の誠至って貴ぶべし。
静かにして是れを感じる人は、其の楽しみ深かるべし。
もしよく此の理を知れはん人は、即ち道を知れる人なるべし。

十八
 時節は、目に見えて早く立つとしも無けれど、日数かさなり行けば、一年の過ぎるは程なし。
人の一生を経るも、亦、年ようやく重なれば、老死に至る事遠からず。
況や、人の命は、いたりて危くして、朝夕を知らず、少壮といえど、老大に先だつ人多ければ、頼みなし。
久しからざる浮世に、時の移り行く事早ければ、あたら時日をむなしく過ごすべからず。

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