漢文読書要訣 上巻

漢文読書要訣 上巻

太宰春臺 著


聖人の道は六経にあり、六経は、先聖王の天下を治めたまえる道なり、六経とは、詩、書、禮、樂、易、春秋をいう。

六経の名は、禮記の経解の篇に孔子の言を載せて曰く、
温柔敦厚は、詩の教えなり。
疏通知遠は、書の教えなり。
廣博易良は、樂の教えなり。
絜靜精微は、易の教えなり。
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恭儉荘敬は、禮の教えなり。
屬辭比事は、春秋の教えなりと、是れなり。
此の篇に孔子の六経の説を記して、篇を経解と名づけしに因って、後世六経の名を傳えたり。
又荘子天下篇に、詩を以て志を道い。
書を以て事を道い。
禮を以て行いを道い。
樂を以て和を道い。
易を以て陰陽を道い。
春秋を以て名分を道うと云えるも、六経の説なり。
天道篇に、十二経を繙いて以て説くと云えるは、其説詳らかならねども、恐らくは六経に各々傳記あるを、合せて十二経とも云うならん。
経というは、経緯の経なり。
布の縦の糸を経と云い、横の糸を緯と云う。
布の経は、直ぐに通りて、本末を貫く者なり。
六経もその如く、天下を治める道に六種の事ありて、各々其事の條理を知らする故に、経と名づけたるなり。
中庸に天下の大経を経綸す、と云えるを、鄭玄が註に六藝を謂うと釋せり。
六経は、即ち六経なり、六経を六藝とも云うなり。
禮樂射御書数を六藝というとはべつなり。
史記の孔子世家の賛に、天子王侯より、中國六経を言うもの夫子に折中すと云い。
又、太史公が自序傳に、夫れ儒者は六経を以て法とすと云える。
皆六経を六藝といえるなり。
史記漢書の中に、六経を六藝といえる処多し、鄭玄が中庸の註にて、経の字の義明なり。
又、経の字を常と訓じて、天下の常道なりと云うは、聖人の書を経と云い、賢人の書を傳というと云えるより出たる説にて、正義にあらず。
書籍の上にて経傳と云うは、文の體を以て名づくる事にて聖賢の作を分ける名にはあらず。
されば、易の十翼は、孔子の作なれども、文王周公の作たまえる上下経を、孔子釋したまえる故に、これを大傳と稱す。
水経は、漢の桑欽が作にして、天下の水の事を記したるを、経と名づけたり。
神農本草経の如し。
神農は、聖人なり、桑欽は聖人にあらざれども、文の體を以て経と名づけたり。
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古書の中に、九法皐が相馬経、甯戚が相牛経、師曠が禽経等の如きは、後人の偽作なれども、経と名づけたるは、文の體に就いての名なり。
後世の花経茶経棊経などいうも、皆此の類なり。
細微いうに足らざる事なれども、経は経緯の経にて、聖経賢傳という名目の非なること、是を以て悟るべし、畢竟六経というは、道の名にて、書籍の名にあらず。
六経の中に、詩書禮樂の四つを四術と名づけ、亦、四教ともいう。
禮記の王制に、樂正四術を崇め、四教を立つ。
先王の詩書禮樂に順って以て士を造す。
春秋教えるに禮樂を以てし、冬夏教え
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るに詩書を以てすと云える是れなり、詩書禮樂は、天下の士君子の学ばずしてかなわざる事にて、古人の学というは、唯此の四つを学ぶなり。
論語に学んで時に之を習うとあるも、此の四つを学習するなり。
論語に学んで時に之を習うとあるも、此の四つを学習するなり。
詩書禮學を学習して、其の義に通達し、其の道を行い得れば、君子の才徳成就して、天下国家の用に立つを、学者の成立とするなり。
第一に詩は、うたいものにて、簡策に書き記すまでもなく、童子の時より其の師に就いて、口づから授かりて、歌い習うなり。
其の詞は、すなわち今ある所の詩経三百編の詩なり、古人の詩を学ぶは、今人の諷を
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習う如くなり。
第二に書は、尭舜よりこのかた、夏殷周三代の明王聖賢の天下を治めたまえる道、並びに君臣の問答教誡の言を記録せる者なり。
即ち今ある所の書経五十八篇なり。
四教の中にて、唯此の一つは簡策に書きつけたる者を読誦するなり。
詩は諷いものなれども、平日は、只、其の詞を諳んじて、文句ばかりを諷誦して、忘却せざる様に、心がける故に、詩を誦するという。
書は字音を正し、句読を明らかにして、釋氏の読経の如く、反覆熟読するを務めとする故に、書を読むという。
学者の務めを言うに、詩を誦し書を読むというは是なり。
第三に、禮
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は、天下の萬事の儀式なり。
是を学ぶは、今人の小笠原の諸禮故實を習う如くなり。
書籍を読むにも及ばず。
只、其の所作を習うを要とす。
然れども、禮にも書籍なきにはあらず。
其の事の次第を書きしるしたる者ありて、是を禮経とも禮書とも云う。
此の方の諸禮に、次第書きと云うが如し。
第四に樂は、歌舞管弦鐘鼓の藝なり、樂師に就いて之を学ぶ、是も書籍を読むにも及ばず。
譜という者を書きつけて傳授するを、樂経とも樂書とも云うなり。
左れば詩書禮樂の四教の中に、書籍と云うは書経ばかりにて、詩はうたいものなり。
禮樂は、所作藝なり、古人
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の童子より学習する事、只、此の四つなり。
後世の学者の読書を務めとり、講説を要とし、義理を論じて歳月を過ごす様なる事はなきなり。
四教を受けて、才徳を成就したる者を、君子という。
禮樂を習わざる者を、小人とも俗人とも野人とも庸人とも云うなり。
第五に易は、六十四卦、三百八十四爻に、文王周公の辭あり、詩書禮樂を学習したる上に、易を学ぶは陰陽変化の道を知り、吉凶消長の理を明らめん為なり。
第六に春秋は、魯国の史官の記録なり、是を学ぶは、国家の治乱興廃の跡を考え、褒貶賞罰の法を辨えん為なり。

