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大和俗訓 巻之一 爲学上



 天地は萬物の父母、人は萬物の霊なりと尚書に聖人説き給えり。
言う意は、天地は萬物をうみ給う根本にして 大父母なり。
人は天地の正氣をうけて生れる故、萬物に優れて、其の心明かにして五常の性をうけ、天地の心を以て心として、萬物の内にて、其の品、いと、尊ければ、萬物の霊とは、のたまえるなるべし。
霊とは、心に明かなる魂あるを云う。
天地は萬物を生み養い給う中にも、人を厚く哀れみ給うこと、鳥獣草木に異なり。
ここを以て、萬物のうちにて、専ら、人を以て天地の子とせり。
されば、人は天を父とし、地を母として、限りなき天地の大恩を受けたり。
故に、常に天地に仕え奉るを以て、人の道とす。
天地に仕え奉る道とは如何ぞや。
凡そ、人は、天地の萬物を生み育て給う御恵みの心を以て心とす。
此の心を名づけて、仁と云う。
仁は、人の心に天より生れつきたる本性なり。
仁の理は、人を恵み物を哀れむを徳とす。
此の仁の徳を保ち失わずして、天地の生み給える人倫を厚く愛し、次に、鳥獣草木をあわれみて、天地の、人と萬物を愛し給う御心に隨い、天地の御恵みの力を助けるを以て、天地に仕えへ奉る道とす。
是れ、則ち人の道とする所にして、仁なり。
仁の理を分てば仁義となり。
仁義を分てば禮智信となる。
五の性をすべて五常という。
譬えば、一年を分てば陰陽となり、又、分てば、春夏秋冬四時となるが如し。
仁は、五常をすべて、其の惣名なり。
五常は、人に生れつきたる理なれば、五性という。
性とは、人の心に生れつきたる理をいう。
此の五性は、古今、天下の人、高き賤しきも、賢し愚なるも、押し並べて天地より生れつきて、萬世迄も相変わることなき故に、五常と云う。
常とは、変らざるなり。
中につきて、仁は、哀れみの心なり。
是れを以て、四徳を兼ねたり。
義は、宜しきなり。
行う所、各々、其の物に相応するを云う。
禮は敬う心、愼みて侮らざるを云う。
智は明かに悟る心、道理に通ずるなり。
仁義禮も、智なれば行う術をしらず。
儀禮智はみな、仁より出で、仁を助ける理なり。
信は、誠なり。
仁義禮智の心、信にして偽りなきを云う。
誠なければ、仁義禮智にあらず。
凡そ、此の五常の性に隨いて、人倫に對して情け深く、厚く行うを人の道とす。
人倫とは、君臣・父子・夫婦・長幼・朋友の五なり。
是れを五倫という。
又、五品とも云う。
天下に人多しといえど、その品を分てば、此の五品の外には出でず。
五倫に交わる道は、君は臣を哀れみ、臣は君に忠を盡すべし。
父は子を慈しみ、子は親に孝を盡すべし。
夫は婦に禮儀あり、婦は夫を敬いて、和順なるべし。
長者は幼を恵み、幼きは長者を敬うべし。
兄弟も長幼の内にあり。
朋友は互に誠ありて、たのもしく表裏なかるべし。
此の五倫の道は、仁義禮智信の五常の性に隨いて、人倫に交る時に、行い出せるなり。
わが本性の外に求める道にあらず。


 人となるものは、天地を以て大父母とする故、父母の恩をうけるが如く、極まりなき天地の恩を受けたり。
天地の恵みにて生れたる恩のみならず、身を終るまで、天地の養いを受けること、譬えば、人の身の、父母より生れて後も、父母の養いによりて、人となるが如し。
ここを以て、此の世に生れては、常に天地に仕え奉り、如何にもして天地の恩を報いんことを思うべし。
是れ、天地に仕える孝なり。
人たる者は、常に、是れを心にかけて、忘る可からず。
天地に仕え奉る道は、別にあらず。
天地の御心に随うを以て道とす。
天地の御心に随うとは、我に天地より生れつきたる仁愛の徳を失わせずして、天地の生める所の人倫を厚く哀れみ敬うをいう。
是れ則ち、人の行うべき所にして、人の道なり、人の道とする所、さらに此の外にある可からず。
夫れ、人は天地の恵みによりて生れ、天地の心をうけて心とし、天地の内に住み、天地の養いを受けたり。
斯の如く、極まりなき大恩を受けたれども、凡人は知らず。
所謂百姓は、日々に用いて知らざるなり。
然るに、天地に仕え奉らずして、人欲に従い、天理に隨わざるは、天地の大恩を蒙りて、天地に背く故、天地の子として、大不孝なり。
人の子として、其の親を愛せずして、他人を愛し、父母に背きて不孝を行うが如し。
不孝の子は、其の身を天地の内に立て難し。
況や、天地の子として、天地に背き不孝なるをや。
幸いにして災なしと雖も、天地に背ける科、恐るべし。
天地を尊び仕え奉るべき事、前にも既に言えれど、返す返すよく人に告げん為に、同じことを幾度も繰り返して言うなり。
猶、此の後にもいうべし。


 凡そ、天は、人の始めなり。
父母は、人の本なり。
人は、天地を以て大父母とし、父母を以て小天地とす。
天地・父母、其の恩ひとし。
故に、天地に仕えて仁を行うこと、父母に仕えて孝を行うが如くすべし。
ここを以て禮経にも、仁人の天に仕えるは、親に仕えるが如くし、疎かなるべからず。
親に仕えること、天に仕えるが如くすべし、畏れ愼むべしといえり。
疎かなるは、愛なきなり。
畏れざるは、敬なきなり。
天地に仕え奉るも、父母に仕え奉るも、同じく仁敬を致して、疎かならず、侮るべからず。
天地によく仕えるは仁人なり、仁心を保つ人なり。
父母によく仕えるは孝子なり、孝養をよく努める子なり。
天地に仕えるの道同じ。
しかれば、天地に仕え奉るは、人間の大事にて、暫しも忘るべからず。
常人は、近き父母に仕える道をだに知らずして、心を用いず。
況や、天地は、極まりなき大恩あることを辨えずして、天地に仕え奉るは、身にあずからざることと思えり。
夫れ、天地の恩は、父母の恩に等し。
ここを以て、身を終るまで、常に、愼みて仕え奉り、力を盡すべき事、是れ、人の職分にて、至りて重き大事なり。
人たる者、この理を知らずんばあるべからず


 天地の中に萬物あり、萬物の内、人ばかり尊き物なし。
かるが故に、萬物の霊という。
其の霊たる故に、心に五性あり、身に五倫あり、目に五色をわかち、口に五味を覚え、耳に五音を辨え、鼻に五臭を知る。
鳥獣には、此の數多の事、一も無し。
人となりて、かかる貴き身を得たること、誠に、天地の間の大なる幸を得たるなり。
しかるに、人となれる道を知らず、禽獣に近くして、空しくこの世を過し、人と生まれたる身をいたずらになす事、悔しからずや。


 顔子推は、人身得難し、空しく過ること勿れと云えり。
萬物に優れて、人とかく生まれたるは、誠に幸の至りなれば、人身得難しといえり。
人たる者、もし、再び此の世に生れば、例え、此のたび怠りて、人の道を知らずとも、重ねて又、人と生れ来ん時を恃むべき事もありなん。
此の身、再び人となれる事を得ざれば、道を学び、此の身をよく修め、人となりて終るべし、空しく此の世を過すべからず。
もし、人の道を知らで、空しく此の世を過しなば、人と生まれたるかいなかるべし。
惜むべきかな。


 萬物の内、人と生まれる事、甚だ難し。
如何となれば、鳥獣蟲魚は、年々に多く生まれること、其の数限りなし。
人の数は、鳥獣蟲魚の萬が一もなくして、極めて少なし。
其の上、人は萬物に優れて、天地の恵みを受けること厚し。
かく、貴き人身なれば、萬物の内、人と生まれること、極めて難き事なるを、幸に人と生まれたる我が身を持ちながら、学ばずして、天地の道に背き、人の道を知らずして行わず、人とかく生まれたる楽しみを忘れ、徒らに、一生をむなしく過ごして、鳥獣と同じく活き、身死して後は、よき名を残すことなく、草木と同じく朽ちなん事、豈、恨み多きことならずや。


 人と生れるは、極めて難きことなれば、わくらはに、得がたき人の身を得たる事を楽しみて、忘るべからず。
又、人と生れて、人の道をしらで、むなしく此の世を過ぎなんこと、憂うべし。
此の楽しみと憂いとの二を、身を終わるまで忘るべからず。


 凡そ、人となる者は、人の道を知らずんば有るべからず。
人の道を知らんとならば、聖人の教えを尊びて、其の道を学ぶべし。
如何となれば、聖人は、人の至極なり。
天地の道に隨いて、人の道を教え給える、萬世の師なり。
後代に残しおき給う四書五経の教えは、萬世の鑑なり。
其の道理、明かなること、日月の天にかかれるが如く、天下ひろしといえども照さざる所なし。
よく読まん人は、天下の道理を知らん事、白日に黒白を分つが如くなるべし。
豈、是を学ばざるべけんや。
しかるに、人となる者、人倫の道は、天性に生れつきたれども、其の道に志なくして、食に飽き、衣を暖かに着、居所を安くしたるまでにて、聖人の教えを学ばざれば、人の道なくして、鳥獣に近し。
かくの如くなれば、人と生れたるかいなし。
萬物の霊とすべからず。
此の故に、聖人是れをうれい、賢臣を以て、萬民の師として、人倫の道を教えさせ給う。
是れ、人となるものは、必ず道を学ばずんば有るべからざればなり。
愚おもえらく、人と生れて学ばざれば、生れざると同じ。
学んでも、道を知らざれば、学ばざると同じ。
道を知りても、行はざれば、知らざるに同じ。
其の故、如何となれば、人と生れて学ばざれば、人の道を知らずして、人と生れたるかいなし。
是れ、人と生れて学ばざれば、生れざると同じきなり。
学ぶは、道を知らんが為なり。
もし、学びよう悪しくて道を知らずんば、学ばざると同じきなり。
又、道を知るは、行わんが為なり、学んで道を知りても、行わざれば、知らざるに同じ。
故に、人と生れては、必ず、学ばずんばあるべからず。
学ぶ者は、必ず、道を知らずんばあるべからず。
道を知れらば、必ず、よく行わずんばあるべからず。
道を知れば、必ず、よく行う。
行わざるは、未だ道を知らざるなり。
道を知らんと思わば、聖人の教えを仰ぎ、賢人の説を階梯として、其の法に随うべし。
是れ、道をしるべき学問の筋なり。
道に志なく、師傳悪しく、学術の筋違えば、一生精力を用い、つとめ学ぶとも、験なし。
故に道を学ばんと思はば、初学より道に深く志を立てて、明師に随い、良友に交わり、学術を擇ぶを主とすべし。
学術とは、学びようの筋を云う。
学びの筋悪しければ、一生つとめても、道を知らず。
一たび迷いぬれば、よき道に立ち歸り難し。
故に、まづ、学術を擇ぶべし。