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術に達しても、此の二経を学ばざれば、天下国家の用に闕る所ある故に、君子必ずこれを学ぶ。
六経は、六種の道にて、其の用同じからず、六経一つも闕ては、天下を治めるに必ず不自由なる事あり。
人家にて事を行うに、器財の足らぬ者あれば、其の事行いがたきが如し。
ざれば、六経は、天下国家を治める六つの道具と心得べし。
宋儒は、六経の中、何れにても一経を治め得れば、身を修めるより、家を治め国を治め天下を治めるまで、他経を用いず。
一経にて、足らざる所なしと云う。
朱子詩傳の序に其の説見えて、程伊川の易傳、胡安国が春秋傳、
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蔡沈が書傳、皆一経を廃する意なり。
是佛者の宗門を立てる者、法華一部にて佛法を盡すと云い、華厳経を用いる者は、華厳一部にて佛法を盡すと云うが如し。
佛法は、一心を治める法なる故に、何れの経にしても、学んで其の旨を得れば、心を治めるに不足なることなし。
聖人の道は、天下を治める道にて、六経は、其の道具なる故に、六つの中にて一つを闕ても、天下の治めに不足なることあり。
又、一経にて、他経を兼ねる事もならず。
一経を他経の代わりに用いることもならず。
譬えば刀には刀の用あり、扇には扇の用ありて、
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刀と扇と通用することならざるが如し。
是にて宋儒の説の非を知るべし。
又、仁斎先生の如きは、六経を廃して用いずして、論語を最上至極宇宙第一の書と称して身を治めるより天下を治めるまでの道、一部の論語の外に出ることなしと云う、是れ大なる僻見にて、大なる謬説なり。
六経は物なり、論語は義なり、六経あれば論語あり、六経を廃すれば、論語は只懸空の議論なり。
譬えば刀は割断する物なり、扇は風を出す物なり、刀を捨て割断する義を論じ、扇を捨て風を出す義を説かんに人誰か領解せん。
論語を最上至極とすれば、六経をも
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論語の下に置かんとするなり。
中庸に、仲尼堯舜を祖述し文武を憲章すると云えり、六経は即ち堯舜文武の道にて、孔子の祖述憲章したまえる所なるに、論語を上として、六経を下とするは、冠履倒置と云うものなり。凡そ先王の道というは物なり。
物と云うは六経なり。
物なるが故に或いは六藝とも云う。
物を捨て理を語るは、老子の道なり、物を捨て心を語るは、釋氏の道なり。
学者是を知らずんばあるべからず。
是れ道の分辨なり。
六経の大義なり。
又、漢の代に経術と云うは、六経を学んで国家の治道経濟に之を用いるを、経術と云う。
宣帝の
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公卿大臣當さに経術を用い大誼を明らかにすべしとのたまいし是れなり。
治道経濟は、必ず六経を学び、先王の道を知りたる上に、位を得時を得て、之を行う故に経學と経濟とを合わせて、経術と云うなり。
先王の道は、天下を治める術なる故に、是れを道術とも云う。
漢書に霍光を譏りて不学無術と云えるも、経術なきことを云えり、
儒術學術と云うも、皆経術を云うなり。
漢の世は未だ古訓を失わざる故に、術と云うことを嫌わず、後世に及んで、術数術解妖術幻術など云うことあるによりて宋儒術の字を云うことを嫌うは、非なり。
経術と云うことを嫌いて、経學といいて、只管経書の義理を尋ね求めて、心性の微妙を談ずることを喜み、別に経濟とて、国家の治道を論ずるをば、経學の外の俗事とおもえり。
是れに因って今の世には経學と経濟とを両岐となして、格別に心得る者、
学者の中に多くあり。
是れ古今學術の変にて、宋儒より起これる禍なり、
先王の道は天下を治める道にて、六経は即ち其の道具なることを知らざる故なり。
先王は皆聖人なる故に、聖人の道とも云う。
孔子是を後世に傳えたまう故に、孔子の道とも云う。
孔子の傳えたまう道は、即ち六経の道なり。

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詩はうたいものなり、孟子に心の官は則ち思うと云り、人の心は思うを官おする故に、閑暇無事の時も、何かは知らず、思うこと無きことあらず、況んや物に感ずることあれば、其の事に随って、或いは喜び或いは怒り或いは哀しみ或いは楽しみ、或いは愛み或いは悪む、喜怒哀楽愛悪は、人の情なり、此の情内に起これば即ち言に形れ聲に発す軽きは呻吟し、重きは咨嗟詠嘆す、猶、已まざれば、言に形る。
言に形れて、人に告げ語るべき様もなければ、只、其の心の聲と云うは此の義なり、凡そ人の心に喜怒哀楽の起こるは、皆心の不平なり、此の不平なる思いを人に告げ語らんとするに、常の言にては如何にも陳盡しがたく。
又、心中の曲折なる処は、人に向って言い難き事もあり、増して人を怨み人を刺る類の事は、殊に常の言にて顕には言い難き者なり、然るを詩には如何なる事をも言いて、常の言にて盡し難き事をも、僅かの詞にて説盡す人を怨み人を刺る類の事ありても、聞く者怒らず、言う者罪なし、又、常の言語にては、人の心を動かすこともなきに、詩にては人の心を動かすのみならず、天地鬼神をも動かすこと妙なり、毛詩の序に、天地を動かし鬼神を
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感ぜしむると云えるは、是なり。
昔帝瞬群臣と天下の政を論議したまいて、卒に歌を作りて、股肱喜ぶ哉、元首起こる哉、百工凞る哉と歌いたまう、股肱は臣なり、元首は君なり、百工は百官なり。
此の意は臣下喜んで忠を盡す故に、君上の功業起こり、百官の職事廣まるとあり、
時に皐陶これに答えて、元首明らかなる哉、股肱良なる哉、庶事康い哉と歌う。
此の意は君の徳明らかなる故に、臣下賢良の才を盡して、萬機の庶事治り安しとなり。
又、これに次いで、元首叢脞は瑣碎なり、此の意は君の行い瑣碎に

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て、臣下の職事を知りたまえば、臣下官事を務める心なくて、萬事墮れ廃るとなり、此の帝瞬と皐陶との歌は、即ち詩の始祖なり、又、夏の太康逸豫盤遊して、君の徳を失い、畋獵を好んで、政事を懈りたまいしかば、其の弟五人これを怨んで、大禹の戒めを述べて、五首の歌を作れり。
此の歌どもは、皆書経に載せて、上古のじなり、歌というは、即ち詩なり、詩経は多く周の世の詩にて、殷の世の詩も少しまじれり、四詩というは、一に国風、二に小雅、三に大雅、四に頌なり。
一に国風というは、諸國民間の歌謡なり、歌謡というは、今の世の民俗の流行り

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歌の如くなる者なり、又、田家の麦つきうた、磨ひきうた、あるいは馬子の歌う馬かた節などをいう類なり。
此れ等の歌は、國々の風俗ありて、詞も聲も節も各別なる故に総じて是を國風と云うなり。
此の方の萬葉集の歌是れに似たり、國風の中に、國君の夫人、卿大夫などの作れる詩もあれども、畢竟其の國の風俗なる故に、國風に編み入れたり、此の中には男女夫婦の情を語り、親を思い子を思い、君を怨み夫を怨み、不肖なる君を刺り、賢なる大夫を美め、國政の正しからぬを歎き、或いは貧士の仕官に勤労するを憐れみ、或いは匹夫匹婦の室家を安