 学問の道は、極めて広大高妙にして、深奥なり。
然れども、其の近き所は、孝弟忠信の日用常行にあり。
故に、いかなる愚なる者も、此の道を学び易く、知り易く、行いやすし。
高遠にして、怪しく異なる道にあらず。


 古の聖人すら、猶、師に従いて学び給う。
況んや、今時の凡人、学ばずしては、道を知り難し。
小芸だにも、師なく習い無くしては、成し難し。
況んや、人の道は即ち天地の道にて、極めて大なるをや。
学んでも、学びよう悪しければ、道を知らず。
学ばずして道を得んことは、萬々此の理なし。

十一
 学問は、まづ、志を立つるを以て本とす。
志とは、心の行く所なり。
道を知り行いて、君子に至らんと思う心、常に怠りなく、念々やまざるを、志を立つると云う。
志立たざれば、学ぶこと成就せず。
故に、古人も、志ある者は、其の事、ついに成るといい、又、志立つは、学の半ばなりと云り。
譬えば、弓を射る者の的に志、道ゆく者の宿りに志すが如し。
萬の事、まづ、本を努むべし。
志を立つるは、勇猛なるべし。
柔弱にして怠るべからず。
怠れば、験なくして捗ゆかず。
道を求むるに、切なる志は、譬えば、飢えて食を求め、渇きて湯水を求めるが如くなるべし。
僅かに悠々として怠れば、志廃る。
只、此の道に心を一筋にすべし。
外物に心を奪われるべからず。
物を翫べば志を失う、と尚書にも云り。
言う心は、耳目口體に好む所の外欲に耽り、外物を好み、或は、無益の雑芸を一向にすき好みて、心を傾けるの類は、皆是れ、物を翫ぶなり。
此の如く、外物に心を移せば、道を学び君子となる志を失う。
萬の外物の翫び、好み、皆、志を損なう物なり。
程子曰く、専一ならざれば、直ちに遂げること能わず。
言う意は、一筋になさざれば、行い遂げること成り難し。
専一とは、譬えば、猫の鼠を狙うが如く、鶏の卵を温めるが如く、他念なかるべし。
心あなたこなたに分るれば、学問道義の志は衰えすたる。
文芸・武芸は、誠に、士たる者の習うべき事なれば、勉め学ぶべし。
されども、芸は末なり、道義の学は本なり。
芸を一向このめば、必ず学の志を奪われて失うものなり。
況や、私欲の慰み好みに任するをや。
戒むべし。
志を立つれば、譬えば、西国の人の東へ行かんと思い立ちて、日々に行くに、其の間、昼夜東へ行かんと思う心は、念々常にやまず。
是れ、東へ行く志たつなり。
此の如くなれば、ついに志す所に行き届かずという事なし。
道に志すも、亦、此の如くなるべし。

十二
 凡そ、学するには、教えを受ける基を立て、又、禁戒を守るべし。
基とは、家をつくる土台なり。
学問する人は、嫌を以て基とす。
嫌とは、へりくだるなり。
我が身に誇らず、人に高ぶらずして、心を空しくし、人に問うことを好み、我が才を恃まず、師友を敬い、我が身に才力有りても、なきが如くし、教えをよく聴き、人の諫めを悦び、すでに知れる事も、知らざるが如くにして、我が知を先だてず、すでによく行なう事も、未だ行わざるが如く思い、人を責めずして、我が身を責めるを、へりくだると云う。
是れ、学問を努め、教えを受ける基なり。
譬えば、家を作るに、先づ、基を立つるが如し。
此の基あれば、日々に善言を聞き、我が過ちを知りて、知明かになり、善日々に長ず、学の進むこと極まりなし。
又、禁戒を守るべし。
禁戒とは、戒めて行わざるを云う。
学問する人は、まづ、矜の字を禁戒とす。
矜は、ほこると読む。
ほこるとは、我が身に自慢して、人にへりくだらざるを云う。
未だ知らざるを既に、知れりとし、よかざるを、よしとす。
専ら我が知を用いて、人に問わず、人の諫めを用いず、身を責めずして、人を責む。
此の如くなれば、悪日々に長ず。
初学の人は、先づ、此の禁戒を守り、又、此の基を立つべし。
然らざれば、学んでも、益なきのみにあらず、却って害あり。
是れ、書を読み、学問する人が、第一心得るべき事なり。

十三
 人の性は、本善なれども、凡そ、人は氣質と人欲に妨げられて善を失う。
氣質とは、生れつきを云う。
人欲とは、人の身の耳目口體に好む事の、よき程に過ぎるを云う。
生れつき悪しければ、人欲行われ易し。
されば、すべて人たる者は、古の聖の教えを学んで、人となれる道を知り、氣質の悪しき癖を改め、人欲の妨げを去りて、本性の善に返るべし。
是れ、学問の道なり。
故に、古の聖人、教えを立て、天下の人に学ばしめ給うは、人の性、皆、善なる故、学んで善に帰る道あればなり。

十四
 人皆良知あり。
教えざれども、幼より親を愛し、少し長じては、兄を敬う。
人皆仁心あり。
孺子の井に落ち入るを見ては、哀れむ。
人皆義理あり。
節に當っては、愚なる下部も、命をおしまず。
乞食にも食を蹴散らして与えれば喰わず。
是れ、人の性の善なる證なり。
聖人の教えは、天下の人の生れつかざる事を、知らしめ行わしめんとにはあらず。
心生れつかざる事は、教えてもなし難し。
其の人に本より生れつきたる善心あるを本として、導き開きて、是れをおし拡めさせんとなり。
天下の人、其の性、皆、善なり。
其の善なるに本づきて、その生れつきたる善を行へと導き給えるなり。
故に、其の教えを行われ易し。
譬えば、山人が斧の柄をきるに、我が手に持ちたる斧の柄を以て、新しく作らんとする斧の柄になるべき木の枝に、押し並べ比べれば、大小長短少しも違わず、間近き手本になること、是れに過ぎたる事なし。
然れども、我が手に持てる斧と、新しく斧に作らんとする木の枝とは、別の物なれば、猶以て遠しとす。
聖人の教えは、然らず。
即ち、其の人に生れつきたる善心を本として、是れを育て養う道なれば、教えを作り出だし、別の道を持ち来たりて、其の人に教えるにはあらず。
然れば、天下の人おしなべて、此の道を以て誘い導けば、凡そ、血氣ある人類は、唐も大和も、西戎南蛮も、此の道を尊信して、従わずという事なかるべし。

十五
  学問に筋多し。
訓詁の学あり。
記誦の学あり。
詞章の学あり。
儒者の学あり。
訓詁の学とは、聖人の書の文義を精しく識る事を努めるを云う。
記誦の学とは、廣く古今の書を読み、故事・事跡を覚えるを云う。
詞章の学とは、詩文を作る事を学ぶを云う。
儒者の学は、天地人の道に通じて、身を修め人を治める道を知るを云う。
学問をせば、儒者の学をすべし。
訓詁の学は、四書六経等の文義に通じても、義理を知らざれば、用い難し。
況や、記誦・詞章の学は、いよいよ道に遠し。
儒者の学とすべからず。
儒者の学に専一ならば、訓詁・記誦・詞章の習も、略、其の内に兼ねてよし。
此の外に、又、小説の学あり。
是れは、経史・文章の学を好まず、唯、もろもろの雑細の事、又、怪しき事などを記せる書を愛でて、多く見おぼえ、楽しみとする学なり。
又、小説の学は、訓詁・詞章・記誦などにならべて、学術の條理を立つるには足らず。
然れども末世には、又、此の学あり。
学術の最下品なり。

十六
 或人の曰く、儒者の学は、唯、人道を知らば可ならん。
天地の道を知るに及ぶべからずと。
予答えて曰く、天地の道は、人道の本なり。
天地の道を知らざれば、道理のよって出づる所の根本を知らず。
根本知らざれば、天理の人に備わり、人の天地に受けたる、天人合一の筋目を知らずして、人道明かならず。
故に、まづ、日用人倫の道を学んで後、天地の道を学ぶべし。
聖人の易を学び給うも、此の故ならずや。
されども、天地の道は、猶、容易く知り難し。

十七
 志を立つる事は、大にして高くすべし。
小にして低ければ、小成に安んじて、成就し難し。
天下第一等の人とならんと、平生志すべし。
世俗と同じく、賤しく、低くすべからず。
かく志を立てて、日々月々に、努め行わば、久しくして其の功つもりて、必ず、人に優るべし。
上を学べば中に到り、中を学べば下に到る。
下を学べば功を成さず。
又、心は、小にして低くすべし。
人にへりくだり、日用常行の低き足下より行うべし。
心大なれば、驕りて愼みなく、細行を努めず。
高ければ、人にたかぶりて、謙徳を失う。