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んぜざるを憂うるが如き、凡そ世間にありとあらゆる事大小美悪、賤しき者の所作までも、言い残せることなし。
されば、國風の詩を観れば、其の國の政の善否、風俗の美悪、皆見えるなり、古の時、天子の太史官、諸國の詩を採り集めて、王朝の樂府に列す、其の中にて、詞からの文雅にして野鄙ならぬを選んで、之を音律に協せて君子の宴饗に之れを歌わしむ、樂府とは、此の方に言う樂所なり、本は賤しき男女の詞なれども、一たび王朝の樂府に入りぬれば、君子の宴饗にもこれを歌いて、己が志を述べるなり、左傳の中に、國君士大夫の詩を賦すると
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云うは、皆是れなり。
今の世に小謠を歌うが如し、己が志を人に知らせんと思いて、常の言語にては盡し難きを、詩を賦すれば、先言萬語よりも、詳らかに達して而も人の心に入ること深し、是れ詩の徳なり。
二に小雅三に、大雅と云うは、雅は一つなり。
雅は正と訓じて雅の詩は皆正しき詞なり。
天子諸侯の賓客を宴するに樂を奏して此の詩を歌う、其の事に小大ある故に、雅の詩にも小大あるなり。
二雅の詩は民間より出るにあらず。
皆士大夫の作なり、四に頌というは、天地社稷宗廟を祭る時の樂歌なり。
頌は容と訓じて祖宗の徳の形容を
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美て、鬼神に告ぐる故に、是れを頌という、頌は誉むる意なり。
頌の詩も、作者は、皆在朝の士大夫なり。
さて國風雅頌、凡て詩の数三百十篇あり。
此の内小雅の中に笙の詩六篇には詞なし、
詞ある者三百五篇なり、
其の大数を挙げて三百篇という。
論語に詩三百という是なり三百篇の詩には、天下のあらゆる事、天子より庶民までの、外内公私の所作、天下のあらゆる人情あらゆる義理、皆悉く此の中にあって、大概遺る事なし。
凡そ人情は、天子國君より庶民に至るまで、其の居る所の位によりて、それぞれにかわる者なり。
其の故如何ともいうに、
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人情というは、約めていえば好悪の二字なり、
好はこのむ、悪はにくむと訓ず。
このむとは、心にすくなり、
にくむとは、心にきらうなり。
然れば好悪は、すききらいなり。
人のすききらいは、其の身の居る所にて、かわる者なり。
一人の身にて、人の君になりたる時は、君の情にてすききらいあり。
人の臣になりたる時は、臣の情にてすききらいあり、都て人は、己が勝手によきを好み、己が勝手に悪き事をきらう者なり。
子の時は子の情にてすききらいあり。
父にならば父の情にてすききらいあり。
弟には弟の情あり、兄になればまた兄の
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情あり。
人の上となり人の下となりて、好悪のかわるも、皆此の類なり。
一人の身すら、其の居る所に随って好悪の情かわれば、況んや男女の情は、各別にて、互いに相知ること至って難し。
又、卿大夫より以上は、位漸く貴ければ、細民小人の賤しき者の情を知らず。
國君は、又、卿大夫よりも貴し、天子は又諸侯よりも貴し、位愈々貴ければ、下を去ること愈々遠し、且つ宮室の奥深き内に住んで、下民の匹夫匹婦の情ををば何として知らんや、下民の情を知らずして、妄りに政令を出せば、民情に逆らうことあり。
民情に逆らいては、其の令行なわれぬ者なり。

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されば政をする者は、民情を知ることを務むべきなり今天下の尊意に居て、萬民の情を知らんと思わば、詩を学ぶより善きことなし、詩には天下の人情を盡せばなり、戒め世の諺に歌人は居ながら名所を知るというが如し。
詩を学べば天下の事を知るなり。
又、詩は志を言う者にて、人情の實より出たる故に、天下の義理の至極を盡せり、されば古人何にしても人とものいいて、義理の事に及べば、必ず詩を引いて、己がいう所の義理を證明す、詩を引きていへば愚蒙なる者も得心す、車を横に推んとする程の無理なる者も、其の義理を

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得破らず、又、宴饗に詩を賦するも、己が志を達せん為なり。
又、詩は詞浅くして意味深き者なる故に、是れを学びたる者は、人の言語の意味に通ずること速やかなり。
又、詩は詞正しくやさしき故に、是れを学びたる者は、自然に其の詞のうるわしく、君子の體に稱う、孔子伯魚に告げて、詩を学ばざれば以て言うことなしとのたまいしは此の義なり。
凡そ詩を学ぶの益は、論語に見えたる者詳らかなり。
古人の詩を学ぶというは、初めより歌うことを習うなり。
今の人の謡を習う如く、節にて謡い覚えて、それより後は、宴饗に必ずこれを歌う、平日は

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其の詞を誦して、忘れざる様に心がける故に、いつとなく其の文句を熟識記して、自然に其の意をも領解するなり、其の詞も皆其の世の詞なれば後世になりて時代移り、人の詞も変じて、注解を得ざれば、其の意義を知ること能はざるが如くにはあらず。
詩を学べば、其の人から温柔とやわらかに、敦厚とあつくなる故に、経解に温柔は詩の教えなりと云り。
君子の徳を養うこと、詩より始まる故に、四教の第一に是れを立てたり。
今時は歌うことは、其の法亡びて、習うべき様なければ、只三百篇の詩を読誦して、其の詞を記憶し、其の義理を知りて、古

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人の引き用いたる意を会得するまでの事なり、如此くにても詩を学ぶというに叛かざるべし。
荘子に詩以て志を道うと云えるは、上に云えるが如し。


書は、二帝三王の書なり。
二帝は、帝堯帝舜なり。
三王は、夏の大禹、殷の成湯、周の武王なり、虞書は二帝の書なり、堯瞬の時は、大禹、皐陶、禝、契、伯益、伯夷、𡖂、龍、垂の臣あり、四岳十二牧の官人あり、凡そ二十二人、其の人皆聖賢にて、君臣常に天下國家の道を論じ、互いに相戒めて、少しも怠慢したまず、威徳を天下に施し行いたまえる事を記録して、二典三謨の

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五篇とせり、夏書は、大禹の水を治めたまえる次第、啓の有扈を征伐せんとて、軍旅に誓いたまいし事、太康父君にて、五人の弟の歌を作りし事、胤候の義和を征伐せし事を記録して、凡そ四篇となせり、商書は、成湯の夏桀を伐て、天下を取りたまいし事より始めて、君には太甲盤夷高宗あり、臣には伊尹、仲虺、傳説祖己、祖伊、微子、比干あり、其の言行事實を記録して凡そ十七篇となせり、周書は、武王の殷紂を伐て、天下を取りたまいし事より始めて、君には成王康王あり、臣には周公旦、召公奭、康叔、蔡仲、君陳、畢公、君牙、

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伯冏、呂候あり。
諸侯には、晋の文侯、魯公伯禽、秦穆公あり。
其の言行事實を記録して凡そ三十二篇となせり。
虞夏商周、合わせて五十八 篇なり。
昔は、百篇なりしが、缺失て今存する者五十八篇なり、書に六體あり。
一を典と云う、典は法なり、二典是なり、二を謨という、謨は謀なり、三謀是なり、三を訓という、訓は教訓なり、伊訓の類是なり。
四を誥という、誥は衆人に告げるなり、湯誥大誥の類是なり。
五を誓という、軍旅に誓うなり、甘誓湯誓の類是なり。六を命という、帝王臣に命じて官人とし、或いは諸侯とする命