十八
学問の法は、知行の二つを要とす。
此の二を努めるを、致知力行とす。
致知とは、知る事を極めるなり。
力行とは、行う事を勤めるなり。
道を知る事、明かならざれば行われず。
譬えば、目なき者の足健なれど、行くべき道を知らで、行き難きが如し。
行う事、鋭ならざれば、知りても用なし。
譬えば、目明かなりといえども、足立たざれば、行く事、適わざるが如し。
知と行とは、目に見て足にて行くが如し。
目くらければ、行くべき道見えず。
足立たざれば、行くこと適わず。
目足ともに備わらざれば、道を行き難きが如し。
知を先とし、行を後とす。
萬の事、先づ、知らざれば行い難し。
故に、前後を云えば、知るを先とす。
知るは、行わん為なり。
知っても行わざれば用なし。
故に、軽重をいえば、行うを重しとす。
知ると行うとの二つは、一を缺くべからざる事、鳥の両翼の如く、車の両輪の如し。
学問は、知と行うと並び進むをよしとす。
並び進むとは、知れる事は、即ち、必ず行うを云う。
少しの前後はあれど、先だち後れず、一度につれだちて行くをば並び進むという。
知れるばかりにて行わざるは、並び進むにあらず。

十九
 知行の二の工夫を、細かに分かてば五あり。
中庸に曰く、博く学び、審かに問い、愼んで思い、明かに辨え、篤く行う。
是れ、道を知りて行うの工夫にして、学問の法なり。

二十
博く学ぶの道は、見ると聞くとの二を務む。
聖賢の書を読み、人に道を聞きて、古今を考えて、義理を求める也。
人倫の道は、載せて聖賢の書に在り。
よく読まん人は、白日に黒白を分つが如くなるべし。
天下の道理は、極まりなし。
其の道理を知らざれば、行うべき術を知らで、誤り多し。
道理は、わが一心に備わり、其の用は、萬物の上にあるなれば、先づ、わが一心の道理を極め、次には、萬事につきて、博き道理を求めて、わが心中に自得すべし。
是れ、博く学ぶなり。
博く学ぶの道多けれど、書を読むほど益あるは無し。
古人も、人の智慧を増すは、書に如くは無しと云えり。
されど、文字をのみ好みて、義理を求めざるは、博く学ぶにはあらず。

二十一
審に問うとは、すでに学べる事の、わが心に疑わしき事を、明師良友に近づきて、審に問うて其の理を明かにし、疑いを解くべし。

二十二
 愼んで思うとは、すでに学び問いたる事の、疑わしき事は、心を静かに愼んで思いて、よく合點すべし。
学び問いても、よく合點せざれば、わが物にならず。
故に、わが心に道理を求めて、其の理を會得すべし。
是れ、よく思案して道理に通ずるなり。
愼んで思うにあらざれば、道理に通じ難し。
学問は、自得を尊ぶ。
自得とは、愼んでよく思いて、心中に道理を合點して、わが物にし得たるなり。

二十三
 明かに辨うとは、すでに愼んで思案して、猶、善悪の紛らわしき事あらば、明かに其の是非を極めて、善悪を分つを云う。
以上の四は、皆、知の工夫にして、道を明かにするなり。

二十四
 篤く行うとは、すでに学び・問い・思い・辨えて、其の道理を知らば、卽ち吾が身に其の知れる道理を篤く行うべし。
行うこと篤からざれば、道立ち難し。
篤く行うの道は、言を忠信にして、偽りなく行いを愼みて、過ちを少なくす。
人の身の業多けれど、言と行との二には出でず。
故に、言を誠にし、行を愼めば、身修まる。
又、心に起る処の用七あり。
七情と云う。
喜怒哀楽愛悪慾なり。
人の身の業は、此の七より起る。
是れを愼みて、過不及なくして、道理に適うべし。
中につきて、七情の内、怒りと慾とのニ、尤も我が心を害し。
身を損ない、人を害うものなる故に、怒りを懲しめ、慾を塞ぎ去りて、其のはじめて起る処の萌しに勝つべし。
又、善に移りて、我が善より猶よき事あらば、己が善を捨てて、優れる方に従うべし。
身に過ちあらば、早く改むべし。
我が身に執着して、改めるに憚るべからず。
また、人に對して行うに、人われに従わざる事あらば、人を責めずして、我が身を省み咎むべし。
是れ皆、篤く行う道なり。
学び問うにあらざれば、道明かならず。
思い辨えるにあらざれば、道をわが心に得難し。
篤く行うにあらざれば、知りても實なし。
右、五のものは、中庸に記せる所、学の工夫なり。
程子も此の五のもの、其の一を缺けば学にあらずと云えり。

二十五
 常に、我が身を省み、又、人の諫めをききて、我が不善なると、我が過ちとをしりて、善にうつり、過ちを改むべし。
知ありて忠直にして、我が過ちを正す良友を求めて、交わり親みて、諫めを聞き、教えを求むべし。
学問は、我が身の悪しきを改めて、よきに移る道なれば、我を知ありとし、我をよしと思わば、学ぶとも益なくして、却りて、邪氣を長ずべし。
人聖人にあらず、何ぞ事毎に善を盡さんや。
自ら是とし、自ら足れりとすべからず。
聖人すら学問を好みて、自ら是とし給わず。
今の凡夫、いかでか過ちなかるべき。
凡そ、致知の法は、五情五倫の道を知るを以て先とし、家を整えて、民を治める理に至るべし。
次に、萬事・萬物の道理をも知り極むべし。
天地の内にあらゆる萬事・萬物は、皆、我が心の分内の事なれば、其の理を知らずんばあるべからず。
天下の理を極めしむるの道は、本と近きとを先とし、末と遠きとを後にして、前後緩急の次第を失うべからず。