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令の詞なり、説命畢命の類是なり。
如の此く六體ありて、其の文同じからねども、畢竟皆先王の法言にて、天下國家の規矩法則なり。
詩には天下のあらゆる人事人情を盡して、義理を極め、書には、天下の大中至正の道を載せて、義理を極めたる故に、左傳に詩書は、義の府なりと云り、
府は、財寶を納める蔵なり、天下の義理詩書二経の中に納まりてあるという義なり。
されば、古人何にても人と事を論じて、其の卒に、詩を引かざれば書を引きて、己が義を證明す、先王の法言なる故に、聞く者を破ることを得ず。
是れ先王の道の天下に貴き所

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なり、古は只書とばかりいいしを、漢の伏生より尚書という、尚は上なり、尊稱なり、上古の書なるを以て尊で尚書というなり。
六経の中にて、只、読んで文義を解するを以て学とする者は、尚書ばかりなり。
書を学べば、能く天下の義理に通じて、遠き事を知る故に、経解に疏通知遠は、書の教えなりと云り。
疏通とは道理分かれて碍なきをいう、
人の才智如此くなるは、書の教えの力なり、荘子に書は以て事を道うと云えるは、尚書は、二帝三王の書にて、皆天下國家の事を記せる故なり。

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禮は、天下の萬事の儀式なり。
禮に五禮あり。
一を吉禮という、祭祀の禮なり。
二を凶禮という、喪禮なり、喪は人の終わりを哀む道なり。
三を賓禮という、賓客の禮なり。
四を軍禮という、軍旅の禮なり。
五を嘉禮という、冠婚の類なり、冠禮は、元服の禮なり、婚禮は、婦を娶る禮なり。
萬事の儀式を五つに分けて、吉凶賓軍嘉の五禮にて、百禮を統ぶるなり。
又、冠婚喪祭の四つは、天子より諸人まで、無くて叶わざる禮なり。
此の外に古は郷飲酒、士相見の二禮あり。
郷飲酒禮は、郷黨の人に酒を飲ましめる禮なり、士相見禮は、大夫と相見する禮なり、冠婚喪祭に此の二つを加えて六禮という、凡そ五禮の類は、先王の時より、其の式法條目次第定まれるを、先王の制という、冠婚喪祭の如きは、禮の大綱なり。
此の大綱を経禮という、経は経緯の経なり、経禮の大数三百餘條ある故に、経禮三百という、
経禮に又各々委曲の小節目あり、
升降趨走座立拜揖進退周旋の類其の大数三千餘條ある故に、曲禮三千という、或いは禮義三百、威儀三千とも云り。
此の三百三千の禮儀は、皆一々に師の教えを受けて、其の業の習熟せざれば、事に臨んで其の禮を行い得ることなき故に、孔子の聖智にても、

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老聃に就いて学びたまえり。
況んや孔子に及ばざる者をや、後世の儒者、孔子は聖人にて、生知安行なれば、何事も皆学ばずして知りたまう、然るを学んで厭わずとのたまうは、人を勸る謙詞なりというは、大なる謬りなり、凡そ禮樂は皆事なり、
師の教えなくては、聖人も知りたまうこと能わず、
禮書禮経という者あれども、只、其の條目次第を書き付けたるのみにて、其の事は必ず傳授を得て詳らかに知るなり。
今の世の俗禮すら、次第書きなどいう者を見たるのみにて、師の口訣指数を受けざれば、其の事を行うこと能わず、況んや先王の禮に於

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てをや、祭禮は孔子素より學んで知りたまえども、大廟に入りて祭を助けたまう時は、必ず毎事人に問いたまいて、是れ禮なりとのたまえるを見て、禮の重きことを知るべし。
凡そ先王の道は、形もなく禮もなき者なり。
道の形となり體となる者は禮なり。
禮は道を載せて行く者なり、道は如何なる者ということを知らざれども、禮を學んで、教えの如く行えば、是れ即ち先王の道を行うなり、又、先王の道は、人の必すべき事と、必すまじき事とを定め置かれる。
是れを機という、義は譬えば物に大小多少長短軽重ありて、之を用ゆる各々宜しき所

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當る所あるが如し。
今日の人、心にて此の宜しき所、當る所を求むれば、人々の異見にて、過不及ある所に、如何にも中を得がたし、先王の禮に従えば、心を労せずして中を得るなり。
禮はもと中を立てたる者なる故に禮をおば、即ち好き程を得るを中とするなり。古人の言に、先王の制と云えるは、皆禮を指して言えり、制は今の世に定めという意なり、禮は、先王の定めなり、苟子に曷をか中と謂う、曰く禮義是れなりと云えり、先王の禮は、皆義あるは、譬えば人に魂あるが如し、
義は虚

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なり禮は實なり、されば禮運に禮とは義の實なりと云える、是れ聖人の旨なり、宋儒は禮を離れて義を説き、禮を外にして、中を求む、禮を離れて義を説くは、釋氏の義學なり、禮をほかにして中を求めるは子莫が中なり、皆先王の道に違背するなり、又、先王の道には、心を治めることを言わず。
心を治まれるか治まらざるかと問わず。
只、禮を守る者を君子とす。
禮を守りて身を固むれは、心も漸々に治まるなり。
書経の仲虺の言に、禮を以て心を制すと云えるは、成湯の行状を述べたる詞なり、心を制すとは、制は制止の義なり、情欲の起こるを

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禮にて制止するなり、先王の道は、情欲の起こるを罪とせず、禮を犯して欲を縦にするを罪とす、釋氏は情欲の起こるを無明煩悩と名づけて、一概に之を断絶せんとす、宋儒は人欲の私と名づけて、之を禁止せんとす、是れ皆甚だ難き事なり、先王の道は情欲の有無を問わず、只、管禮を守りて正しく行う者を君子とする故に、志あれば誰も行い易き道なり。
又、先王の禮を、後世に及んで必ず之を行わんとにもあらず、禮記に禮は宜しきに従うとあり、又、禮運に諸を義に協えて而して協えば、則ち禮は先王未だ之れあらずと雖も、義を以て起こすべ

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きなりと云り、此の意は先王の禮の義に達すれば、千萬世の下にても、古になき禮をはじめて制するに、難きことなしとなり、又、老、荘、楊、墨、申不甲害、商君、韓非等が如き諸子の道も、國家を治めて治まらざるにあらず、然れども彼等は皆衰世の弊俗を治める術にて、國家を興隆し、治安を保つ道にあらず、禮樂を棄て時の急に趣くが故なり、諸子の道とする所、人々其の旨ありて、一同ならねども、禮樂を棄てることは一同なり、先王の道は重きこと禮樂にあり、禮樂を棄てば、國家治まらず、縦令治まれども、久しからずして乱亡に至ると

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知るべし、是れ先王の道と諸子の道と異なる処なり。

孝経に、上を安んじ民を治むるは禮より善きわなしといい、左傳に、禮は國家を経し社稷を定め民人を序し後嗣を龍する者なりといい、又、禮は國の幹なりと云り、幹は木の身にて、枝葉の附く所なり、此れ等は皆禮の國家に於て肝要なることを言える詞なり、學者の上にて言えば、経解に、恭檢莊敬の教えなりと云えり。
恭は人に高ぶらず、己に誇らず、謙太退するなり、檢は事をひかえてうちばなるなり、莊は容儀の整えりて惰慢ならざるなり、
敬は事を慎んで軽忽ならざるなり。

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禮を學んでの益は、其の人がら恭檢莊敬なる。
是れ禮の教えの徳なり、荘子に禮を以て行いを道うと云えるは、禮は人の行ないを第一として教える者という意なり、秦漢以来は、古禮亡て僅かに遺る所、儀禮、周禮、禮記、大戴禮なり、儀禮は古の禮経の残篇にて、経禮三百の数の中なり、周禮は周の世の官職なり、禮記大戴禮は、孔子の時、七十子と禮を講じたまえるを、門人記録して傳たえるなり。
漢の世に及んで、戴氏の家より傳し故に戴記ともいうなり、又、論語、家語、左傳、管子、孟子、荀子等の書にも、古禮の文雑見せり、今の世には其の

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を知りたる師もなく、古禮の詳らかならぬ事も多ければ禮を學んとするに便なし、
只、此れ等の禮書を熟読して、古禮は斯くの如くなる者ぞと知りて、今日の俗禮の是非を考えて、少しも心を禮に用ゆれば、禮を好む君子というべきなり。


樂は、もと君子のなぐさみなり、凡そ人は動物なる故に、平居閑暇の時、するわざなくて只はあられぬ者なり、
するわざなくてひまなるを閑居という、閑居の時何にても心のなぐさむこと無ければ、必ずよからぬ事をする者なり、大學に小人間居して不善をなす至らざ

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る所なしと云えるは、是れなり、論語に飽食して終日心を用いる所なきは、難い哉とあるも、終日するわざなくて暮らすは、難きことなりとて、世俗の勝負を慰みにてもするは、只あるに勝ると孔子のたまえり。
終日するわざなくて暮らすのは、甚だ不可なることをのたまえり。
されば古の君子は、必ずしも一曲を奏弾するにあらず。
爪しらべなどして、徒然を慰みしなり。
是れ心を養う術にて、閑居して不善をなすに至るまじき為なり、又、人生れて幼稚の時、遊戯するに、必ず聲を発して歌謡することあり、
成長して喜楽の事には、歌舞して歡情

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を抒ることあり、悲哀の事には、啼哭して惨憺怛を泄すことあり。
役夫の力作するにも、聲を揚げて喚應することあり、凡て何にても心に思いあり、内に欝することあれば、必ず己むことを得ずして聲を発するは、人情の自然なり。
聖人、是れが為めに樂を作り、人情の喜怒哀楽に象りて、歌舞管弦の節をなし、五音六律の調べを設けて、過ぎるを抑え、及ばざるを助けて、人情を中和に合す。
是れ樂の起こる本原なり、凡そ樂は歌より始まる。
歌は人の思いより出る詞なり。
是れ即ち氏なり、
舞は之を形にあらわす者なり、
金石絲竹匏土

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革木の八音は、物の音にて歌に合わす者なり、
鐘は金の属、
磬は石の属、
琴瑟は絲の属、
簫管は竹の属、
笙は匏の属、
塤は土の属、
鼓は革の属、
祝敔は木の属、
なり、
此の中に君子の常に玩ぶものは、絲竹の二音なる故に、管弦というなり。
管は竹なり。
弦は絲なり。
八音の器に、各々五音六律あり、五音は、宮商角微羽なり。
六律は、黃鐘太蔟姑洗蕤賓夷則無射を陽とし、林鐘南呂應鐘大呂夾鐘仲呂を陰とす。
陽を律といい、陰を呂と云う。
陽を以て陰を統べて六律という。
實は十二律なり。
日本にては、十二調子という。
壹越、斷金、平調、勝絶、

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下無、雙調、鳬鐘、黃鐘、鸞鏡、盤渉、神仙、上無、是れなり。
十二律は、萬物の聲の高下なり。
五音は、清獨高下の次序なり、萬物の聲、五音十二律の外に出でず、若し此の外に出づるは、中和の音にあらず、中和の音にあらざれば樂の徳なし、周禮に樂徳六つあり。
中和祇庸孝友なり。
此の中にて中和を樂の主とするなり。
天地を動かして八風を調え、人の心を和げて中に協はしむるは、樂の力にて樂に中和の徳ある故なり、聖人の教えに心を治めることを言わず、心を治める術は樂なり。
樂記に樂を致して以て心を治めると云える是なり、又、樂とは聖人の

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楽しむ所なり、而じて以て民心を善くすべしとも云り。
心を治め心を善くするということは、唯だ樂にのみありて、他術になきことなり、
樂を聴けば暴厲なる物も惻怛の心起り、儒弱なる者も奮激の心起こるなり、
國語に楚の申叔時か太子を教えることを説けるに、之に樂を教えて以て其の穢れを疏して而して其の浮を鎮すと云り。
疏は疏滌なり、鎮は鎮圧なり、心の穢れを疏滌して、其の浮きたるを鎮圧するは、樂の力なり。
又、孝経に風を移し俗を易るは樂より善きはなしと云えるは、民の風俗を移し易る者は、樂に勝ることなしとなり。
前に云え

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る如く、人は何にても心を慰めて楽しむわざなくてはあられぬ者なり、楽しむわざの中にて、音楽ほど心を慰めることはなし。音楽をなして楽しむより、民の風俗自然に移り易る者なり。
然るに雅楽行なわれば、民の風俗善くなり、淫樂行なわれれば、民の風俗悪くなること、人力の及ぶ所にあらず。
雅楽は聖人の作にて、甚だしく面白からざる故に、人も亦た之に耽らず。
譬えば水の味の淡きが如し。
淫樂は俗人の作にて、甚だしく面白き故に、人も亦た之に耽る。
譬えば酒の味の醇きが如し、先王民の情を知りたまいて、雅楽を作りて之を教え、

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淫樂を禁じて行なわしめず、人皆雅楽のみを玩びて心を慰め、宴饗にも是れを用いて、君臣父子夫婦兄弟朋友の際までを和げ、祭祀にも是を用いて、天地鬼神を感格するに至る。
貴賎男女、唯だ此の楽しみ玩びて、他の俗樂淫聲をば、終身耳に聞かざる故に、民の風俗いつまでも頽れざるなり。
後世に及んで、種々の淫樂起こって、甚だしく面白きことなる故に、人多く雅楽を厭いて淫樂を好む。
是れより民の風俗悪くなり、士大夫國君までも之に化せられて、淫乱放逸になる。
皆淫樂の力なり。
総じて昔より雅楽にて、風俗を善くするは、其の功緩く、淫