二十六
 学ぶ人は、只、我が知の昧く、我が徳の進まざる事を憂うべし。
われに学問・才知・技芸ありとも、我を知ありとし、我が才に誇る心あるべからず。
人各々知あり、又、長ずる所あり。
人を愚にし侮るべからず。
諫めを防ぎ、我を是とするべからず。
己が不善を棄てて、人の善に従い、人の善を用いて、我が身に行うべし。
我を知ありとする者は、悪徳なり。
戒むべし。
其の愚を知る者は、大愚にあらず。
其の過ちを知る者は、大なる過ちなし。
故に、高慢にして、己を許す者は、必ず、愚人なり。
如何となれば、自知の明なく、知をひらき善に進むの基なくして、終に愚にて終わる。
人を侮る者は、必ず、天の尤めあり、人の責めあり、人を誹る者は、必ず、人に誹られる。
古の君子は、聰明睿智なれども、これを守るに愚を以てす。
況んや、末世の凡夫、僅なる智恵・才能に誇るは、甚だ愚なりと云うべし。
尚書にも、其の善に誇れば、其の善を失い、其の能に誇れば、其の能を失う、といえり。
我が身に誇れば、自ら是として、吾に過悪ある事を知らざる故に、過を改め善に移ること能わず。
悪日々に長じ、善日々に消えぬ。
しかれば、たとえ聖人と同じく居て、朝夕教えを受けるとも、益なかるべし。
勉めて書を読み、学問すとも、其の身に益なきにのみにあらず、却って邪知を増し、才能に誇りて害あり。
ここを以て、矜は、天下の悪徳の由、古人の戒め明かなり。
学問する者、まづ第一これを戒むべし。
文盲なる人の言葉に、学問すれば人品悪しくなる、益なくして害あり、というは、世上にかような人あるを見て、其の杙ぜを守り、其の上、其の人本より学問を嫌う故に、妄にかく言うなるべし。
もし、己が身を修めん為に、實に学ばば、何ぞ益なからんや。
害なからん事は言うに及ばず。

二十七
 理を極めるも、事を知るも、一重に物を思うべからず。
浦の濱木綿の百重なる事を思いて、幾重にも理を極むべし。
心浅き人は、一重を知りて、はや、ことわり至極して、此の上なし、と思うは、儚き事なり。
今日一重をさりて、明日又一重をさり、日々かくの如くすべし。
皮を盡して肉を見、肉を盡して骨を見、骨を盡して髄を見るべし。
凡そ、理を極める学問は、心荒く軽き人は、なしうべからず。
心精しく静かにすべし。

二十八
 孔子曰く、古之学者は己の為、今之学者は人の為にす。
己の為とは、我が身を修めん為にする實学なり。
人の為とは、人に知られんが為にする名利の学なり。
学問の本意は、己が身を修めん為なれば、人の知ると知らざるに拘らず。
譬えば、食する者の、我が飢えをやめ身を養わん為にするが如し。
只、我が腹にみちなん事をのみ思いて、更に我が食したるを、人に知らせんと願う心なし。
学問は、ただ我が身を修めん為にすべし。
聊、人に知られん為にすべからず。
又、聖人の、子夏に、汝君子の儒と為れ、小人の儒と為る無れ。
との給えり。
此の意は、君子儒は、只、己が身を修めん為に学べり。
實学なり。
小人儒は、只、人に知られん為に学べり。
是れ、名利を願う心のみにて、我が身を修めるに志なし。
偽学なり。
ここを以て、君子の心は、日々に善に進みて上達し、小人の心は、日々に悪に陥りて下達す。
同じく力を用いて学問せば、君子儒となるべし。
小人儒となるべからず。
努め学んで、小人儒となるは口惜し。
学者、まづ、初めより己が為にする志を立つべし。
是れ、学問する人の第一に、心得べき事なり。
しからざれば、博く書を読み、学問しても、益無くして、却って害あり。

二十九
 書を読めば、我が身に受用する事を、専一に志すべし。
受用とは、書に記せる聖人の教えを、我が身に受け用いて、守り行い、用に立てるを云う。
もし、書を読み義理を聞きても、身に受け用いずして行わざれば、何の益も無き徒事なり。
大学を読んで、如悪悪臭、如好好色。とあるを見ては、我が心に、これを受け用いて、實に悪を嫌う事、悪臭の如く、善を好む事、好色の如くすべし。
論語を読んで父母に仕えてよく其の力をつくし、君に仕えて、能く其の身を委ね、とあるを見ては、其のごとく親に仕えて、我が身の力も、財の力も惜しまずして、孝をつくすべし。
臣としては、我が身を我がものにせずして、私を忘れ、専ら、君に忠をつくすべし。
自余も、皆、此の如くすべし。
是れを書を読んで受用すると云う。
もし、書を多く読んでも、受用せざるは、口耳の学といいて、耳に聞きて、やがて口に言いたるまでにて、心に守り身に行なわざるは、無用の学なり。