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樂にて風俗を悪くするは、其の変速やかなり。
是れ國を治める者の知らずして叶わざることなり、先王の道、百世に及んで、民の風俗を維持して、敗れしめざるは、只、是れ樂の力なり。
他の諸子百家の道も、國家を治めることをいわざるは、無けれども、樂を以て風俗を維持することを知らざる故に、畢竟先王の道に及ばざるなり。
是れ先王の道と諸子の道との分かれる処なり、又、禮は厳敬を主として、尊卑上下を弁別する者なり。
禮を行なって樂を用いざれば、尊卑上下の間隔絶して。情意も通ぜず、樂は和樂を主として、慈恵を施し情意を通ずる故に

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大禮には必ず樂を用いて、人の心を和樂せしむ、
樂記に禮は外より作す。
樂は中より出ると云えるは、此の義なり、
禮は厳粛なる者にて陰に属し、樂は発揚なる者にて陽に属す。
是れ禮樂の二つは、車の両輪、鳥の両翼の如くにて、相離れざる者なり。
古の君子の徳を養う術、此の二つの者にあり。
又、樂は本技芸にて、其の業を習うを務めとする故に、其の道書籍にあらず、されば古の樂経というは、只、譜
を傳えるのみなるべしと、先師云り、譜は歌舞八音に皆あるべし。
其一、二は遺りて、今の世までも傳われり、経解に広博易良は樂の教えな

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りと云えるは、広博は心の広きなり、易は心のむつかしからぬなり、良はここに癖なきなり、人柄の此の如くなるは、樂の教えの徳なり。
荘子に樂を以て和を道うと云えるは、樂の主意は、只、和の一字にあることを言えるなり。
即ち上に云える如くなり、昔孔子は、樂を萇弘に学びたまい、琴を弾ずることを師襄に學びたまえること、家語に見えたり。
論語に磬を撃ちたまう事を記れるは、師襄は撃磬の職なれば、此の人に学びたまえりと見ゆ。
斎国にて韶を聞きたまうと云うも、聞くは即ち学ぶなり、韶の樂を学びたまえるなり。
魯の太師

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に逢いては樂を語りまたい、師摯が闞睢の亂を始めるを聞いては歎美したまい、賓牟買と武の舞を論じては、其の義を盡したまう、
衞より魯に返りて樂を正したまえば雅頌各々其の所を得たりと云う。
孔子の樂に心を用いたまえること浅からざるを見るべし。
秦漢以来は、古樂崩れて世に行なわれざれども、其の音律法制は遺って、六朝の末、隋の初めまで傳われり。
隋の世に樂大に変じて、唐宋以来の樂は、古楽にあらず、日本の樂は六朝より傳りたる故に、古楽の制なり、樂人之を守って失わざる故に、今の世まで傳われりて、志ある者は学習すること

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を得るは大なる幸いなり、此の方の樂器は、絲の属には琴、箏、琵琶、和琴なり。
昔は、阮咸、箜篌、暈篌、新羅琴などいう者もありしこと、延喜式に見えたれども、今の世には傳わらず、竹の属には、笙、篳篥、橫笛、高麗笛、神楽笛、洞簫、大篳篥、尺八なり。
洞簫、大篳篥、尺八は、今は樂に用いず。
尺八は俗に一節截と云う者なり。
長さ一尺八分なる故に尺八と云う。
今の虚無僧の吹く尺八という者は、洞簫の類なり。
一尺八寸なる故に、是をも尺八と云うなり、
其の制は、三節截なり。
笙は本匏の属なれども、今は匏を用いず、頭を木にて作れば、是れも竹の属なるべし、

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革の属には、太鼓、鞨鼓、三鼓なり。
金の属には、鉦鼓なり、鉦鼓は磬の代わりなり、磬は石の属なるを、鉦鼓は金にて作る故に、金の属なり、木の属には笏拍子なり。
此の諸々の楽器の中に、笙琴は皆上古の楽器なり。
其の餘は秦漢以来の楽器なり。新羅琴、高麗笛は、三韓より来たる楽器なれども、本は中華の古器なるべしと、先儒言えり。
和琴、神楽笛は此の方の楽器なり、
箇様に種々の楽器ありて、必ずしも皆聖人の製作にあらざれども、樂は聲音を主とす、何の器にても、其の音小和に協えば、樂に用るに害なきなり。
今の猿樂の笛鼓は、殺伐の音な

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り、
三線は、淫娃の音なり、皆中和を失える故に、或いは人の心を傷り、或いは人の心を蕩かす。
皆人に害あり。
唯古楽は天地中和の音なる故に、聴く者の中和の徳を養うこと妙なり、心を正しくする術、樂に勝るものなし、
此の方の古人は、琴を能く彈ぜしこと、源氏物語などに書ける如し、
然るに何れの時よりか此の事廃れて、近世は公家にも琴を彈ずる人を聞かず、且つ古は日本も雅楽のみありて、他の俗樂なかりし故に、貴賎皆雅楽を習て、明け暮れに是れを玩びて心を慰めしこと、源氏物語などに書けるを見るべし。
源平の世に至りて、新

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羅三郎笙に堪能にて、豊原時秋に笙の大事を授けられしこと、著聞集に見えたり。
其の餘は推して知るべし、
俗間に白拍子などいう者ありて、平相國も之を好みたまえれども、平氏の公達は皆雅楽を習て、舞などをも能くせられたり、後白河の法皇の七十の壽筵に、小松の維庇盛凊海波を舞れしが如き。
其の世には珍しからぬ事なり賤しき者には、矢作の長の女浄瑠璃が侍婢を集めて管弦して遊びたりし、又、平重衡囚となりて関東に下しに、手越の妓女千手か筝を彈じければ、重衡琵琶を彈じて、五常樂、皇麞、廻忽の三曲を総せられしなどいう事あり、

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北条氏の世の末に、田樂という者ありて、高時之を好めりしかども、武士たる者田樂を習えることはなしと見えたり。
其の比も楠木正成は琵琶を好み、足利尊氏は笙を吹たまい新田義貞は笛を吹たまい、中にも義貞は殊に堪能にて、越前に居たまいし時、陵王の荒序を吹きたまいしことあり、荒序は、今は樂人も容易には吹かざる事なるを、義貞之を吹きたまいしは、誠に有りがたく殊勝なる事なり、室町の時より、猿樂ありて、武家の樂となる是れより雅楽廃れて公家の外には是れを習う者なかりしと聞ゆ、近世に及んでは、民間に種々の淫樂興

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りて、士大夫も之も悦ぶ故に、雅楽愈々廃れて、樂は如何なる物ということをだに知らずして、一生を過ごす者あり。
若し稀に樂を學んと思う者ありても、絃は必ず公家より傳え、管は必ず樂人より傳える法なれば、志ありても其の師なくて得、学ばぬ者多し、是れ大に聖人の樂を以て教えとしたまいし意に背けり。
昔の如く民間までに及ばさずとも、士大夫の中には、樂を學ぶことの容易なる様にあらまはしきなり。
是れ風俗を化する要術なればなり。
今の楽器は、琵琶、箏、和琴を三絃といい、笙笛篳篥を三管といい、鞨鼓大鼓鉦鼓を三鼓とい

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ふ、此の中に、三弦は公家に傳来し、三管三鼓は樂人の家に傳来して、常の人も志あれば皆学び得るなり。
此の方の樂は、皆隋唐以来の樂にて、古楽にあらずというは、樂を知らざる者の説なり、上に云える如く、隋より以前、古調猶存せる時に、此の方の人学び得たる故に傳来の楽曲には六朝以来の曲も多けれども、音律の調べは、全く古楽の調べなり、
唐より以後、古調変じたれば、中華の樂は、却って今の日本の樂に及ばすと知るべし。


易は、陰陽変化の道なり、
天地開闢してより、陰陽の

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二気、往来変化すること暫も止まず、往来は昼夜寒暑の如き是れなり。
変化は生成栄枯のごとき是れなり。
又、消息盈虚というは、
消は、物の消滅するなり。
息は、物の生出するなり。
盈は、満溢するなり。
虚は、虧損するなり。
萬物
一たびは消し、
一たびは息し、
一たびは満溢し、
一たびは虧損す。
消息は、物の盛衰なり、盈虚は月の圓缺、海水の潮汐の類、是れなり。
又、消長というは、世に君子衰えれば小人興り、君子興れば小人衰え、東市衰えれば西市栄え、西市衰えれば東市栄えるが如き是れなり。
消息盈虚といい消長という。
皆陰陽変化の類にて

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易の道なり、消息盈虚は小さくいえば、一歳一月の内にあり、大いにいえば、人の一生に幾度もあるなり。
天下の治乱の如きは、数十年数百年に一たびあり、是れ又大消息、大盈虚なり。
易は最初一陰一陽を生じてより、一陰又一陽を生じ、一陽又一陰を生じて、生々の理窮まることなし。
卦爻の上に於いて此の利を示したまえり。
又、易は時の一字を要とす、
消の時至れば必ず消す、息の時至れば必ず息す、
消の時を息に返し、息の時を消に返すことは、聖人も能くしたまわず。
都て人力の及ぶ所にあらず。
時節到来せざれば、聖人ありても何事も

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成就せず、時節到来すれば、中材の人も功を立てることあり。
此れ等の道理は、易を學んで知ることなり。
又、易に数あり、数とは物の命数なり。
譬えは、菓實の如し。
最初花落ちて實を結ぶ時、其の数幾千萬ということを知らず。
月日を経る内に、其の實熟するを待たずして落ちる者過半なり。
熟する時に及んで、樹の上にとどまる者僅かに十の二、三なり。
是れ造物者の所為なれども、究竟するころ、其の物の定まれる数なり。

陶工の器を作るに、数十の中に未だ焼かずして破れるあり。
焼いて後に破れるあり。
其の成就せる中に、又好き有り悪しき有り、それより、世

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人の用となりて、幾程もなく破れ失するあり。
数十百年を経て久しく存するあり。
此れ等は人の手にて作る者にて、造物者の所為にもあらねども、其の成敗に自然の数あり、凡そ萬物萬事に皆斯くの如くの数あり。
人も亦然るなり。
人の上にては之を命という。
君子は必ず之を知る、
命をしらざれば、以て君子たるべからずと論語に云えり。
君子易を學べば、命を知り時を知る故に凡そ消息盈虚きっ禍福の事に於いて、惑うことなし、消の時に當れば、消の時ぞと知りて、消に處する道を工夫するのみにて憂うる心なし、息の時に當れば、息の日久

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からずして、又、消すべしと思いて、恐懼を忘れず、
損の卦の彖傳に、 消息盈虚時と偕に行なうと云えるは、此の義なり。
消息盈虚の理を知れば、時に随いて易き道を行なうなり。
又、寒暑の往来は定まれる事なれども、常の人は其の時に臨まざれば、之を知らず。
君子は寒の時に當っては、寒去て暑来るべきことを思いて、寒の時に暑に備えを用意す、暑の時に當りては、暑の去って寒の来たるべきことを思いては暑の時に寒の備えを用意す。
斯くの如くなれば、時に臨んで惑うことなし。
是れ皆易を學んで陰陽変化の道を知る故なり。
身を修めるより以上、天下

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国家を治めるに至るまで、皆此の如し、聖人仰觀俯察して、陰陽変化の道を見て、之を天下の人に示ん為に八卦をかくし、八卦を重ねて六十四卦となして、天地萬物の理を窮め、萬物の性を盡し、天命必然の処まで推し到る。
之を名づけて易という。
易というは往来変化の名なり。
天地萬物の理を窮めたる者なる故に、此の易を用いて、蓍を揲り卦を立て筮すれば、事の吉凶見えて、疑いを決し未来を知るなり。
繋辞傳に神以て来を知るといい、事を占いて来を知ると云うは此の義なり。
君子は何事も義に由って行う者なれども事の兩可に渉るに遭いて

69
は、疑いあることを免れず、其の時に當って疑いを決すること卜筮を捨ては更に他の術なし、
又、大事を行ない大衆を動かすに、君子は其の義を知って惑うことなかるべけれども、小人愚民は義をしらねば、疑い危ぶむ心ありて、果決しがたし。
其の時卜筮を用いて吉兆を得て事を行えば衆心一致して必ず其の功を成すなり。
是れ卜筮の道。
天下國家の事に預かりて、其の用甚だ重きなり。
易は本卜筮の書なりというは、朱子易経の功用をいえるなり。
経解に絜静精微は易の教えなりといえるは、君子易を学べば、心の疑慮除きて清潔になり。
動轉止て静かになり。
陰陽

70
変化の理に達して、精微を知ることをいえるなり。
繋辞傳に、聖人此れを以て心を洗うと云えるは、即ち潔静の義なり。
荘子に易以て陰陽を道うと云えるは、易を知れる至極の言なり。
易は陰陽変化の道を卦爻に寫して見せたる者なり。
君子の學は、詩書禮樂の四術にて身を修める道備われりぬ、其の上に又易を學ぶは、何の為ぞというに、詩書禮樂を學びても、易を學ばざれば、陰陽変化の理を知らず、陰陽変化の理を知らざれば、政をするに時に逆らい無理をすることあり、又、卜筮も天下國家の事に所用あり。
上に言える如くなり、易を知ら

71
ざれば、卜筮の吉凶を辨ずること能わず。
畢竟君子の身を修めるは、詩書禮樂にて事足れども、天下國家の政をするに及んで、易を知らず叶わざる義あり、六経に易を入れたるは此の義なり。
六経は、天下を治める道具なる故なり。


春秋は、國家の記録の名なり、國家の事は朝聘より大なるはなし、左傳に國の大事は、祀と戎とにありと云えば、祭祀と軍旅とを國の大事とすること固よりの義なれども、祭祀は恒例の事なり、軍旅は非常の事なり。
祭祀は禮典に定式ありて、歳事に懈ること無かるべし