三十
 初学の人、書を読むには、まづ、四書を熟読し、又、五経をよく読むべし。
五経は、上代の聖人の教えなり。
文字の祖、義理の宗と云いて、文義のはじめ、義理の教えの本なり。
四書は、孔門の教えなり。
是れを読むは、面のあたり聖賢の教えを聞くが如し。
尊ぶべし。
文義ようやく通ぜば、四書の注、大学・中庸の或問を見て、後、五経の注を見るべし。
次に、周程・張朱・四家の書を見るべし。
中につきて、程朱の書、最もよく読むべし。
殊に、小学の書は、身を修める大法を記せり。
人倫の道ほぼ備われり。
早く読んで、其の義を習い知るべし。
又、歴代の史、左傳・史記・朱子・通鑑・網目を見るべし。
是れ、道を知り、古今に通ずる学問の法なり。
経傳及び歴代の史に通ぜば、天下古今の事理、明かならずという事なかるべし。
聖人の書を経と云う。
経とは、常なり。
聖人の言は、萬世の常道なり。
賢人の書を傳という。
聖人の道を述べ、後代に傳えるなり。
四書五経は、経なり。
其の注並びに周程・張朱の書は、傳なり。
歴代の事を記せる書を史と云う。
記録のことなり。
子は、荀子・楊子・淮南子・説苑・文中子等の諸子の書を云う。
是れは、程朱の書の如く、道理精明なるにはあらざれども、経書の義理を助ける益あり。
見るべし。
集は、諸家の文章等の書なり。
是れ又、義理を発明せり。
此の経・史・子・集の四の書は、本末軽重あれども、皆、学問の為用いる書なり。
道を知らんとならば、経学を専らとして、一生勉むべし。
次に、史学、是れも、其の益大なり。
次に、諸子・諸集を見るべし。
朱子・綱目、最も好書なり。
古代の治乱盛衰の事跡を知るのみにあらず。
義理の学にも、亦、大に助けあり。
殊に、國土を治める人の明かなる鏡なり。
又、軍の勝敗の道を記して、兵術を学ぶ人にも、甚だ益あり。
古来、要用の故事も、亦、此の内に多し。
彼れ是れ最も益多し。
勉めて数編見るべし。
誠に、経世の大典とすべし。
其の外、和漢の記録、力に任せて見るべし。
又、暇あらば、諸子・百家の書を見て、経説を発明し、義理の趣を弘むるべし。
しかれども、専ら、博覧をつとめて、雑学に移り、志を失うべからず。
学問は、博くして、又、約にすべし。
博ければ、義理詳にして、備らずという事なし。
約ならば、義理精しくして、明かならずという事なし。
博く学ぶに暇なく、又、中年以後はじめて学ぶ人は、約にすべし。
古人も、博くして雑なるは、約やかにして精しきに如かずと云えり。
凡そ、書を読み、学問するは、道を知らんが為なり。
道を知らざれば、廣く古今の書を読み、詩文章をよく作りても、要用なし。
学問の本意にあらず。
又、四書五経等の文義に通じて、古今の書を廣く見ても、一生義理を知らざる人多し。
道に志なければなり。
又、志ありても学びよう悪しければ、一生道を知らず。
或は、聡明の足らざる故にも因れり。
知を開く事を勤むべし。

三十一
 心学に志す人は、日新の工夫を用いるべし。
日に新にすとは、昨日の古き悪を改めて、今日新しく善に移り、今日は昨日にまさりて新しくなるを、日に新にすという。
此の如くなれば、今日は是にして、昨日は非なることを覚ゆべし。
かように努めて止まざれば、日々に工夫進み、月々に異にして、年々に同じからず。
一日は一日の功あり、一月には三十日の功あり、一年には三百六十日の功あり、三年には千日の功ありて、徳に進み、善に移り行かば、其の楽しみ極まり無くして、手の舞い足の踏む事を知らざるべし。
此の如く、進み行かば、君子と成る事、必ず期するべし。
若し、今日は昨日に変わらず。
今月は前月に異ならず、今年は昨年に同じくば、日に新にする力無くして、いつまでも、愚者にて世を終わらん事、口惜し。

三十二
 文学を努むるも、亦、同じ。
日々に努めて止まざれば、文学日々に進む。
数年の後は、経傳の義理に通じて、楽となる。
十年の巧は、甚だ大なり。
文学半ば成就す。

三十三
 萬の事、はじめに苦労せずして怠れば、後に巧ならずして、楽しみ無し。
譬えば、熱き灸を耐え、苦き薬を飲めば、後に無病の人となるが如し。
学問に於て、最も此の験あり。
若き時辛労する人は、老いて後、楽多し。

三十四
 書を読むには、まづ、四書五経などを熟読し、文字を多く覚えて、訓詁に通ずべし。
訓詁とは、字義を云う。
文字訓詁を知らざれば、書を見わけ難く、力無くして、書を読むに捗ゆかず。
文学の進まざるは、字を知らざればなり。
されども、文字訓詁にかかわり止まりて、義理を自得せざるは、君子の学にあらず。