72
軍旅は、出るに治兵の禮あり、入るに振旅の禮あり。
武備は常に其の制あり、兵賦の多少は、國の大小に随って定法あり、軍を出だすは常に無き事なれば、國の大事なれども、國史の名とすべきにあらず。
朝聘は國家の大禮なり、朝は朝覲なり、
今いう参覲なり。
諸侯の天子に朝するのみならず、諸侯と諸侯と相朝するをも朝という、聘は諸侯より使いを天子に遣し、使いを諸侯に遣すを皆聘という。
卿を遣すを大聘といい、大夫を遣すを小聘という。
諸侯の朝聘するを、春秋を節という、古の詞なり、朝聘は時節一同ならざれども、四時の中

73
にて、春秋を時として朝覲聘問するという義にて、春秋を節というなり。
朝聘は自国と他国と往来して、更に賓となり主となる事なれば、其の禮むつかしく重きこと、余事の比類にあらず、此の故を以て國史を春秋となづくるなり、漢書の藝文志に、春秋の事を記せるに日月を假って以て歴数を定め、朝聘を籍って以て禮樂を正すと云える此の義なり。
國史には、祭祀軍旅はいうに及ばず、余の大事をも書すれども、朝聘を以て重しとして、春秋と名づくるなり、
楚の申叔時か太子を教える法をいえる最初に、之に春秋を教えて、而して之

74
が為に善を聳めて、而して悪を抑えて、太子の心の不善を戒め、善を勸むとなり、申叔時が云える春秋は、其の國の春秋なり、是れを以て観れば、古は諸侯の國に各々春秋ありしと見ゆ、
今六経の春秋は、魯の春秋なり諸国の春秋あるべけれども、孔子魯人にて、本國の春秋を修して世に遺したまえる故に、他の春秋は傳わらず、魯の春秋のみ後世に傳れるなり、春秋を學べば、國政の善悪成敗、君臣の行事の得失、天地の災祥変異國家の治乱興亡、自国のみならず、他国の事まで皆歴々として明らかに見える故に、事変に達し知識も広くなり

75
物に當って疑惑することなし。
是れ春秋を学ぶの益なり。
詩書禮樂は教えなり、春秋は實緑にて、善悪雑記せる故に、上に云える如くの益あり。
君子詩書禮樂を學んで身を修めるには余り有れども、天下國家の事に臨んで、春秋の義を知らざれば、大疑を決し大謀を立てるに、必ず覚束なきことあり。
是に因って六経に春秋を入れて、天下を治める道具とせるなり。
経解に属辭比事は春秋の教えなりと云えるは、属辭は辭を綴るなり、
朝聘会盟に辭令を善くするなり。
辭令は今の世の口狀なり。
此の事に臨んで、先例を授けて裁断処置すること、春

76

秋を学べる者の善くする所なり、荘子に春秋以て名分を道うと云えるは、春秋の要は、天子諸侯卿大夫士庶人の名分を正し、禮義を明らかにするにありとなり。
今春秋を学ばんには、左氏傳を熟読して、二百四十二年の事實を観て、今日の事務に引き合わせて、是非可否を料簡すべし。
古来の説を用いて、一字の褒貶などいうことに拘わり泥んで強いて義理を求むべからず。
公羊穀梁の二傳は、古書なれども、穿鑿の義多し。
宋の胡安国が注は更に甚だし、且議論残刻にて、仁を害することなり。
読まざるを好しとす。
後世温公の通鑑、朱氏の綱目も、春

77
秋に傚って作れる書なり。
是れを読むも只事實のみを観て、評語を看るべからず。
評語を看れば、是非の心盛んになりて、害を生ずること多し、是れ春秋を学ぶ者の用心なり。
凡そ古今春秋を説く者、皆、義理をもとめるの甚だしきに由って、却て正義を失うことあり、孔子の本旨に違うなり、慎まずはあるべからず。

六経は道の名なり、書籍の名にあらず。
六経の中にて書籍という者は、書経と春秋との二経なり。
詩はうたいものなれば、うたいて覚える者なり。
禮樂の二つは其の事を習うのみなり。
易は、六十四卦の象数を學んで知


78

るのみなり、文王の卦の辭、周公の爻の辭ありてより纔に上下二編の経となり。
今の初学者六経の義を知らず。
古より六部の書籍ありと思うは謝りなり、六経を書籍となして傳えることは、孔子より以来の事なりと知るべし。
経の字の義は、前に云える如くなり。
六経を道の名なりといえば、聖人の道分かれて六つとなる様に聞ゆるども、さにはあらず。
聖人の道は唯一筋なり。
一筋と云うは、天下の民を安くするという一塗の外に出ることなし。
此の一筋の道を行うに六つの術あり、譬えば人の身に耳目鼻口手足ありて、各々其の働きをなし

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て、一身の用を足すが如し。
六経は聖人の道の耳目鼻口手足なり。
六経一つも闕けては、天下の道に足らざることあり。
人の身に耳目鼻口手足の六つの者、何れにても一つ闕れば、廃人となるが如し。
又、六経は其の用各別にして、通用することなし、
人の耳目鼻口手足、各々其の役ありて、耳は目の代わりにならず、口は鼻の代わりにならず、足は手の代わりにならざるがごとし。
是れ六経の大義なり、宋儒此の義を知らず。
六経の名をば稱すれども一経を説くに及んでは、唯一経にて天下を治むべしという。
大なる謬なり。
又、詩は人情をありのままに吐露す

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るのみにて、深き義理なき者なるを、他の経書の如く深き義理ありと思いて、一句一字に就いて義理が求め、或いは詞に善悪ありと思いて、勧善懲悪の説をなし、善を以て勧めとし、悪を以て懲らしめとすという、朱子集傳の序に見えたり。
書は二帝三王の天下を治めたまええる事業を記したる者なるを、二帝三王の道は心に本ずくと思いて、只管二帝三王の心を求めることを説く蔡沈が集傳の序にみえたり、
禮樂の二つは、必ず其の事を習って、其の道に達し、其の義理をも知ることとなるを宋儒は事を捨てて只心法に就いて義理の禮樂のみを談ず。譬

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えば劔術を習わずして勝負の理を談ずるが如し、勝つべき理を明らめたりとも、技術に拙くば一撃に命を失わずとも、必ず、大なる創をば被らん。
此の謬見は程子朱子の説に多く見ゆ、
易は本来卜筮の書なるを、義理の書と思いて、卜筮を廃して、只菅義理を説いて、身を修めるより天下を治めるまで、一部の易にて足れりという。
伊川の易傳此の如し、春秋は天下の治乱興亡をありのままに記して、國家の典禮を示し、懲悪勧善の意を知らせたる者なるを、穿鑿して義理を求め、一字の褒貶ということを要とする故に、二百四十二年、列國の君卿大

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夫士過半有罪の人となる。
毛を吹いて疵を求むという者あり、
胡安国が傳此の如し、凡そ此の類皆宋儒の六経を治める大謬なり、
此の方の仁斎先生も、宋儒を撃ちたるは豪傑なれども、六経に於いては全く工夫を用いざる故に、疎謬甚だ多きなり、
此には姑く論ぜず。

漢文読書要訣 上巻 終


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