三十五
 学問は、知慧を開く道なれば、廣く聞き、多く見て、義理に通じ、我が心に、知慧の自ら開けるを待つべし。
聡明を恃み、我が才智を先だて用いるべからず。
人の才智を抑えずして、人の善を取り用いるべし。
位高く年たけたる人、或は、才学の名ある人も、其の位と年と才とに誇るべからず。
只、人にへりくだりて、尋ね問うは、知者の、ますます智を増す道なり。

三十六
 凡そ、幼より勉め学ぶに、隙を惜しむべし。
古の禹王は、聖人なりしだに、猶、寸陰を惜しみ給う。
況や、今の凡人をや。
徒に悠々として、空しく時日を費すべからず。
光陰箭の如く、時節は流れるが如くなれば、年若きを恃んで、時を失うべからず。
人の世にあるは、老幼の時と、病する時は、学び難し。
又、四民ともに、其の家の事業しげくして、もの学ぶ隙は少なし。
其の少なき隙を惜しまず、怠りて、虚しく過ぎ、或は、無益の事をなして、時を費し、一生を儚く終わらん事、いと愚なりというべし。
今年の今日、再び得難き事を思いて、仮にも、徒に時を渡るべからず。
是れ、一生の間、心を用いるべき事なり。
古人も、常にしておかず、常に行いて止まざる者には、及び難しと云えり。
又、徒らに、なす事無く、常に隙多き人は、人に優れる事は無き者なりと云えり。
譬えば、農人商人の、努めて暇を惜しみ、朝夕、田を作り、商う者は、必ず、人に優れて、其の家富て衣食乏しからず。
古人も、人生は努めにあり。
努むれば則ち貧しからずと云えり。
國家の政を精しく勤めれば、其の國家必ず治まる。
学問を精しく勤めれば、必ず、諸人に優れて、其の才進む。
萬の事、皆しかり。
暇を惜しみて、久しく努めれば、成就せざる事なし。
それ、人の寶は、暇に過ぎたるは無し。
如何となれば、君子の、学問をつとめ、國家の政を行い、父母・主君に仕え、諸芸を学び、農の田を作り、商人の鬻ぎ、百工の器物を作り、婦女の布帛を織り縫うも、皆、暇を用いて、なし出だすわざなれば、人の最も重んじ惜しむべき事、暇に過ぎたるは無し。
故に、其の惜しむべき事、金玉にも過ぎたり。
古語にも、聖人は尺壁を貴ばずして、寸陰を貴ぶと云えり。
隙を惜しまざる人は、学ぶ事も努める事も無ければ、必ず、才智も徳行も芸能も無き者なり。
暇を惜しまざれば、君子は、身を修め、家を整える事能わず。
農工商は、其の家事を失いて、貧窮・飢寒を免れず。
学者は、必ず、粗学にして不才なり。
医は、必ず、賤工なり。
萬の道々の工も、暇を惜しまざれば、必ずや拙し。
是れ、暇は人生の寶にして、惜しむべき故なり。
就中、年少の時は、事少く、暇多し。
精力強く、記憶強く、一度見聞きて覚えし事、身を終わるまで忘れず。
此の時、努め学べば、其の巧多し。
故に、書を読む事は、少年の氣力強く暇ある時、よく努めれば、大に進みて益あり。
三十歳以後は、よろず勤め多くなりて、暇少なく、精力ようよう弱くなるに隨て、其の覚え衰えぬれば、力を多く用いても忘れ易く、労すれども、巧少なし。
年少なる人は、是れをよく心得て、若き時、隙を惜しみ、学問を勉むべし。
誠に一生の寶となるべし。
淵明が詩に曰く、盛年重ねて来た不ず、一日再び晨なりびて難し、時に及び勉勵すべし當、歳月は人を待不。
また、古詩に、少壯努力不んば、老大徒に傷悲す、と云えり。
若き時、是れを能く考え、後悔なからん事を思いて、時日を惜しみて努むべし。
又、よく努むれども、学問の術を擇ばざれば、一生益無き事に迷い、心を用い苦しみて、よき道を知らず。
是れ、亦、愚なりと云うべし。

三十七
 凡そ、君子の学問は、知仁勇の三徳を本とし、五倫を篤くするを道とす。
知仁勇は、五倫の道を行う心の徳なり。
知は、五倫の道を知り、仁は、五倫の道を身に保ち行い、勇は勤めて知り、努めて行う。
知るも行うも、勇を以て務め、君子の学問をするに、其の心法とするは、三徳なり。
行うべき道とするは、五倫なり。
三徳と五常とは、理、同じ。
五常は生れつきたる性なり。
三徳は、学問をする心法なり。
五常をつづめて云えり。

三十八
 孔子曰く、学び、而ち止ま不、棺闇て止む。
人と生まれては、人の道を知り、此の身をよく修めて、君子と成る事を勤めとすべし。
是れ、人と生まれたるかいあらんとなり。
然れば、人となるべき道を学ぶこと、怠るべからず。
一息も、猶、残これる内は、学ぶこと止むべからず。
死して後止むべし。

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